第17話 生まれた日

 今週、里奈さんは早番で仕事が早く終わるらしく、五時過ぎにはもう屋敷に来た。僕とアリスが宿題を済ませて本を読んでいるときに、「里奈様がお見えになりましたよ」と佳歩さんが教えてくれて、二人で応接室へ飛んでいった。僕よりアリスの方が喜んで、里奈さんに飛び付くほどだった。

「アリスちゃん、こんにちは。どうしたの、いきなり飛び付いてきて」

 里奈さんは笑いながらアリスの肩を抱き止めた。

「ごめんなさい、里奈さん。駄目だよアリス、いきなり飛び付いちゃ」

 僕が言うと里奈さんは手を振って、

「いいのいいの。平気だから」

 と気遣ってくれた。

 早番で仕事が早く終わると言ってもやらなければならないことは山ほどあるようで、里奈さんは色紙いろがみを切り始めた。

「ごめんね。今月、誕生日の子が多くてバースデーカードの準備で忙しいの」

 そのカードに使う色紙を切っているのだった。

「そういえば拓真君、聞いたわよ。来週お誕生日なんですって? そんなこと知らなかったから、去年はおめでとうも言えなかったね」

「いいですよ、そんな」

「アリスちゃんのお誕生日はいつなの?」

 アリスは電話台の卓上カレンダーを持ってきて、指を差した。十月五日。アリスが種を呑んだ日だった。

「本当にそれがアリスの誕生日なの?」

 僕が驚いて訊ねると、アリスは無邪気に頷いた。

「そっか……」

 里奈さんはアリスの意を汲んでくれた。

「それがアリスちゃんのお誕生日なんだね」

 アリスは自慢気に大きく頷く。赤ん坊としてこの世に生を受けたのが本当に十月五日だったのかは分からない。アリスの親はもう妃本立ひもとたちを去って、どこに行ったのか分からないし、本人も種を呑んだ日を誕生日だと言っている。本当の誕生日を知ることができるのなら知ってみたい気もするけれど、強いて探る理由もないから、それがアリスの誕生日ということでいいんだろう。

「二人とも、誕生日近いんだね。半月しか変わらない」

 里奈さんはカレンダーを見ながら言った。

「佳歩さん、何かお祝いするのかな?」

「いつもはケーキでお祝いしてくれるんですけど、今年はどうだろう。もう付き人になってしまったし」

 あと二年しか生きられないのに祝う意味なんてあるんだろうか。もっとずっと長く生きられるのならいいけれど、寿命が決まってからお祝いしてもらうのも、何だか変な気がした。

「きっといつも通りしてくれるわ。だって、拓真君もアリスちゃんも、ちゃんと生きてるんだもの」

 里奈さんはそう言ってくれた。

 夜、付き人の部屋で過去の日誌を捲っていると、一つだけアリスの誕生日に関する記述があった。読んでみると、やはりこのときのアリスも種を呑んだ日を誕生日としているようだった。僕も『アリス』という習わしの記録のために、一筆書き記しておいた。


 アリスは種を呑んだ日が誕生日となるらしい。僕のアリスは十月五日。本当の誕生日も知りたいけれど、もうアリスにとっては、何の意味もない日になってしまったのかもしれない。種を呑んだ日を誕生日とするくらいだから。


 アリスにとって種を呑んだ日は重要なアイデンティティーになるのかもしれない。僕だって孤児だから、今まで聞かされてきた誕生日が本当に正しいのかどうか分からない。だけど、佳歩さんは特別な日として毎年欠かさずお祝いをしてくれた。十月二十日に生まれたということは僕の個性の一つだ。今さら失おうとも思わない。

 日誌を閉じて、ベッドに飛び込む。

 この不思議な習わしは何だろう。昔から触れてきたもののはずなのに、ちっとも僕の手の中に収まってくれない。当事者でありながら、何が起こっているのか分からない。目を覚ましながら夢の中にいるような、そんな感覚だった。

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