第16話 学校
付き人の仕事内容は細かくはっきりと決められているわけではない。ただアリスに寄り添う、それだけが使命として与えられている。さすがに学校まで付いていく付き人はいなかったようだけれど、僕らはクラスが同じだから学校でも一緒に過ごす。といっても、席は離れているし、普通の友達とはちょっと違うので、積極的に関わることはない。事情を知らない人たちに詳しく説明するわけにもいかないので、いつも通り振る舞う。
アリスの生まれ名は消滅し、周りの人たちも彼女のことをアリスと認識している。名簿まで書き換わったというのだから不思議だ。生まれ名を覚えているのは名付けの親だけだというけれど、みすみす朝永屋敷に娘を取られるような親のこと、アリスの本当の名前なんて、もう呼ぶこともないんだろう。呼ぼうと思っても、もう呼べない。彼女はアリスになってしまったのだから。
賑やかな同級生たちの中で、僕らは今日も静かに過ごす。アリスの付き人になってから、学校生活の苦痛も僅かに和らいだ。アリスのためにここにいるのだと思うと、一人で外を眺めているのもつらくはない。アリスは本を読んでいる。乱れのない黒髪が綺麗だった。
いつの間にかチャイムが鳴って、五時間目の数学が始まった。午後の日差しがゆっくりと傾いていく。月曜日は五時間目で授業が終わり、部活もない。掃除とホームルームをして放課になる。帰り支度で賑わう教室を出て、僕らは家路に就いた。
アリスは種を呑んだ日と同じように、少し離れて僕の後に付いてくる。周りの田んぼは稲刈りが済んで、乾いた土の上に烏が歩いていた。学校から少し離れたところで誰もいなくなったのを確認し、アリスの方へ振り向く。
「おいでよ、アリス。もう誰もいないよ」
そう呼び掛けると、アリスは微笑んで僕の隣に並んだ。誰かと一緒に帰るなんて今まで経験がなかった。二つの影が伸びている。足音も二人分。僕と、アリス。当たり前のことだけれど、生きている。生きて動いて、何かを感じて、考えている。僕もそうだ。アリスもそうだ。みんなそうだ。生きて、考えている。
一緒に並んで歩く。こうしていることが僕らにとって極当たり前のことで、大切なことのようにも思われた。種を呑んで変わったのはアリスだけではない。僕自身も何かが変わった。心が暖かくなる、それはこういうことなのかと、何となく分かりかけた。アリスの微笑みを見ていると、僕も笑いたくなる。
「アリス、テストはどうだった? 良かった?」
今日返ってきたテストの話をすると、アリスは無邪気に頷いた。
「そっか。僕は可もなく不可もなくってところかな。いつもと似たような結果だったよ」
アリスは『そうなのね』と言うように頷いた。言葉がなくても何となくアリスの言いたいことは分かった。種で繋がった者同士、不思議と通い合えるのだろうか。暖かい秋風が田んぼの上を渡った。
「ねぇ、アリス。僕はね、付き人になってからよく考えるんだ。今までのアリスや付き人は、どんなことを考えながら生きてきたんだろうって。つらかったのかな。不安だったのかな。幸せな日もきっとたくさんあったんだろうな。そんなことを考えるんだ。僕たちはどうなるんだろうね。まだ始まったばかりでよく分からないけれど、僕はアリスと一緒にいられて嬉しいよ。最後まで頑張ろうね」
アリスは僕の隣で元気よく頷いた。この子は死に向かって種を呑んだはずなのに、微塵も死の影を背負ってはいない。却って僕を元気付けてくれるほどだった。僕らは二年後、一緒にこの世を去る。それが、良いことなのか悪いことなのかは分からないけど、人生の最後にこの子と一緒にいられることは、とても幸せなことだった。
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