第30話

 やはり少し行き過ぎた質問をしてしまった。後ろめたさが波のように起き上がって僕の胸を締め付ける。それはこれまで金澤と奥本の二人に仕返しをして来たが、そのどちらでも感じることのなかった感情だった。

「あ、なんか悪いな。こんな顔見せっちゃって。恥ずかしい」

 倉井は人差し指で涙を拭うとはにかんだように唇を歪めた。

「どこかで休憩する?」

「ううん、大丈夫。これも全部、自分のせいだから」

 彼女は鼻をすすると、自分に言い聞かせるように言った。

 歩き出すと再び彼女は話し始めた。

「あたしがそう言ったらリーダー格の生徒は『じゃあ、莉奈がいじめちゃえば』って。あたしは嫌だって言いたかったけど、言えなかった。それから、あたしはその子に従うように優月をいじめた」

 彼女の声はまだ濡れていたが気にする様子もなく続けた。

「でも悪いことすると罰が当たるってホントだな。あたしが優月をいじめてしばらく経ったころ、担任の先生に呼び出された。その時、『ああ、あたしがやったことがバレたんだ』って直感で分かった。でも、これをきっかけにいじめをやめよう。先生にバレたって言えばリーダー格の生徒にも言い訳が立つし。もしだめならあたしも優月と一緒にいじめられよう。そう思って生徒指導室に行ったんだ」

 『一緒にいじめられよう』なんてなかなか言えることじゃない。小中学生時代いじめられていた僕だって石山にそんなこと言われたことはない。まぁ、そもそも石山は友達じゃなかったんだけど……。

 ともかく倉井が反省していることは本当のようだ。

「部屋に入ると担任は応接用のソファに掛けて待っていた。あたしが向かいに座ると担任はあたしのいじめ行為について話し始めた。あたしはその時『ついにバレた。これで終わらせる』って思ったよ。だけど現実はそうじゃなかった」

 倉井は少し躊躇うと覚悟を決めたみたいに自転車のハンドルをぎゅっと握った。

「担任はあたしの問題行動を指摘したあとこう言った。『俺は生徒とウィンウィンの関係でいたい。もし今、俺の要求を呑むっていうなら、野宮へのいじめについては目をつぶってもいいと思っている』そしてあたしの隣に座るとごつごつとした大きい手であたしの太腿を撫でてきた。それで担任の要求ってのが分かった。あたしは怖いやら腹立たしいやらで、力いっぱい担任を殴ってやった。そしたら、あいつ『助けてくれ!』って大げさ騒いで、それを聞いた別の先生にあたしは取り押さえられた。あたしはセクハラされたって何度も何度も訴えたけど、大人たちは担任を信用した。結局、いじめを注意した担任にあたしが逆上して殴ったっていう嘘の事実が公に認められて、あたしは学校をクビになったんだよ」

 僕は倉井の話の後半部分にデジャヴを覚えた。少し前に琵琶湖のほとりで似たような話を聞いた。もしかして──。

「あの、倉井さん」

 すると倉井は手のひらを僕に向けてストップのジェスチャーをした。

「たぶん、オマエの方が年上だろ? 呼び捨てでいいよ」

 彼女の気遣いは大変ありがたいのだが、年上だと思っていたのならばなぜ、今の今までずっとその口調だったのか。今までの話で根はいい子だと分かったが、なんだか腑に落ちない。

 モヤっとしたが、それより大切なことを確認しなければならない。

「ええっと、倉井。その担任って奥本という名前じゃないか?」

 その名を口にすると倉井は少し驚いた顔をした。

「え、オマエ、奥本を知っているの?」

「知ってるも何も野宮の仕返しリストの一人だよ。現在進行形で仕返しの真っ最中だ。下準備を僕も手伝わされた」

 それで納得したように倉井は頷いた。

「ああ、やっと分かったよ。オマエと優月の関係が。でもどうして協力してんの?」

 その質問に答えるには僕が野宮の自殺を止めた話をしなければならない。あまり他人に話していいことでもないし、野宮が自殺未遂をしたということを知れば、倉井もショックを受けるだろう。

