第29話

 ふいに後ろから声をかけられたのはそんな時だった。

 声の方を見ると制帽を被った警察官が二人立っていた。

「この辺で男女が言い争う声が聞こえた、と通報があったんだけど」

 二人組のうち背が高く若い方がいった。

 通報と聞いて、倉井のことが頭をよぎった。彼女が通報したんだろうか。

「通報によると『殺してやる』って叫び声が聞こえたそうなんだよ。君、何か知らないか?」

 今度はもう片方の警察官が言った。目つきが悪く背が低い、丸っとした体つきの警察官だ。

「いやぁー。知らないですね。別の人じゃないですか」

「ホントかなぁ。じゃあ、お兄さんここで何してたの」

 はぐらかす僕を品定めでもするように背の低い警察官が、無遠慮にジロジロとした視線を向ける。目つきが悪い分、余計感じが悪い。

 警察密着のテレビ番組を見ていても思うが、どうして警察官はいつも偉そうな物の言い方をするのだろう。

「散歩ですよ」と答えると二人の警察官の表情がさらに疑い深いものになった。

「散歩だったら、なんで荷物持ってるの。おかしいでしょ?」

 若い警察官が僕のリュックを指した。

「ええっと……これはですね……」

 何か適当な理由を考えないといけない。しかし職務質問されるという初めての状況に戸惑って頭がうまく回らない。

「ま、いいや。とりあえずお巡りさんと一緒に来てくれる?」

「なんでですか。僕なにもやってませんよ」

「怪しい人を調べるのが警察の仕事なんでね」

 そういうと警察官たちは僕を取り囲んだ。

「さ、早く来るんだ」

「ふざけるな。何もやってないって言ってるでしょ!」

 どれだけ必死に訴えても警察官は「はいはい。そういうのは後でゆっくり聞くからね」とまったく取り合ってくれない。

 二人対一人、それに相手は国家権力だ。かなうわけがない。それにあまり露骨に抵抗すると公務執行妨害で逮捕されかねない。

 諦めて彼らの指示に従おうか──。そう思ったとき女神が舞い降りた。

「その人、何も悪くないです」

 そういって助け船を出してくれたのは意外な人物だった。

「倉井⁈」

 倉井は数分前と同じく自転車を従えて立っていた。

 なぜ彼女がここにいる? そしてなぜ助ける? 通報したのは彼女じゃないのか?

 突然の倉井の登場に僕の頭の中はさらにぐちゃぐちゃになってしまった。

「君は誰だ?」

 背の低い警察官が新たな登場人物に目を向けた。

 倉井は自転車を止めると髪を揺らして僕を指さした。

「私はその人と喧嘩していた相手です」

 はっ? と間抜けな声が出た。すると倉井は話を合わせるように目顔でそれとなく知らせてきた。

 どうやら僕を助けるために芝居をうってくれているらしい。ならば僕も──。

「そうです。彼女と喧嘩しちゃって。それで、頭を冷やそうと散歩していたんです」

 警察官たちに向かって弁解を続けた。

 それから倉井に向いて「ごめん、僕が悪かったよ」と頭を下げた。

 すると彼女の方も「私が悪かったの。ごめんなさい」と駆け寄ってきて、僕の首に抱き着いた。

 甘い匂いがふわりとした。演技だと分かっていてもこれには思わず胸がドキッとする。

 しかし、この抱き着き作戦が功を奏したようで警察官たちは互いに顔を見合わせると硬かった表情をふっと緩ませた。

「なんだ、ただの痴話喧嘩だったのか。時間も時間なんだから人の迷惑も考えないと」

 若い警察官が右の親指で頭を掻きながら言った。

「そうだぞ。まったくつまらん仕事を増やしやがって」

 あきれたように背の低い警察官もいうと、肩にかけた無線機に向かって何やらごにょごにょと話しはじめた。

「ほら、もういいから。仲直りしたならさっさと家にかえりなさい」

 若い警察官が手のひらをひらひら振って僕らに帰宅を促した。

 僕らは二人に挨拶をして河川敷を離れた。


「君のおかげで助かったよ。でも、なんで助けてくれたんだ?」

 行きに通った繫華街に差し掛かったとき、隣を歩く倉井にそう問うた。

 本当は警察官たちから見えなくなったところで礼をいって別れるつもりだったが、タイミングを逃してしまい、ずるずるとここまで来てしまったのだ。

 倉井は感謝されるようなことはないよ、と首を振った。

「逃げてからオマエが刺されてないか心配になって戻ったんだ。そしたら警察に絡まれていたから、きっとあの騒動のせいだと思って演技した。だってオマエが捕まったら優月が包丁であたしを刺そうとしたこともばれるかもしれないだろ」

 目の前の倉井の態度は、本当に野宮をいじめていたのかと疑いたくなるようなそれであった。僕を助けたこともいじめをしたことへの罪滅ぼしの一環なのだろうか。

 夜も深くなった繫華街はまるで自分の時間だというように賑やかだった。酔っ払いが騒ぐ声と、客引きの呼び込みの声があちこちから聞こえる。僕は顔を顰めた。ここは騒がしすぎて話すにはあまり向いていない。

 それに気づいたのか倉井は自転車を押す手を片方だけ離すと、脇道を指した。

「こっちの方が静かだから」

 脇道を通って裏通りに出た。表通りと違い裏通りは道幅も狭く人通りも少ない。お店もこぢんまりした個人店がばかりだ。倉井の言う通り、こちらは静かだった。

「この辺詳しいんだね」

「一応、地元だからな」

 そういえば、と倉井は続けた。

「繁華街の辺りは中学生のとき、優月とよく遊びに来たんだ。夏休みや冬休みみたいな長期の休みになると必ず映画かカラオケに行った。三年生に進級してからは本屋さんに行って参考書を一緒に選んだりしてさ」

 目を細めて楽しそうに話す倉井を見ていると、本当は今も野宮と一緒に遊んだり、喋ったりしたいんだろうなと思った。

 しかしそれは都合がよすぎるだろう。なんせ倉井は親友の野宮を裏切った挙句、命を絶とうとするほど傷つけたのだから。

「そんなに仲が良かったのにいじめたのか?」

 話しながら内心では、ちょっと酷い質問だったかな? と思った。

 だが倉井はその質問を真摯に受け止め、頷いた。

 夕立ちの雲が急に立ち込めるように、表情がサッと沈痛なものに変わる。そして雨が降り出すようにぽつぽつと話し始めた。

「あたし高校デビュー組なんだ。中学では地味な子ってイメージで通ってたから、高校ではイケてるグループに入るぞ! って意気込んでた。入学してからはそういう人たちと過ごすようにも努めた。もちろん親友の優月とも仲良くしていたよ」

 そこで言葉を区切ると彼女は天を仰いで深いため息を吐いた。

「ところがある日、イケてるグループのリーダー格の生徒が言ったんだ。『野宮さんって暗くて気持ち悪いよね』って。私たちの中でその子の発言は絶対だったから同意した。そしたら『莉奈って野宮さんと中学同じだったんだよね? よく一緒にいるけど、仲良いの?』って訊いてきたんだ。ここで『うん』って答えたら私もあっち側の人間と見なされてしまう。そう思ったら口が勝手に動いていた。『高校までついて来て気持ち悪い』って。なんであんなこと言っちゃったんだろ。ホントは優月のこと大好きだったのに」

 倉井は歩みを止めると俯いた。噛み締めた唇からうめき声が漏れた。それは次第に大きくなり、俯いたままの彼女の足元に水滴が散った。

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