第14話

 結局、野宮から連絡が来たのはそれから三日後のことだった。今日の午前十一時にいつもの公園に来てください、という簡潔なメールだった。

 いつものことながら、これから何をするのかさっぱりわからない。しかし野宮のあの言葉は嘘ではなかったことに、なんとなく気分が良く口もとから笑みがこぼれてしまう。

 出かける支度(と言ってもスマホと財布をジーンズのポケットに押し込むだけだが)をして家を出た。まだ午前十時台だというのに外の世界は灼熱地獄のような暑さだ。天から降り注ぐ日差しもさることながら、アスファルトに跳ね返された日光が肌を突き刺して痛い。

 公園に着くと、野宮はベンチに座って丘からの景色を眺めていた。それから気配に気づいたのか、不意にくるりと振り返った。

「あ、天原さん。やっぱり五分前に来るんですね」

 野宮は公園の中央に立っている時計を確認していった。

「そっちも相変わらず待ち合わせ時間と場所だけのメールを直前に送ってくるよな」

「癖なんで……」

 頭の後ろを掻くように片手をあげると「へへっ」と照れ臭そうに野宮は笑った。

「で、今日はなんだ? 僕の〈やりたいこと〉を叶えてくれるのか」

「はい、そうです! 流石に宇宙まで、とは言えませんがそれに近い体験を約束しますよ」

 野宮はスッと立ち上がると「それでは出発です!」と歩き出した。僕もそのあとをついて行く。

「それに近い体験って、具体的には何?」

「それは着いてからのお楽しみです。ちなみ今から電車に乗りますが、お金持ってます?」

「ICOCA持ってるから大丈夫だけど、遠出するの?」

「今から大阪に行きます」

「大阪⁉」

「そんなに驚かなくてもいいですよ。特急で四十分ほどで着きますから、それほど遠出ではありません」

 ここから大阪まで、そう遠くないのは知っていた。何を隠そう僕の実家は大阪の片田舎にあるからだ。高校も大阪市内まで通っていた。だから、大阪の都心部の地理については自信がある。

 しかし、わざわざ大阪まで行って野宮は何をするつもりなのだろう?

 最寄り駅からは特急と各駅停車を乗り継いで大阪へ移動した。その間、僕は何度も野宮にどこに向かっているのか尋ねた。その度、彼女は「秘密です」「きっと喜ぶと思います」と取りあってくれなかった。挙げ句の果てには「しつこい!」と怒られてしまった。

 それからというものの僕は考えることを放棄して、野宮が「この駅で降りますよ」と話しかけてくるまで黙り込んでいた。

 電車はいつの間にか地下区間に入っていたようで、下車した駅も都会的な地下駅だった。この駅の近くで宇宙に関する場所……。

 僕はこの時、野宮がどこに向かおうとしているのか分かった気がした。

 駅を降りて地上に出ると目の前には大きな川が流れていた。野宮はスマホで地図アプリを開き、周囲を確認しながら川沿いに歩き出した。

 それから何度か角を曲がること六分。角張ったビル群のなか、それらとは少し毛並みが違う建物が建っていた。その建物は周りの他のビルのような角がなく、丸みを帯びた楕円状のフォルムをしていた。建物の上部の窓には「科学館」の文字が僕たちを見下ろしている。

