第29話 空白

 十一月に入り、寒さも深まってきた。日差しがあっても風が冷たい。拓真君とアリスちゃんは上着を着て学校へ行くようになった。屋敷の応接室で点けてくれるファンヒーターも、ぼうぼうとよく燃えている。

 私が拓真君に対して違和感を持ったのは、森の中の石碑にお参りしたときだった。私が先導される立場で拓真君に導かれたこともあって、普段より背中が頼もしく見えたのだけれど、何に対して違和感があったのかは、佳歩さんと話しているうちに分かった。

「拓真さんはこの一年で十センチも背が伸びたのよ」

 中学に入ってから成長期に入り、ぐんと背が伸びたとのことだった。今まで私とは顔一つ分身長が違っていたけれど、いつの間にか追い付かれてきていたのだった。

「ぶかぶかだった制服もちょうどよくなってきたのよ。三年間、あの制服で間に合うといいけれど」

 佳歩さんは笑った。

 毎日のように顔を合わせているのに、私は拓真君の成長に全く気が付かなかった。小さく幼かった拓真君も、中学生になって背が伸び、精神的にも少しずつ大人に近づいていたのだった。綺麗に背筋を伸ばした姿や、私を気遣う言動の端々に、大人の鱗片が潜んでいた。何となくいつもと違うと思ったのは、私が拓真君の成長に気付いたというだけのことだった。

 佳歩さんと一緒に拓真君の噂をしていると、拓真君本人がアリスちゃんと一緒に応接室に入って来た。アリスちゃんは挨拶代わりに私に抱きついてくる。

「こんにちは、二人とも」

「里奈さん、こんにちは」

 拓真君は喋らないアリスちゃんの分まで挨拶をしてくれた。本人を目の前にすると、確かに目線が今までと違う。心なしか、顔の輪郭もすっとしたように見えた。

「拓真君、背が伸びたんだね。私、ちっとも気が付かなかったよ」

「いいえ。いつの間にか伸びているものだから、僕自身もあんまり分からないんです」

 拓真君は笑った。

「そのうち声も変わりますよ」

 と、佳歩さんが言った。ビー玉のように澄んだ高い声が、大人の低い声に変わっていくなんて、想像もできない。

 裕次郎はどうだったんだろうと思い返してみたけれど、仲良くなったのが中学三年の後半だったから、そのころにはもう背も高かったし、声も低くなっていた。小学校時代は小柄でも長身でもなく、背の順で並んだときは真ん中くらいだった。ほとんど喋らなかったから声は覚えてないけど、きっと今では想像もできないくらい、高くてころころとした声だったんだろう。こうして考えてみると、保育園時代から顔も名前も知っていたはずなのに、それ以外のことは何も知らない。仲良くなって、交際にまで至ったことの方が、やはり奇跡みたいなものだったんだろう。

 記憶を辿っていくうちに、保育園時代のことも朧気に思い出した。裕次郎はこのときから物静かな子で、いつも面倒見のいい誰かに手を引かれていたような気がする。私も一度だけ、園庭に誘って手を引いたことがあった。

「行こうよ、ゆうじろうくん」

 そう言って手を引っ張ると、今まで恥ずかしそうに隅っこに佇んでいた裕次郎は、みんなに混じって楽しそうに快活に遊び始めた。

 家もそこそこ近くて親同士も仲がよくて、毎日同じ学校に通っていたのに、私たち自身は成長とともに関わりがなくなり、日常を共有することもなく、中学三年になるまでろくに話もしなかった。本当に遠い人だった。学校以外の場所で裕次郎が何をしていたのか、私は全く知らない。

 応援団の係になったとき、はにかみながらも懸命にダンスの練習をする裕次郎の姿に心惹かれた。不器用だけれど、自分の与えられたことをひたむきにこなしていく、その真剣さが好きだった。この人のことは何も知らないけれど、ずっと見ていたい、そんな風に思った。

 裕次郎は短命じゃなくても、きっと最後まで、自分の寿命を懸命に生きたのだと思う。そういう人だったから。

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