第52話

 自分の部屋に戻ると、殺風景な風景が僕を迎えいれた。

「全部処分したんだった……」

 家具という家具が撤去された室内は今すぐにでも引越しできそうだ。残っているのは思い出深いものと必要最低限の生活用品だけだ。

 唯一、飾り気があるとすれば壁にかけられたコルクボードだろうか。ここには加賀さんに撮ってもらった野宮との写真が貼ってある。

 僕はコルクボードから写真を剥がして手に取った。

 写真の中で僕と野宮がカメラ目線で笑っている。やはり彼女は存在していたのは間違いない。それが生者か死者かは分からないけど。

「もし幽霊なら、これも立派な心霊写真だな」

 写真を元に戻して、部屋の中を振り返った。その時、部屋の真ん中に写真集が落ちているのに気づいた。

「あれ? ちゃんとしまったはずなのに……」

 拾い上げてパラパラと適当にページをめくった。美しい星空が何枚も通り過ぎると、ページの間にさくら色の便箋が現れた。

 こんなもの挟んだっけ? と思いながら二つ折りにされたそれを開いた。中は文字がびっしり書かれていて、どうやら手紙のようだった。

 はじめにボールペンで、天原さんへ、とあった。女の子らしい丸っこい字だ。

 僕はその先を読んで息を呑んだ。——これは野宮からの手紙だ。

 この写真集は購入してから一度も外に出していない。僕に気づかれずに手紙を挟めるのは彼女ぐらいなものだ。

 文面は次のように続いていた。


『天原さんへ

 急にいなくなってしまってごめんなさい。さぞ混乱していることでしょう。

 信じてもらえないかもしれないですけど、実は私すでに死んでいるんです。天原さんと初めて出会ったあの公園のブランコで一年前に首を吊って自殺したんです。

 天原さんとの日々が楽しくてそのことを忘れていました。

 自分が生者だと錯覚してしまってたんです。

 自分が幽霊だと気づいたのは天原さんと莉奈が私を助けてくれた時です。莉奈に思いっきり抱きしめられて霧が晴れるように過去のことをすべて思い出しました。

 一年前、私はいじめや親戚家族に邪険に扱われたことを苦にあの公園で突発的に命を断ちました。

 死んだらすぐに天国に行けると思ってたんですが違うんですね。気がついたらぶら下がっている自分の遺体の前に立っていました。そこでしばらく待ってたんですけどお迎えはありませんでした。それから何度も何度も首吊りを試みましたがやはり成仏できない。そんな時、あなたに出会ったんです。

 天原さんはあの時、私を止めながらこう言ってくれましたよね。「死ぬ前にやり残したことはないのか」って。それで私はピンときたんです。私が成仏できないのはこの世界に未練があるからじゃないのかって。

 私は成仏すべく天原さんを半ば脅迫する形で〈やりたいこと〉を済ませることにしました。いくつかこなすうち、今度はちゃんと成仏できるだろうと手応えを感じました。そしてその反面、成仏したくないとも思うようになりました。

 私のわがままに文句を言いながらも手伝ってくれるあなたの優しさに心地良さを感じてしまったからです。皮肉ですよね。成仏するために利用したのにそれが原因で成仏したくなくなるなんて。

 こんなことになるなら死ななければよかった。そう後悔した頃には遅かった。

 天原さんには私と同じ思いをして欲しくなかった。だからラムネ菓子を死ねる薬と偽って渡しました。あなたが飲んだのは薬ではなくひと袋百円のラムネです。

 騙してごめんなさい。……謝ってばっかりですね。でも私は天原に死んで欲しくなかったんです。あなたほど優しくて思いやりのある人はほかの人を幸せにできる人です。天原さんと過ごしたこの二ヶ月間が幸せだった私が言うんだから間違いないです!

 そんな逸材がいなくなるのはこの世界の損失です。天原さんは自分で気づいてないみたいですけど。

 だから天原さん、どうか生きていてください。


 この世の最後の思い出が天原さんとのもので幸せでした。ありがとうございました。

                                 野宮優月


追伸 莉奈は真実を知るときっと自分を責めてしまうと思います。そんな時は、天原さんが彼女を支えてあげてください。私の最後のわがままを聞いてください。お願いします。』


 ポタリと落ちた涙が便箋に染みをつくった。

 涙がこぼれないように僕は上の方を見た。窓ガラスがパチパチと降り始めた雨を弾く音がする。

 雨音の中、僕は静かに嗚咽を漏らした。

 僕は知らず知らずのうちに彼女がこの世から消えてしまう手伝いをしてたなんて……。こんなことなら旅行なんて行かなければよかった。

 野宮……どうして死んじゃったんだ。僕をおいて行かないでくれ……。

 その時、スマホが震えた。画面を見ると倉井からの着信だった。手の甲で涙を拭って、通話ボタンをタップした。

『おい、優月そこに居るか⁉』

 倉井は通話が繋がった途端、切羽詰まった口調で訊いてきた。

 鼻をすすりながら答える。

「野宮は……野宮はもう、いないんだ」

 野宮のことを口に出すとせっかく引っ込めた涙が溢れて、思わずしゃくり声をあげてしまう。

『泣いてんのか?』

 倉井は戸惑った様子だ。

 当然だ。電話をかけた相手が泣いていたら誰だって戸惑う。だが僕は弁解する余裕もなくただ唸るしかできない。

「…………」

『大丈夫か? 一体どうなってんだ! 優月からは変な手紙が届くし、オマエは泣いてるし」

「手紙?」

 気になる言葉に僕は濡れた声のまま聞き返した。

『ああ。差出人が優月の名前で、私は一年前に死んでいるんです、って内容だった。イタズラかと思ったけど、これは優月の字だ。それで気になってあいつに電話したんだけど、繋がらなくって。で、オマエにかけたってわけ。なんか知らないか?』

 倉井のところにも野宮からの手紙が。僕と同じだ。

「その手紙、うちにも置いてあった。内容も似たようなものだ。野宮が死んでたって」

『マジか! もしかしてそれで泣いてたのか?』

 そうだ、と答えるのが急に恥ずかしくなって僕は黙っていた。するとそれを肯定ととった倉井はカラカラと笑った。

『バカだなあ。本当のわけないだろ? つい最近あいつに会ったばかりじゃんか』

「……本当なんだよ。たぶん……」

『はっ?』

「昨日、野宮と泊まりで旅行に行ったんだ。そして今朝起きたらいなくなってた。帰ってきてから彼女の家を訪ねたけど、家の人は野宮は去年自殺したってお墓の場所まで教えてくれた……」

 沈黙のあと、少し怒気を孕んだ倉井の声が言った。

『ふざけてんのか、怒るぞ?』

「ふざけてなんかない、今日あった本当のことだ!」

 僕も語気を強めた。その真剣さが伝わったのか倉井は押し黙った。

 そして再びの沈黙。

『マジかよ……。今から車で迎えに行く。だからその優月の墓ってところに行こう。なんか分かるかもしれねーし』

 それだけ言い残すと倉井は僕の都合を訊くこともなく通話を終わらせた。

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