第18話
夏休み中の大学は閑散としていた。休みなんだから当たり前だ。それでもキャンパス内にはぱらぱらと学生の姿が目についた。
たぶんサークルや部活があるんだろう。眩しい青春を放つ彼らから目を背けてプリントコーナーに急いだ。
プリントコーナーは一番新しい棟の一階にある共有スペースにあった。共有スペースには休憩や昼食をとれるように、いくつもの机と椅子が並んでいて、ショッピングモールのフードコートのようになっている。
そしてその壁際には業務用の大きなコピー機が三台鎮座していた。
「これどうやって使うんですか?」
コピー機を前に野宮は目を丸くした。
コピー機を使用するにはあらかじめ大学のポータルサイトにデータをアップロードしてから、コピー機の読み取り部に学生証をタッチして認証を解除する必要がある。
僕は野宮を伴って近くの机に移動した。そしてパソコンを出すように促した。
言われた通り野宮は通学カバンからノートパソコンを取り出すと机に置いた。
「何するんですか?」
「君が作ったデータをあのコピー機に送るんだ。それにはポータルサイトの僕のページに入らないといけないから、ちょっと貸して」
パソコンの電源を入れると大学が提供しているWi-Fiに接続してから、自分のページへアクセスした。そこから野宮のデータを送信する。
「よし、できた。あとは、このコピー機を使うには学生証が必要なんだ。一時的でいいから返してくれ」
すると野宮は身を引いた。
「えっ。嫌ですよ。渡したらそのまま戻ってこないかもしれないじゃないですか」
どうやら野宮はかたくなに僕に学生証を返したくないようだった。僕のことを少し理解してくれても信用はしてないらしい。
「じゃあ、いいよ。代わりに野宮がやってくれれば。そこに学生証をタッチして、駅の改札機にするみたいに」
僕の指示通り、野宮は読み取り部に学生証をかざした。
ピィーという認証音が鳴ると同時にコピー機が音を立てて動き出した。
規則的な機械音とともに取り出し口から印刷されはじめた告発書が顔を覗かせた。
印刷はほんの数秒で完了した。
出来上がった告発書の中央には奥本教諭が女子生徒の襟に手を忍ばせている場面の写真がデカデカと配置されていた。写真の上下には『ハレンチ教師、奥本』というキャッチコピーとともに『奥本辰夫教諭は生徒にセクハラをしている』という文言が記載されている。
「はい、できたよ」と印刷されたばかりの告発書を野宮に渡した。
しかし受け取った野宮は首を傾げた。
「これだけ?」
「これだけって? もっと枚数が要るのか?」
「当たり前でしょ! 近所にばら撒くんだから最低でも四、五十枚は必要に決まってるじゃないですか⁉︎」
馬鹿じゃないの? とでも言いたげに野宮は尖った声を出した。
それならそう言ってくれればいいのに、と心で呟きながら再びパソコンに向かって、さっきと同じ工程を繰り返した。
コピー機が動きだし、十枚、二十枚と刷られた告発書が取り出し口に積み重なっていく。ものの数分もしないうちに、百枚の束が完成した。
野宮はその束をつかむと本のページみたいに、ぱらぱらとめくった。
「ざっと確認したところ、どれも綺麗に印刷されています。これでいいでしょう」
満足そうな顔で告発書の束を通学カバンにしまった。
「では、今からバラ撒きに行きましょうか」
机の上に広げたパソコンを野宮は片づけ始めた。
「行くって、奥本教諭はどこに住んでるんだ?」
「心配ないですよ。ここから電車で三十分くらいの場所ですから」
大学の最寄り駅から電車で三十五分、僕と野宮は府県境を超え大津市に来ていた。駅前から伸びる太い道路の先には琵琶湖がかすかに見える。
僕たちは、野宮がこの前盗み出した情報にあった住所をたどった。
その場所はJR大津駅にほど近いところにあるマンションだった。一階にはテナントとして整体院が入居していて、二階から上が居住区のようだ。
奥本教諭の部屋は四階の一番奥にあった。外廊下からは午後の光を受けた琵琶湖が光って見える。
「それでは始めましょう。これ持っててください」
野宮が通学カバンから取り出した紙の束を半分受け取った。
「私は下のフロアとエントランスに撒いてきますから、天原さんはこのフロアと上のフロアをお願いします。終わった外に出てきてください」
野宮はスカートを翻すと去っていった。
僕は奥本教諭の悪行がしたためられた告発書を、ひらりひらりと外廊下に撒き散らした。それから上のフロアにあがって、同じことを繰り返していく。その間、幸運にも住民と出会すことはなかった。
夏休み中とはいえ、平日の午後で助かった。こんなところを見られては通報待ったなしだろう。
エントランスに下りると、ここも告発書だらけだった。告発書の海を抜けて外に出たところで野宮は待っていた。
「お待たせ。上は終わったよ」
「じゃあ、誰かに見られる前に逃げましょう」
僕たちはマンションを離れた。
「少し休憩しませんか」と野宮が提案したので、湖畔にある公園でひと息つくことになった。
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