第13話

「……実は宇宙に行きたいんだ」

「宇宙ですか」

 意外にも野宮は笑わなかった。それどころか真剣に僕の話を聞いている。

「星を見てると安心するんだ。僕が悩んでいることは見上げた星から見るととても小さなことなんだって。それに夜空って気分を落ち着けるのき最適なんだ」

 すると野宮は妙に納得した顔つきになった。そして何か閃いたようの手を叩いた。

「あっ! だから、あの時、公園にいたんですね」

「あの時?」と当惑に眉をひそめる僕に野宮は「私たちが初めて会った時です」と付け足した。

「人がいない公園は、黄昏れるのに絶好の場所だからね」

 それが、こんなことになるなんて……。

 自然とため息が出てくる。本当になんであの公園に行ったんだろう。

「でも天原さんが天体好きなんて意外でした。見かけによらずロマンチストなんですね」

「……見かけによらずで悪かったな」

「別に悪い意味じゃないですよ」と野宮は手を振って否定した。それから、しばらく何かを考えるように宙を見つめていたが、やがておもむろに口を開いた。

「もしかすると、天原さんの〈やりたいこと〉叶えられるかもしれません」

 突飛なことをいう彼女に今度はこっちが拍子抜けした。

「何言ってるんだ? さっきNASAにコネはないって」

「コネはないですけど、いいこと思いついたんです」

 そうと決まれば帰っていろいろ調べないと! と野宮は残りのオムライスを片付けはじめた。

 僕も彼女に倣ってビーフカレーを口に運ぶ。少し冷めてしまっていたが、ごろごろと入っているお肉は歯ごたえがあって美味しい。

 そういえば誰かと一緒に食事をしたのはいつ以来だろう。少なくともここ一年はそんなことなかった。

 久しぶりだからかなんだかよく分からなかったが、心の奥のほうが湯たんぽを当てたようにほんのり温かく感じた。

 料理を平らげ、いざ会計、との段になって野宮が気まずそうに「あの〜」と声をあげた。

「どうしたんだ?」

「実は……ですね。お金の方がですね……足りないっていうか……」

「えっ? 奢ってくれるんじゃなかったの⁉︎」

「はい、そのつもりだったんですが……。お財布を開けたら三百円しかなくて、自分の分も払えない状況でして……」

 野宮はいつもの強気で横暴な態度からは考えられないほど申し訳なさそうに体を縮こませていた。


「逆に天原さんに支払わせることになってすみません。このお礼は必ず……」

 帰りの電車を待つホームで野宮がぺこりと頭を下げた。

 レジの前で慌てふためく野宮の代わりに二人分の代金、二千五百十円を支払ったのだ。

「それなら僕を解放してくれ。もしくは学生証を返せ」

「いやぁ、それは……」

 頭を上げた彼女は縋るような目で僕を見上げた。

「冗談だよ。どうせ返してくれないって分かってるから」

「ホント、すいません。いつもは三千円くらいは入っているんですけど、なんでだろ?」

「それより定期券があってよかったな。電車賃まで出さなくてすんだ」

「もし持ってなくても三百円あれば電車賃くらいは払えますよ」

 野宮は通学カバンからスマホを取り出していじりはじめた。それから、ほら、と画面を僕に向けた。のぞき込むと乗り換え案内アプリの検索結果画面が表示されていた。確かにこの駅から家の最寄り駅までの運賃は三百円となっており今の野宮の所持金ぴったりだ。

「じゃあ、今の野宮は家までの運賃しか持ってないのか。その三百円はさながら六文銭みたいだな」

「六文銭?」と野宮が首を傾げた。

「知らないのか? 三途の川の渡賃だ。他にも真田家紋にも使われている」

「なんか聞いたことあるかも……。それでなんで私の三百円が六文銭なんですか?」

「死んだら三途の川を渡って黄泉の国に行くだろ? その渡賃が六文。この六文が現代の価値で三百円くらいといわれているんだ。もし渡賃を持っていなかったら川のほとりにいる脱衣婆に衣服を取られてしまう。だから六文銭があったら死んでも安全に黄泉の国に行けるって話だ」

「それなら私は今すぐ死んでも大丈夫ってことですね。でも未練があるから幽霊になっちゃうかも」

 野宮はそう言っておばけみたいに手をしなだらせた。

「こんな話をしてなんだが、僕は死んだら無になると思う。だから幽霊なんてありえない」

「そんなの死んでみないとわからないじゃないですか。私たちが気づかないだけで、実は身近なところにいるかもしれませんよ。天原さんの隣にもいたりして……」

 怖いこと言うなよ、と怯む僕に、野宮はいたずらっ子のようにシシシと笑った。

「幽霊信じてないならいいじゃないですか」

「信じてないけど、それとこれは別だ!」

 僕の声に被さるように電車が到着することを知らせるアナウンスが流れた。


 金澤朱里亜への仕返しが完了して数日がたった。

 あの日、野宮は僕の「宇宙に行きたい」という〈やりたいこと〉が叶えられるかもしれないといっていたが、あれ以来何の連絡もない。

 やはり互いの〈やりたいこと〉を手伝うというのは単なる口実だったのだろうか。

 メールが来たのはそんなモヤモヤした気分のときだ。野宮かと思って画面を覗くと、石山からだった。

 期末考査も終わり、晴れて夏休みに突入したらしい彼から遊びに行く日について、具体的な日時がメールで送られてきた。

 大学のサークルやバイトが忙しいそうで早くても八月の二週目、お盆の直前になりそうだ、とのことだった。

 僕としてはいつでもオーケーだ。そう返信すると、すぐに『八月の第二水曜日はどうだ?』と返ってきた。

 八月の第二水曜日、もちろん何の予定もない。

 了承を伝えるメールで、ついでに見たい作品があるからと、映画を提案してみた。すると石山は快くその提案を受け入れてくれた。

 それにしてもサークルやバイトという文面を見る限り石山の大学生活は充実しているようだ。本当なら僕も同じように充実した大学生活を送っているはずだったのに……。

 そう思うとなんだか悲しくなってしまう。いや、そんな悲観的になるな、と自分に言い聞かせた。楽しかった日々を取り戻すために石山と会うんだ。それがたった一日だけでも。


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