第51話
野宮の家は駅から十分ほど歩いた閑静な住宅街にある。何度か野宮と歩いたその道を僕は走った。早く彼女を見つけたいとはやる気持ちがそうさせたのだ。
レンガを基調としたデザインの家の前で足を止めた。シルバーのセダンも止まっている。彼女の家だ。
僕は息を整えてからインターホンを押した。呼出音の甲高いチャイム音が家の中から漏れ聞こえてくる。
——頼む、野宮よ居てくれ!
玄関から出てきたのは四十代ぐらいの中年の女性だった。たぶんこの人は親戚のおばさんだろう。彼女は見慣れぬ訪問者に向ける視線を僕に向けた。
「あ、僕は優月さんの友人なんですけど……」
そこまで言うとおばさんは絡まった糸が解けたような表情になった。
「あー、お線香あげに来てくれたのね。でもうちは仏壇を用意してないのよ。預かってただけの子だしね」
おばさんの言っている意味が分からない。どうして野宮=お線香になるんだ。まるで死んでるみたいじゃないか。
「はっ? 仏壇? まるで優月さんが亡くなったみたいじゃないですか」
「ええ、そうですけど。去年の今頃かしら」
怪訝そうに答えるおばさんの言葉に僕は頭を殴られたような衝撃を受けた。心臓が握り潰されるようにきゅーっと痛んで、背中が変な汗で濡れた。
「死んだって……なんで……」
するとおばさんは声を潜めて続けた。
「丘の上の公園で首を吊ったのよ。……あんまりこんなこと言いたくないけど、家族がいなくなったって言うからわざわざ引き取ってやったのに、こんなことになるなんて恩を仇で返すとはこのことよ」
公園で首を吊った? しかも去年だって?
「そんなはず……だって昨日も野宮と一緒に彼女の故郷まで……」
そこまで呟いて僕は口をつぐんだ。おばさんの僕を見る目が異常者を見るそれになったからだ。
僕は作り笑顔を浮かべてその場を取り繕った。
「ハハハ……。あの、お仏壇に手を……ってなかったんですよね。すいません……」
ごまかすように頭を掻く。おばさんは眉間に寄せたシワを伸ばすと、はあ、と息をついた。
「あの子のお墓の場所、教えてあげるわ。だからお参りしたかったらそっちに行ってもらえるかしら」
おばさんは一旦家に引っ込むと、しばらくしてから紙切れを持って出てきた。
「これお墓の住所。あの子の地元だから少し遠いけど」
「ありがとうございます……」
礼を言って住所を受け取るとおばさんはすぐに家に入っていってしまった。体良く厄介払いされた気もしないではないが、それどころじゃない。紙切れ片手に握りしめたままアパートへの道を歩く。
僕はあまりの衝撃に頭の中がぐちゃぐちゃになっていた。
だって、いなくなったと思っていた野宮は一年前に自殺していたというし、しかもその場所が丘の上の公園って。あそこは僕たちが初めて会った公園じゃないか。
体温が下がるのを感じた。
これが事実だとすると昨日まで一緒にいた野宮は誰だ?
一日ぶりにアパートに帰ると、姿勢を低くしてカメラを構えている加賀さんに会った。レンズが狙う方向には毛繕いをしている野良猫が一匹。
そしてカシャっというシャッターの乾いた音がした。
満足そうに立ち上がった彼は僕を認めると、ふわっと陽の光みたいな穏やかな顔になった。
「猫っていいよね。のんびりマイペースって感じで。私も次生まれ変わるなら猫がいいかなあ」
「えっ。はぁ……」
「そうそう。スタジオの手伝いの件、気が変わったりしてない?」
加賀さんのは、ほんわかした空気をまとって僕の元まで来た。そして僕の顔を見るなり彼は深刻そうに言った。
「君、顔が真っ青だよ。具合でも悪いのかい」
「いえ……。あの加賀さん、野宮を見かけませんでしたか?」
「野宮……?」
加賀さんはその名前自体に心当たりがないといった様子で頭の上にクエスチョンマークを浮かばせた。
「この前、僕と一緒に写真を撮ってもらった女の子です」
「写真? そんなもの撮ったかな?」
「撮ってくれましたよ。コンテスト用にとか言って」
それでも加賀さんは首を傾げている。まるで野宮に関する記憶が消えてしまったみたいだ。
「申し訳ない。思い出せないよ」
「そうですか……」
一体全体どうなってしまったんだ。部屋に戻ろうと歩き出した時、加賀さんの声がした。
「それで、その野宮さんという人がどうかしたのかい」
「訊いてくれるんですか?」
「うん、だって君、真剣そうだし。出まかせを言っているようには見えない。きっと写真の件も私が忘れてしまっただけだろう。さ、話してごらん」
「実は——」
昨日一緒に旅行に行ったはずの野宮が朝になるといなくなっていたことから、思い当たる場所を探したが見つからなかったこと、そしてこっちに帰ってきてから野宮の家を訪ねると、彼女は一年前に亡くなったと知らされ、お墓の場所まで教えられたことまで自殺に関すること以外はすべて話した。
加賀さんは僕の話を聞くと「うーん」と難しい顔をした後、口を開いた。
「それは野宮さんを騙る別人だったんじゃないのかな?」
「それはあり得ません」
そう言いながら僕は首を振った。
「別人ってことはありません。野宮はちゃんと自分の家に入って行ったし、彼女の友人も野宮をちゃんと『野宮』として認識していました」
「そうなると……」
また加賀さんは難しい顔になった。
「もし昨日まで一緒にいた野宮さんが本物とすると、その野宮さんはオカルト的な存在だということになるね……」
「それって幽霊ってことですか」
「ああ、そうだ」
一瞬の沈黙。猫が気怠げな鳴き声をあげて去っていく。
「いやいや! 幽霊なんかいるわけないじゃないですか!」
「そうとも言えない」
加賀さんは、真面目な目つきのまま続けた。
「僕も写真を長い間撮ってきた。するとね、たまーに撮れるんだ、心霊写真ってのが」
「……心霊写真」
僕の呟きに加賀さんは「うん」とうなずいた。
「そういうのは大抵、カメラ側の不具合で起きるものなんだけど、それでも片付けられない写真が撮れたりするんだ。そこにいるはずのない死者の顔が写ったりとかね。そんなの幽霊がそこにいたとしか考えられない。まさに今回の件みたいにね」
「でも僕は彼女に触れることができました。幽霊なら透き通るんじゃ……」
「どうだろうね。幽霊なんて非科学的なものに理屈なんて必要ないさ。あるのは野宮という少女が君のそばにいたという事実だけだよ」
夏の終わりを知らない蝉が思い出したかのように鳴き始めた。それが合図だったかのようにあたりの空気がひんやりした。
「急に冷えてきたね。私は部屋に戻るよ。野宮さんが見つかるといいね」
彼はそう言って自分の部屋に戻っていった。
ふと見上げた空はどんよりした雲で覆われていた。
遠くで雷の音が聞こえる。ここもじきに降り始めるだろう。
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