第19話 鍵

 それは、二ヶ月前のことだった。私の誕生日に、裕次郎は一つの小箱をくれた。手のひらに収まるほどの小さな箱で、中には鍵が入っている。

「これ、何の鍵?」

 そう訊ねてみたけれど、いずれ分かるからと言って、はっきりとは教えてくれなかった。

「悪いけど、これを一年間、失くさずに持っていてくれると嬉しい。そのときに、分かるはずだから」

 そう言った一ヶ月後、裕次郎はいなくなってしまった。

 机の一番上の引き出しを開け、裕次郎からもらった鍵入りの小箱を手に取る。何の鍵なのか、改めて訊きたくてももう訊けない。一年後にはいなくなっているのが分かっているのに、あえて一年間鍵を失くさずに持っていてくれと言ったのだ。

「持っていてくれるだけでいい。それ以外、何もしなくていいから」

 そう言われたものだから、小箱の蓋には『一年間取っておくこと』と、私のメモ書きが貼ってある。裕次郎はどんな気持ちでこれを渡したんだろう。死別のときが迫っていたのに。

 あのとき見た裕次郎の横顔を思い出して、ふと胸が熱くなった。裕次郎はいつも遠くを見ていた。何を見ていたのかは分からないけれど、柔らかな目で真っ直ぐ前を見ていた。どんなときも暖かな光の幕を纏い、その幕に遮られ、直接裕次郎に触れることはできないように思われた。隣にいるのに遠い人。そんな人だった。

 まだ裕次郎がいなくなってから一ヶ月も経っていない。約束の小箱はそのときが来るまで引き出しに仕舞っておく。

 柊吾さんとの約束があるので、今日も仕事帰りに朝永屋敷に立ち寄った。佳歩さんも偵察人がいることに何となく気が付いていたようで、笑いながら言った。

「連れていらしたらどうですか? その方の仰る通り、直接お話しした方が早いですよ。どのみち、隠し事なんてすぐに綻びが出るものです」

 佳歩さんは驚くほどあっさりと言った。

「心配することはありません。何かあったら私が何とかしますから、ぜひ連れていらして下さい」

 そういうことだったので、柊吾さんにもその通り伝えた。

 もし蓮さんという人が朝永家の実子だったら拓真君はどう思うんだろう。大袈裟に取り乱したりはしなくても、傷付いてしまわないだろうか。明日の夕方、柊吾さんも都合が付くと言うから連れて行くけれど、どんな話になるのか想像がつかない。幸い、拓真君は部活があるので同席しない。

 蓮さんのことが分かったら柊吾さんは朝永屋敷から手を引くんだろうか。私たちのように、どこまでも深く関わっていくつもりなんだろうか。

『蓮さんのことが分かったら、柊吾さんはどうするつもりなの?』

 思わずそんなメッセージを送った。返事はすぐに来た。

『どうするってどういうこと』

『朝永屋敷からは手を引くの?』

『そんなことまではわかんないな、なりゆきしだいなんじゃね?』

 そう返事が来た。柊吾さんはあっけらかんとしている。『それもそうだね』と返信しようとした途端、『ところでおれをあさながやしきにちかづけたくないりゆうってなに』と、またメッセージが来た。平仮名ばかりであまりに読みにくく、思わずぎょっとした。指で文字をなぞりながら、頭の中で漢字変換をしていく。私は用意した返信を消して、『詳しいことは話せないけど……もうちょっと漢字使ってほしいな。読みにくいよ。』と送った。

『は、めんどいんだけど』

 文字越しだとよく分からないけれど、多分、むっとしたんだろう。私に指摘されて意地になったのか、『アシタヨロシク』と今度は片仮名で送ってきた。

『wakattayo makasete』

 私も負けじとこう送ってみると、柊吾さんも『yoro』と送り返してきた。

 取っ付きにくいのか親しみやすいのか、どっちなのか分からない。私はスマホを閉じて、ばったりと横になった。何となく何かがおかしくて、小さく笑ってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る