一章 魔法使いになれました
1話 魔法が使えるだけの世界に、訳ありそうな女の子がやってきた
トラックの力抜きでも、彼は違う世界に行けてしまった。しかも魔法付き。
「しっかしなあ、これかあ……」
中流階級の平和な家庭に生まれた彼は魔法がある世界に大層喜んでいたが、『現実』にあるのはやはり書類の山だった。この世界は魔法が確かに存在する。だが、いくつかの違いを除いて元の世界と変わらなかった。機械で動くものが魔法で動くようになった、みたいなことばかりである。テレビがあってスマホもあって、国同士が競い合う。彼の机には電子系の魔法工学が生み出したパソコンがあり、ガラス一枚が青白い光を放ちディスプレイの役割を果たす。結局彼の机にあるものも、日常を取り巻く気苦労も変わらないのだ。笑えるオチだよなあ、とかつてのように苦笑する。
何気なく窓から外を見下ろす。ここは王都の一つ隣、商業都市サングーリアン。オフィスビルが立ち並び、それらを囲むように住宅地と複合型デパートが列をなす。ファンタジックな名前と裏腹に、見事に都市開発されたオフィス街であった。もちろん機械ではなく魔法によって街の生活は回っているのだが、ただそれだけのことである。かつてとなんら変わらない、面白味のない景色。中々皮肉の上手い神に気に入られたもんだと、春の陽光を浴びながら彼は思う。
「おーいレヴィン、打ち合わせ始まるぞ。工業系のシステムはお前がいないと誰も分からねえよ」
「悪い、今行くよ」
魔法といっても、ヒョイと杖を振ればなんでも出るわけではない。大規模な魔法は魔法陣を組み合わせたそれ相応のシステムを構築する必要がある。転生した彼、レヴィン・セレナードは大企業ロジカル・マジェスティクスに勤めるシステム屋である。23歳の入社5年目で、作業の早さと的確な設計により評判は上々だ。今日もテキパキと要件を話し、周囲を納得させた。
「疲れた…… なんで僕ばっかが喋る羽目に」
「お前にしか分からんからだろ」
「リディも半分くらいは知ってただろ! 任せっきりにして」
「まあまあ、貸しひとつさ」
「これで53だぞ……!」
同い年のリディ・アルセナルとどつき合う。騎士団の家系に生まれたが、自身は一族の跳ねっ返りとして技術職につき、レヴィンと肩を並べて都市の生活を支えている。中途採用の3年目だったが、既にかなりのスキルを持っていた。
「それにしても、あれだけ出来ればエンジニアとしてもっと上に行けるだろうに。うちが腕利き揃いの超巨大企業とはいえ、お前なら最先端技術の開発に加わることも間違いなくできるぞ」
「うーん、そうかなあ……」
「結構話題だぜ、泥臭くて地味なインフラ部門に凄腕がいるって。開発側のお偉いさんもお前に目をつけてるとも聞くし」
「だとしてもねえ……」
「なんだよ、あそこは偏屈な野郎ばかりで嫌だってか? 安心しろよ。女だらけだとしてもレヴィンにできることは何もない」
「見くびられては困るんだよ!」
鋭く切返しながら、少し遠い目をする。同僚の言うことはもっともであり、スキルも根気も、レヴィンは備えていた。しかしなんだろう、このやる気があってもやりがいのない感じは。魔法があって、そこまで残業もない世界。かといって、「これが君の望んだもの?」と言われたとき首を縦にふれるだろうか。
そう、彼はまだ世界の狭間にいるのだ。魔法をいくら使えても、今の彼は昔と変わらぬサラリーマン。一体、生まれ変わることに何の意味があったのだろう?
