第53話
それから三十分もしないうちに倉井はやって来た。黒いTシャツにモスグリーンのカーゴパンツ姿で現れた彼女は、僕を有無も言わさず乗ってきた軽自動車の助手席に押し込んだ。
さっきまで降っていた雨は、道路に水溜りを残していつの間にか止んでいた。水溜りは薄暮に浮かぶ街灯を写している。
助手席でそれを何気なく見ていると、ふとした違和感を感じた。
「倉井、君車の免許持ってるのか?」
「当たり前だろ。車の免許なんて十八歳になった途端に取ったわ!」
くだらないこと訊くなというふうに運転席に乗り込んだ倉井がバン! とドアを閉めて言った。
十八歳になった途端? おかしくないか? 十八歳なら高三になる歳だ。ならば倉井と同級生の野宮も高三のはず……。でも野宮は自分は高二と言っていた。高二なら十七歳だ。これじゃあ、計算が合わない。
「……あっ」
そこまで考えた時、パズルのピースが嵌るようにぴったりと辻褄が合うことに気づいた。
「本当なら野宮も高三だったんだ。でも去年死んだから年齢も止まったまま……」
「何ぶつぶつ言ってんだ? 出発するぞ。シートベルト締めろ」
シートベルトを締めると倉井はエンジンをかけた。鈍いエンジン音が鳴ると同時に車体が身震いを始めた。
「待ってくれ。……もし公園なんかで自殺したらちょっとした騒ぎになるはずだよな?」
「普通に考えてそうなるだろうな。警察も来るだろうし」
病院以外で人が亡くなると、事件性の有無にかかわらず警察が出動する。たとえ自分の家であってもだ。それが公共性の高い公園ならば尚更だ。
「なあ、倉井。先に図書館に寄ってくれないか」
「なんで?」
「去年の新聞を調べるんだ。公園で自殺だなんて本当だとしたら記事になってるはず」
ハンドルを握る倉井は、分かった、と頷くと車を発進させた。
閉館時間ギリギリで滑り込んだ図書館は、利用者の姿も少なく閑散としていた。
「来たはいいが、調べるたって日付分かってんのか?」
「いや。でも家の人は去年の今頃って言ってた。たぶん八月から九月の間だと思う。僕は九月を調べるから、君は八月を頼む!」
「任せろ!」
僕たちは手分けしてそれぞれ一か月分の新聞を洗い始めた。
月初めから月末にかけて、一部づつ特に地域面を重点的に調べていく。緊張で汗ばんだ手に紙面が吸い付く。破れそうになるのも構わずページをめくった。
最初の一週間分には火災に不審者情報、交通事故、果てはリニューアルオープンした府内の商業施設の紹介など、様々な情報が記載されていた。
だがどこにも公園で少女が自殺したというニュースはない。
やっぱり野宮が死んだなんて嘘なんだ。そう考えながら次の一週間分を調べ始めた途端、僕は凍りついた。
それは僕の誕生日の翌日——九月九日付けの記事だった。地域面の隅に『公園で少女が自殺か』という見出しの小さい記事を見つけた。
『8日午後9時50分頃、京都市藤見区の公園を通りかかった男性から、「公園内で女の子が首を吊っている」と119番があった。京都市消防局の救急隊員が駆けつけたところ、心肺停止状態の少女がおり、病院に搬送されたが、約1時間後に死亡が確認された。
死亡した少女は市内の高校に通う野宮優月さん(_17_)。捜査関係者によると、現場の状況から自殺を図ったとみられる。現場に遺書などはなく、京都府警藤見署が詳しい死因を調べている。』
——全身が粟だった。野宮は本当に一年前に死んでいた。しかもちょうど今日、僕の誕生日にだ。何か因果めいたものを感じてゴクリと生唾を飲みこんだ。
僕は声も出すことが出来なくなって、隣で八月分の新聞を調べる倉井の肩をバシバシ叩いた。
「なんだよ! 痛いって!」
目を尖らせて振り返る彼女に例の記事を指差す。すると彼女も察したようでハッとした。
「見つけたのか⁉」
僕が頷くと倉井は手にしていた新聞を放ったらかし、地域面の小さな記事に注目した。
「……嘘だろ? 違うよな、同姓同名の別人だよな? 優月が死んでたなんて……」
潤んだ声で倉井はこっちを向いた。目尻はたれて今にも涙がこぼれてしまいそうだ。
「別人だって言いたいけど……たぶん彼女だ」
「嫌だ、私は信じない! たしかにあいつは存在した!」
「僕も信じたくないよ。でもこの狭い街で氏名年齢、自殺場所まで同じ別人がいるわけないだろ」
倉井が僕よりもパニックになってくれたおかげで、逆に冷静に考えることが出来た。
この記事の少女は野宮だ。現に彼女はここにいないし聞いた話通りだ。僕たちが会って話していた相手は幽霊だった。新聞記事の裏付けを得てこの説の真実味がさらに増した。
「まだだ。墓を見に行こう。どうせその住所も嘘っぱちだ!」
二ヶ月分の新聞を返して僕たちは図書館を出た。外はとっくに日が暮れていて、空には月が顔を出している。夕立ちで湿ったアスファルトを車まで歩いていると秋の虫の声が聞こえてくる。静かな夜だ。
そんな静寂を裂いて倉井が駆けて行く。その足音からは倉井の焦りがみえた。
彼女はいち早く車に飛び乗るとエンジンをかけて窓から顔を出した。
「早く乗れ!」
促されて小走りで助手席に乗り込むと僕がシートベルトを着けるよりも先にタイヤが軋り音を立てて車は急発進した。
夜の国道を軽自動車はひた走った。
都市部を抜け車窓は山間部へものへと移ろいでいく。月明かりすら遮る木々は暗く、まるで僕たちを飲み込もうとする怪物のようだ。
ヘッドライトだけが頼りの山道を倉井は乱暴なハンドル捌きで進んでいく。道が蛇行するたびに車が右へ左へ大きく揺れる。どこかに掴まってないと遠心力で転びそうになるほどだ。
「もうちょっと安全運転できないのか」
「うるさい、黙ってろ。舌噛むぞ!」
肩を張ってハンドルを握る倉井は前方を一点に睨めつけている。その目は焦りと不安でいっぱいだ。
倉井も口ではああ言っていたが、内心野宮が死んでしまっていることに気づいているのだろう。きっと認めたくない一心で車を走らせているのだ。
これ以上チャチャを入れて事故でも起こされたら話にならないから、僕は口をつぐんだ。窓の外は相変わらず緑もとい闇ばかりでつまらない。
単調な風景を眺めていると、一日中走りまわった疲れのせいか眠気が一気に押し寄せた。
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