第6話

 公園を出て少し歩くと二つ自動販売機が並んでいるのを見つけた。少女が言っていた自動販売機だろう。

 僕は自動販売機の前に立って、商品のラインナップを眺めた。

 天然水、お茶、コーヒー、ジュースと選り取り見取りだ。少女が苦手だという炭酸飲料もある。

 嫌がらせで炭酸を買っていこうかという考えが一瞬頭をよぎったが、すぐに思い直した。これ以上、あいつを刺激するのはやめておこう。その後が怖い。

 それでもやり返したいという気持ちも少しある。暖かいおしるこでも売っていればちょうどいいのだが、こんなクソ暑い真夏にそんなものはなかった。悩んだ末にブラックの缶コーヒーを二つ購入した。

 中学生か高校生かは知らないが、あれぐらいの歳の女の子はコーヒーをブラックで飲まないだろう。

 それに何か文句をいわれたとしても、彼女の『炭酸系以外』という言いつけは守っている。

 ああ、悔しそうにしながら苦いと顔を顰める少女の顔が目に浮かぶ。少しだが心が晴れて、気分がいい。

 それにしても暑い。公園から自動販売機がある地点まで大して離れているわけではないのに、もう背中が汗で濡れている。

 そもそも、なんで炎天下の公園に呼び出すんだ。せめて喫茶店とかでもよかったんじゃないか。

 公園に戻ると少女はすんなりとスマホと財布を返してくれた。あまりにあっさりしすぎて拍子抜けしていたら少女が不満そうに訊いてきた。

「なんです? なんか言いたいことあるんですか?」

「いや……。思いの外あっさりとスマホと財布が返ってきたからびっくりして。君のことだからもっとなんかあるんじゃないかと思ってた」

「失礼ですね! 私だってちゃんと約束は守りますよ。で、飲み物は?」

 少女に促されて僕は缶コーヒーをひとつ彼女に渡した。彼女はそれを受け取ると顔色も変えずプルタブを開けて口をつけた。

「ブラックコーヒー、大丈夫なの?」

 少女は缶コーヒーを、ぷはー、と飲み干すと答えた。

「全然、大丈夫ですよ。いつも飲んでますし。そんなこと訊くってもしかして天原さん、私がブラックコーヒー飲めないと思って買ってきたんですか」

 少女の目に鋭い光が灯った。まただ、まずいぞ……。

「そ、そんなわけないじゃないか! 買ってから気づいたんだよ。君がブラックコーヒー、飲めたのかなぁって」

「まあ、今回はそういうことでいいですよ。それより〈やりたいこと〉の話をしましょうよ」

「あ、そうだね……」

 僕は少女の隣に座って缶コーヒーを開けた。

 もう逃げるのは不可能だ。ならば極力、短期間で終わるよう頼んでみるしかない。

「……あのさ」

 はい? と少女が僕の方を向いた。

「申し訳ないんだけど、いろいろ忙しいんだ。だから何日も君に協力はできないんだ」

「そんな! ちゃんと責任とってくださいよ」

「本当にごめん! でも僕にもやらなくちゃいけないことがあるんだ」

「なんですかやらなくちゃいけないことって。大学の授業ですか、それとも飲み会? そんなことの方が大事なんですか!」

 立ち上がって少女は僕を怒鳴りつけた。彼女の怒号に僕は縮こまるばかりだ。

 ん? どうして彼女は僕が大学生だと知っているんだ?

「どうして僕が大学生だと知ってる? 君は僕の連絡先しか知らないはずだ」

「さっき財布の中を調べさせてもらいました。そしたら学生証があったので」

 少女は僕の学生証を顔の横に掲げた。

 ……しまった。身分証は財布から抜いておくべきだった……。

「それを早く返せ!」

 僕は詰め寄ったが、彼女は一向に取り合ってくれなかった。

「で、なんでしたっけ? あなたの個人情報を持っている私に協力できないってお話でした? それは残念ですね。あなたの個人情報、どこに書き込もうかな……」

「ま、待ってくれ! 本当のことを言う。僕も君と同じなんだ」

「私と同じ?」

「そう。僕も一か月半後に死のうと思っている。だからそれまでにやりたいことをすべて終わらしたいんだ。だから君に協力できない」

「そんなこと言って逃れようとしてるだけなんじゃないですか」

「いや本当なんだって! 〈やりたいこと〉のリストまで作ってある。僕には時間がないんだ!」

 僕は少女に向き直って、頼む! と頭を下げた。なんだろうこの屈辱は。名前も知らない年下の女の子に頭を下げなんて。でも、そんなことをしてでも解放してもらわないといけないんだ。

「…………」

 返事がないので頭を上げると、少女は黙りこくって何か考えている様子だった。

 それからしばらくの沈黙のあと、少女が声をあげた。

「こういうのはどうです? 私の〈やりたいこと〉に協力してくれたら、今度は私が天原さんの〈やりたいこと〉に協力します。一人より二人の方ができることも広がりますし!」

 少女は、さも名案だというふうに言った。

「はあ?」

 あまりに予想外の返答に間抜けな声が出てしまった。

 たしかに二人の方がいいこともある。だが、僕の〈やりたいこと〉は誰かの協力がなくても実行することができる。

 ただ、全個人情報を握られた僕にはこの提案への拒否権はないだろう。それなら従順なふりをして利用するだけしてやるほうが得策だ。

 そうと決まれば彼女の機嫌がいいうちに話を進めてしまおう。

「それはいい! 名案だ!」

 僕はできるだけ笑顔を作って少女に言った。ちゃんと笑えているだろうか。

 少女が喜んでいるから多分大丈夫だ。

「じゃあ、さっきの話の続きをしましょう!」

 少女はベンチに再び腰掛け話し始めた。

「さっきも言いましたけど、私が仕返ししたい人は最低でも三人います。二人は私をいじめていた同級生で残りの一人はその時の担任の先生です」

「その三人にどう仕返しするんだ? 先に言っておくが警察に捕まるようなことだったら協力できないぞ」

「その点については大丈夫です。あんなやつらのために捕まるような馬鹿げたことはしません。法に触れない程度の復讐をしてやりますよ」

「法に触れない程度って、具体的どういうのだ?」

「それは……これから考えます」

 少女は元気なさげに俯いた。

「じゃ、思いついたらまた連絡してくれ。僕は帰るよ」

「一緒に考えてくれないんですか?」

 ベンチを立った僕に少女は縋るような視線を投げてくる。僕を脅した時とはえらい違いだ。

「君の〈やりたいこと〉なんだから君が考えないと意味ないだろ? それに僕は君のことを何も知らない。名前さえも。だから君がどんな復讐をしたらいいか僕には分からない」

 返す言葉が見つからないのか少女は言い淀んだ。

「そうですけど……。あの、次、連絡した時もちゃんと来てくださいね」

「もちろん必ず行くよ。君には個人情報を握られてるからね」

 立ち去ろうとした時、ふいに少女が言った。

「君じゃなくて……野宮です……」

「えっ?」

「私の名前。野宮優月のみやゆづき鴨川かもがわ高校の二年生です」

 振り返った時見えた少女の目は何かを決意したような真剣なものだった。

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