第30話 一つ目

 アリスちゃんに異変があったのはその数日後だった。急にまばたきを繰り返して目を擦り始め、苦しそうに首を振る。

「アリスちゃん? どうしたの?」

 そう声を掛けたけれど、アリスちゃんはうんうんと唸りながら苦しんでいる。

 佳歩さんは冷静にアリスちゃんを見た。

「これは、まさか……」

 佳歩さんが呟いた途端、アリスちゃんの右の瞼がぷっくりと膨らみ、何か、黒く尖った破片のようなものが、ちらりと上瞼と下瞼の合わせ目から見えた。拓真君も察しがついたようで、はっとした顔をしている。やがてアリスちゃんの手のひらに、ひまわりの種のようなものが落ちた。それを見て、私もようやく気付いた。次の世代にアリスの習わしを継承するためのアリスの種だ。

 私は息を呑んだ。アリスの種は継承が行われる一ヶ月ほど前にならないとできないと言われている。裕次郎のときも、種熱で亡くなる一ヶ月前に種ができた。だけど、拓真君のアリスちゃんがアリスの習わしを継承したのはわずか一ヶ月前。今までのアリスと付き人は、短くても一年は生きたというのだから、継承一ヶ月で種ができるなんて、あまりに早すぎる。拓真君とアリスちゃんが、あと一ヶ月しか生きられないということになってしまう。

 青ざめる私の目の前で、佳歩さんも拓真君も冷静だった。

「もしかして、空種からだねですか?」

「そのようですね」

 と、顔色を変えずに会話をしている。

「からだね……?」

 訳も分からずに訪ねると、長年アリスの習わしに触れてきた佳歩さんが教えてくれた。

「これは本当の継承の種ではなく、種を生み出す練習として生み出す仮の種、『からだね』です。継承の力はありません。その証拠に、アリス様、種を押してみてください」

 アリスちゃんは人差し指と親指で種を挟み、指でぎゅっと押した。くしゃっと乾いた音がして種が割れた。中には何も入っていない。

「中に何も入っていないから『からだね』と言います。アリス様、もう大丈夫ですか? 目に違和感はありませんか?」

 アリスちゃんは笑ってうなずいた。

「僕も空種を見るのは初めてです。これがそうなんですね」

 拓真君もアリスちゃんの手のひらに散らばる種の破片をじっと見た。大きさといい、白と黒の色彩といい、見た目はひまわりの種そのものだった。

「さぁアリス様、その種は拓真様のものです。どうぞお渡しください」

 アリスちゃんは種の欠片を一つ残らず拓真君の手のひらに移した。割れていても大切なものらしく、拓真君は受け取った種の欠片を部屋へ仕舞いに行った。

 アリスちゃんは機嫌を取り戻し、いつも通りにこにこしている。

 私は佳歩さんに訊ねた。

「拓真君とアリスちゃんは、まだ種熱に掛かったりしないんですよね?」

 佳歩さんは笑った。

「ええ、もちろんです。継承してから一ヶ月でそんなことになったりはしません」

「よかった……」

 私は胸を撫で下ろした。本当の継承の種だったら、拓真君とアリスちゃんはいなくなってしまうのだ。

 佳歩さんによると、アリスが空種を出すのは一度とは限らないそうだ。大抵のアリスが二、三度は出すらしい。

「四回も出した子はさすがにいませんでしたが、このアリス様はどうなるのでしょうね。こればっかりは個人差がありますから何とも言えません」

「佳歩さん、空種か本当の継承の種か、見分けはつくんですか?」

「空種はできてからすぐに目から落ちますが、本当の継承の種は大抵瞼が膨らみ始めてから一週間は瞼の下に留まります。瞼の膨らみは誰にでも分かるものですから、みんなそれで覚悟を決めるんですよ」

「そうだったんですか……」

 私も裕次郎のアリスをつぶさに観察していたら、継承の種が落ちる予兆を感じたのかもしれない。

 多くの付き人とアリスを見送ってきた佳歩さんは、アリスちゃんの頭を撫でながら、切なげに目を細めた。

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