「ま、つってもお前が抜けたらインフラ構築課はガタガタだけどな。恋も仕事も高望みせず頑張ってくれよ」
「そう言うお前も同類だろうに」
「仕事はそうかもな。しかしプライベートは優雅なもんさ」
「ただの遊び人だろ。浮足立ってると言えよ」
「浮くだけの力も持たない坊ちゃんがなんかほざいてるなあ?」
「ぐぐぐ……」
「ルックスはそこまで悪くないんだけどな。年上の姉ちゃんとかには気に入られそうな感じはする」
リディが彼の低身長を馬鹿にするかのように頭を撫でる。前世の童顔はここでも引き継がれてしまった。
「確かに、お姉さんに甘えたい気持ちはある」
「お、とっておきのバーにでも行くか? 誰にも行ってない名店があるんだぜ。仕事の貸しは全部チャラに出来そうな姉ちゃん揃いだよ」
「なに……!」
レヴィンの瞳が光ったが、はっと思い出したような顔をした。
「いや、お手伝いデバイスに新しい命令を仕掛けたんだ。あれは18時から20時半と20時半以降で挙動が違ってて、後者はテスト済みだからすぐに家に帰らなきゃ」
「そんなんどうでもいいだろ! 明日やれ明日!」
「そうだけど、明日以降残業あったら延々テストできないし……」
「きれいな姉ちゃんとクソも愛嬌がないお手伝いデバイスのどっちが大事だ! レヴィン・セレナード!」
「ぐぎぎ……」
「正気を保て、オタクエンジニア!」
「よし、決め……」
「え、レヴィン先輩がバーなんて行くんですか? そういうとこには興味がない、まじめな人だと思ってたのに……」
そのとき、小柄でふんわりした容姿の女性社員がやってきた。前の世界にいた城間と少し似ている。
「何言ってるのハルちゃん、僕はそんなとこ行かないよ。今日もスキルアップを兼ねて家で魔術式の勉強さ」
「やっぱり先輩は凄いです! 課でもエースなのに、ずっと努力し続けてて。憧れです!」
「えへへ…… へへ……」
呆れた目で見つめるリディから、ゆっくり首を逸らした。技術屋不相応のルックスから「奇跡の新人」と称されたハル・リジェネスの期待に応えないわけにはいかない。だが彼は、これでまた一つ己の可能性を消してしまった。
「じゃあ、僕は帰らせてもらうよ。またねハルちゃん。それとリディ」
怒れる遊び人の視線に耐えつつ、彼は退社した。上手くいかないのは、結局どの世界でも同じなのだ。
こういった事を繰り返しているから、今日も彼は複合型デパートのフードコートで家族とカップルに囲まれ、独身者に大人気のピザ屋である、ファニーロンリーのコスパピザを食べる羽目になる。手早く食べ終えると、レヴィンはそそくさと退席しようとした。
「こうも、分かりやすいくらい独身サラリーマン丸出しの男っているのね」
どうも、いつもとは展開が違うらしい。十代後半と思われる女の子がレヴィンの対面に座った。
「え、えーっと、何用で?」
「あたしに聞きたいことがあるなら、その気持ち悪い聞き方を直すところから始めて」
無茶を言うな、と彼は思う。明らかに口はきつかったが、容姿がここまで整っている少女の前では慌てふためいてもしょうがない。聡明そうな、大きく涼し気なライトブルーの瞳と黒の艶やかなセミロング。少し向こうっ気の強そうな感じはあったが、むしろ彼女の気高さを示しているように見えた。それでいて超名門高であるアルスクライン・スクールのブレザーを身に纏っているのだから、衆目の目を浴びるのは当然とも言える。
「そ、それでどういう話でごじゃりましょうか」
「さっきより気持ち悪い!」
お洒落なプラコップで机をドンと叩く。女子に大人気のクールかつリッチな喫茶店、ムーンプロントのカフェラテ(サイズがSとかMじゃなくて意味わかんないやつだ。魔術言語かよ。レヴィン談)であることが既に歴然とした差を示していた。早くもゴシップの気配を感づいたのか、周りの視線が一斉に向く。レヴィンは恥ずかしさで逃げ出したかった。
