第34話 願い
私は仏壇の周りに飾られている裕次郎の写真をしばらくじっと見させてもらった。高校を卒業してからは滅多に写真を撮らなかったらしいので、飾ってあるのは生まれてから高校を卒業するまでの十八年間のものなのだと、裕次郎のお母さんが教えてくれた。中学三年のころにようやくまともな親交を始めた私にとって、写真の中の裕次郎は、新しく知る姿ばかりだった。
うつ伏せの体勢から真ん丸い顔を持ち上げてこちらを見つめている赤ちゃんのころの裕次郎、保育園のお友達と遊んでいる姿、家族旅行の写真、運動会や発表会などの学校行事。私の思い出に残る静かなイメージとは違って、写真に収まる裕次郎は頬の血色もよく元気に笑っている。生まれたての裕次郎なんかはまだ顔立ちに個性がなくて、言われないと誰なのか分からないくらい、赤ちゃんそのものの可愛らしい笑顔を浮かべている。
「赤ちゃんのころの裕次郎君、かわいいですね」
私がそう言うと裕次郎のお母さんは笑って、
「赤ちゃんはみんなかわいいからねぇ」
と謙遜した。この笑顔の赤ちゃんが今ではもうこの世にいないなんて信じられなかった。
中学時代の写真のボードはサッカー部の仲間の手作りで、寄せ書きやサッカーボールと共に供えてくれたのだそうだ。私にはそうした思い出の品がなくて菓子折り一つしか持ってこられなかったけれど、裕次郎のお母さんは喜んで受け取ってくれた。このお母さんの優しい顔を見ると、私には秘密が多すぎる、話せないことが多すぎると、もどかしい気持ちになった。
裕次郎のお母さんはリビングでお茶とお菓子を出してくれた。
「里奈ちゃん、本当に久し振りね。お母さんとはいつも会っててお世話になってるけど、里奈ちゃんは今離れたところで一人暮らしだものね。本当に綺麗になって。びっくりしたわ。昔はこんなに小さかったのにね」
「化粧のおかげでどうにかこうにか見映えだけは誤魔化せてて……何だか恥ずかしいです」
私は思わず苦笑いをした。
「裕次郎も最近は一人暮らしであんまりここには帰ってこなかったんだけど、亡くなる直前には妙に寄り付いて、どうしたのかしらと思っているうちに――これでしょう? 虫の知らせというのかしら。今思うと、妙に嫌な予感がしていたような気もするわ。いつもは話さないようなことまで話していってね。里奈ちゃんのこともそうよ。亡くなる何日前だったからしら。急に言い出して」
私は思わず目を見開いた。
「私のことをですか?」
「そうよ。最近すごく仲良くしてもらってるんだって、そう言ってたわ。それまで女の子の話なんて一切しなかったのに。それくらい裕次郎は里奈ちゃんのこと、大切に思っていたのね。……こんなことになっちゃって、本当にごめんなさいね」
私は力なく首を振った。
「そんな……突然の病気だったのだし、ごめんなさいだなんて……」
何と言えばいいのか分からないまま、私の口は勝手に動いていた。裕次郎のお母さんは目尻に浮かぶ小さな涙を指で拭いながら、微笑んで言った。
「里奈ちゃん、こんなことを言うのもおこがましいのだけれど、裕次郎の分まで幸せになってね。裕次郎もそう思っているはずだから」
そう言われた瞬間、私は裕次郎の優しい横顔を思い出して、胸がじんと熱くなった。今ごろアリスと一緒に明るくて暖かい場所で、生きることの義務から解放され、穏やかに暮らしているんだろう。たまに下界を見下ろすことがあったなら、裕次郎のお母さんの言葉そのままに、みんなの幸せを願っているに違いない。その姿がありありと思い浮かんだ。
「裕次郎君のお母さん……ありがとうございます」
私が深々と頭を下げると、裕次郎のお母さんはもう一度涙を拭って、頷きながら微笑んだ。
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