 目の前に現れた特徴的な建物に僕は自分の予想が正しかったことを確信した。

 入口の前まで来ると野宮は「着きました」と振り返った。

「ネットで調べたら、ここの科学館のプラネタリウムは日本で五本の指に入るほどの大きさらしいです。宇宙には行けなくても、擬似体験はできるでしょ?」

 野宮はこれでもかというほどのドヤで僕を見てくる。

 なんだかここを知っていると言い出しにくい。

「プラネタリウムが『宇宙に近い体験』か。うん、悪くない」

「あれ? あんまり驚かないんですね。気に入りませんでした?」

「そういうわけじゃないんだ。実は……地元がこっちだから、子供の頃に何度も来たことがあるんだ。だから新鮮味がなくて」

「えっ! それなら早く言ってくださいよ! 恥ずかしいじゃないですか、地元の人を目の前にウンチクなんか垂れちゃって」

「いやー、せっかく調べて来たみたいだし、悪いかなと」

「もういいです。入りましょ」

 エントランス・ホールには夏休み中なこともあって、小中学生の子供を連れた家族や若いカップルでにぎわっている。

「意外と混んでますね」

「夏休みだもんな。チケット買えるかな」

 チケットカウンターを見ると案の定、行列ができていた。僕たちはその最後尾に並んだ。

「まだ、空きがあるみたいですよ」

 野宮は窓口の上に設置されたモニターを指差した。

 モニターには投影回ごとの空席状況が映し出されていた。次の投影回の場所にはほぼ満席を示す三角が表示されている。

「ホントだ。でも僕らの番まで残ってるかな」

「もし売り切れたら、その次のを買って、空いた時間は展示でも見ましょう」

 なかなか順番がまわって来ず、ようやく僕らの番になった時、投影開始時間ギリギリになってしまった。しかし、幸運にもちょうど二席だけ席が残っていた。

 お金を払ってチケットを受け取ると僕と野宮はホールの入り口まで駆け出した。

 入り口のそばに立つ係員にチケットをもぎってもらい、僕たちは無事入場した。

 ホールに入るとまず最初に白いドームが目に入った。足下から始まる白は綺麗な半球形を描いて向こう側まで続いている。

「空いてる席を探しましょう」

 シネコンのような階段状の通路をのぼりながら野宮が言った。僕も後に続いて空席がないか辺りを見回した。チケットは座席数しか販売されていないから座れないということはない。

 しかし自由席ということもあって良さそうな席はどこも埋まっている。今回は隅の方で我慢するしかないと視線をそちらへ向けると、ちょうど同じ列に二席の空きを見つけた。

「野宮、あそこ空いてる」

 野宮は僕が指差した方を見ると、肩を落とした。

「空いてますけど、一席ずつですね」

 野宮が言う通り、その席は間に二席挟んだ両側に位置していた。

「混んでるし、仕方ないよ」

 席の近くまで移動しても、野宮はしょんぼりしたままだ。

「なんだ、隣同士で座りたいのか?」

「別に。でもせっかく一緒に来たのにバラバラって言うのも寂しいなと思いまして」

 と、その時、間の二席に座っていた老夫婦がひと席奥にずれてくれた。

「どうぞ、これで二人並んで座れますよ」

 僕たちがお礼を言って席に着くと老夫婦の奥さんが言った。

「仲がいいのね。ご兄妹?」

 僕は答えに困った。まさか自殺を前にやり残したことをやってる仲間です、なんて言えない。ならなんと答えればいいんだ? 友達?

 僕が答えに困ってフリーズしていると、野宮が「はい!」と勝手に答えはじめた。

「両親が仕事で忙しくてどこにも連れて行ってくれないので、代わりに兄が連れてきてくれたんです」

「あら、いいお兄ちゃんね。私たちの孫もあなた達ぐらいだけど、すぐケンカするから一緒に出かけるなんて想像もつかないわ。あなたたちが羨ましい」

「でもケンカするほど仲がいいって言いますし、本当は仲がいいのかも」

 野宮がそう言うと老婦人も「そうだといいけど」と上品に笑った。

 老婦人と会話を終えた野宮がこちらを振り返った。

「いつから君は僕の妹になったんだ」

 奥にいる老夫婦に聞こえないように小声でツッコミを入れた。

「じゃあ、私たちの関係をなんて言うんですか! 本当のこと言ったら引かれますよ」

 僕が「だけど」と言い返そうとしたとき、ホールの照明がだんだんと薄暗くなっていった。もうすぐ投影が始まる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る