「い、一時休戦を……」
「ふざけないで! こっちは時間がないのよ」
「じゃあ、気持ち悪い言い方直す必要なくない……? 僕は無罪でよくない……?」
「無駄に韻を踏むな! いちいち細かいことを気にするのね、だからモテないんじゃないの?」
「いや、優しすぎて男に見られないっていう、よくあるパターンだよ」
「なんでそこは的確なのよ!?」
意外にもレヴィンの方が調子づいてきた。
「でさ、結局なんで僕の席に来たの? 流石に『一目ぼれで、意を決してここに来ました』ではないことは分かる歳だけど」
「んなわけないじゃない。別にあんたじゃなくても良かったんだけど、時間がないから手頃な奴として選んだのよ」
「逆に言えば、ごった返すフードコートの中でも僕が最適ってこと?」
「そう。少なくとも家族がいる人や、カップルは絶対無理。危険なことを頼むから」
「僕の命は無視かよ」
「無視はしてないわよ。でも、マシっちゃマシでしょ」
「お前ロクな死に方しないぞ!」
「思ったより反抗的になってきたわね。それくらいでいいわよ」
「上から目線を……」
レヴィンは気が強いほうではなかったが、噛みつかれたら噛みつき返すタイプではあった。
「周りの目が痛いから、とっとと本題に入ってくれよ」
「こっちは慣れてるけどね、元帰宅部は言うことが違うわ」
「魔術式解析部に入ってました!」
「え、どの学校も部員オタク率10割のあれ? やっぱやめようかな……」
「うるさい、そのおかげで技術者としてはエリートなんだぞ」
「ま、確かに護身術程度の魔法は使えそうね。採用」
「採用には喜んでおくから、登用された僕に作業内容を教えろよ」
「あんたの家に最低でも一週間泊めさせて」
周囲がざわついた。レヴィンもテンポよく彼女に返せなかった。
「拒否権はないから、とっとと行くわよ」
「いやいやいや! いやいやいや!」
「拒否権はないの、早く」
「いやいやいや! いやいやいや!」
「人の言葉をしゃべりなさい!」
「いやいやい…… はあ、はあ……」
深呼吸して、彼はなんとか正気に戻った。
「え、あれですか?『一目ぼれで、意を決してここに来て、あなたとくんずほぐれつしたい』的なあれですか? それとも、『一目ぼれで、意を決してここに来た訳ではなく、家に着いたらゴツい男数人でカツアゲしてくる』的なあれ?」
「どのあれでもない! 単に寝泊まりする的なあれよ。体に触れたら殺す」
「そんなあれはない! ファンタジーの世界だ」
「あるのよ」
そういった瞬間、彼女の表情が一気に深刻になった。
「とにかくここを出るわ。そろそろ危ないから」
カフェラテを飲み干して立ち上がると、こちらには目もくれず歩き出した。
「なんなんだあいつは……」
レヴィンは見送りながら歯ぎしりしていた。いくら非日常的な展開でも、ここまで不愉快では論外だ。とはいえ、あの子もなにか事情を抱えているのは確かでもある。
「うーん…… 報酬としてアルスクラインの可愛いクラスメイトを紹介してもらえるなら、割りに合うかな。いや、訳あり感ぷんぷんだし、どう見てもヤバそうだし…… そもそも元魔術式解析部はウケが悪すぎるし……」
なんとか着地点を探そうとしているようだった。背中は段々と遠のいていくが、彼女は振り向こうともしない。毅然と歩く流麗な後ろ姿が、彼にはやけに寂しく見えた。なぜ彼女は振り向かないんだろう。自信に満ちた背中は、どんな荷物を背負っているんだろう。
「クラスで二番目に可愛い子と会えるなら、受けてやろう」
なんとなく思ったことが振り払えず席を立って追いかけた。彼にとってクラス一は現実味がない世界だった。そのことを、彼女がどれほど非日常的な世界にいるかも知らず、今はそう思う。
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