 だから、そのあたりのことはボカしつつ、僕と野宮が互いの〈やりたいこと〉を手伝うことになったところだけ話すことにした。

「じゃあ、優月の〈やりたいこと〉が仕返しで、その二人目があたしってことだな?」

 彼女はしげしげと顎を触った。そこで僕は首を横に振った。

「違う。倉井は三人目だ。奥本をやる前に金澤という女子生徒の仕返しをした。そいつが一人目だ」

 言い終わると倉井は目をパチクリと開き、さっきよりも大きく驚いた。

「え、えー! オマエ、朱里ちゃんまで知ってんの! てか、朱里ちゃんに仕返ししたの⁉」

 金澤のフルネームは確か「金澤朱里亜」だったはずだ。倉井は「朱里ちゃん」と呼ぶほど金澤と親しい間柄だったんだろうか。

 金澤は現在野宮をいじめている生徒だ。そんなヤツと仲良くしていたというなら、やっぱりいじめ関連の友達だろうか。

「倉井の知り合いだったのか?」

「知り合いっていうか、さっきの話に出てきたリーダー格の生徒だよ」

「マジで?」

「うん。マジ」

 倉井は首を縦に振りながら答えた。

 金澤は倉井を使って野宮をいじめていた。そして倉井が学校を去ったあとは自らいじめをするようになったということか。

「朱里ちゃんには何をしたの?」

 興味深々に詰め寄る倉井に、僕は夜の高校に忍びこんだことや、万引きの濡れ衣を着せことを話してあげた。話し終わると彼女は、愉快そうに短い髪を揺らして笑った。

「過激なことするなぁ!」

 この子は本当に表情がよく変わる。心と表情が直接繋がっているみたいだ。

「それで、奥本には?」倉井が続きを促した。

 僕は奥本のスキャンダル画像で告発書を作って自宅マンションと職場である高校にばら撒いたと教えた。

「ざまあみろだ。奥本も今までの罰が当たったんだよ」

 吹き出していう倉井に僕はさらに付け加えた。

「しかも、野宮が言うにはこれは『仕込み』らしい。本番では何をするか訊いたけど教えてくれなかった」

「優月、やること、えげつねぇー」

 それから「はーっ」と大きく息を吐いて呼吸を整えて、倉井は笑いを鎮めた。

「そういや、昔っから優月はいつも大人しいのに火がついたら猪の如く突っ走ったっけ」

 懐かしむように倉井は遠くを見つめる。

「まさにそうだよ。暴れ猪に乗るのは苦労した。ま、もう関係ないんだけど」

「どうして?」

「さっきの騒動で野宮、怒っちゃって協力関係を解消されたんだ。だから、奥本の仕返しが成功するかどうか見届けることはできない」

 僕はお手上げのポーズをして肩を竦めた。

「それは残念。せっかくなら奥本が痛い目にあった話聞きたかったなぁ」

 裏通りもそろそろ終点が見えてきた。そこから先は再び繁華街の明かりが待ち受けている。駅もすぐそこだ。

「僕は電車だからここで。今日はありがとう」

 倉井に向かって手を差し出した。倉井は自転車を止めると僕の手を取った。彼女の手は細い柔らかかった。ネイルはストーンが散りばめられていて夜の空のようだ。

「こちらこそありがとう。オマエは命の恩人だからな。あ──そうだ、連絡先教えろよ」

 そう言いながら彼女はスマホを取り出した。

 特に拒否する理由もない。僕もスマホ出して互いに電話番号とメアドを交換した。

「ありがとう。今度、お礼するからな!」

「お礼なんていいよ。さっき助けてもらったし」

「あんなんじゃ、足りないよ。こっちは命を助けてもらったんだから」

 派手な見た目にそぐわず倉井は義理堅いみたいだ。そこまで大層に感謝されるとこちらもむず痒くなってくる。

 倉井は駅前まで送ってくれた。そして別れる時、「これはあたしの勘だけど」と前置きして彼女は言った。

「優月はあの性格だから今は熱くなっているけど、そのうち冷静になる。そしたらまたオマエんとこに戻ってくると思うな。家庭環境のせいかあまり人を信用しないアイツがボディーガードを任せるくらいだからな」

 それから自転車に跨がると「じゃあな」と夜の街に消えて行った。

 野宮の元親友のお墨付きをもらって僕は独り電車に乗った。

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