第17話 「初陣」(3)

 いくさ場での日々を重ねていく。

 場数をこなすにつれ、ハデスも慣れてきた。否……慣れたという言葉では表すことはできない。暴力が無造作に人の命を断ち切るのを目の当たりにし、その軽さやもろさに、鈍感になっていった――と云うべきであろうか。

 初日に手をかけたのは、瀕死の状態だった傭兵だった。たったひとりの命を絶ち切っただけで、際限のない怖気が止まらなかった。

 いくさ場に出るからには、当然人の死を直視することとなる。初日以降、自分が手をかけることはなかったが、死は血しぶきとともに身近にあった。そして、それは身に迫る刃の鋭さを、何度も経験するということでもある。

 何日目であったか、これまではネロスや周囲の傭兵たちに打ち倒された者であったが、その日の傭兵は乱戦の中、無傷でハデスの前に迫った。いつもハデスのそばで敵を容易に近寄らせないネロスは、少しは離れており、あせった声をあげた。

 傭兵といっても、ネロスとくらべてひとまわり小柄である。それでもハデスよりも上背も肩幅も厚みもある。

 その傭兵が剣を振りかざす。

 ハデスはその日も戦棍を手にしていた。身体が動いたのは、無意識であった。剣と棍が激しく激突し、その衝撃に自分がとっさに打ち合わせていたことを知った。当たり所が悪かったのか、剣が音を立てて中ほどから折れた。

 傭兵は瞬時に予備の短剣を腰から抜き、ためらいなく突きこんできた。かわせない。押し倒されたが、その勢いがありすぎ、ふたりはもつれるように転がった。至近で互いに向き合ったとき、ハデスの手元に戦棍はなかった。

 膝立ちになった髭面の傭兵が短剣を手に、勝ち誇ったように笑う。傭兵の砕けた剣が膝元にあった。考える間もない。とっさに拾いあげると、身体ごとぶつかった。馬乗りになったハデスの下で、傭兵が断末の声をあげてもがくが、やがて動かなくなった。

 震えながら身体を離す。腰が抜けていた。傭兵の腹に、折れた剣が深々と刺さっていた。両手はぬるぬるとした鮮血で真っ赤だった。

 動けない相手ではなく、五分の条件で渡り合ったのはこれが初めてであった。

 ――いくさはつづく。次の日も、そのまた次の日も。

 武技に自信はない。まがりなりにやれているのは、ネロスに護られているからである。

 敵の剣が、槍が身体をかすめる。いくつもの刀傷が身体にきざまれていく。

 身体には傷が増えていく。無事な箇所などなかった。

 それがつづいた、果てがないほどに。

 耳元をかすめる刃音。

 胴丸に打ちつけられる戦棍の重み。

 肩当に当たる鏃の不気味な音。

 組みあったときの衝撃。

 眼をくらませる血霞。

 秩序もなくぶつかりあう男たちの甲冑、かたびらのきしみ。

 馬蹄のとどろき。

 生臭い、誰かの腸の匂い、血の匂い。

 陽光にぎらぎらときらめく刀槍。

 突如、命を断ち切られた男の身体が崩れ落ちる。無感動に、泥土のごとくそれを踏みしだき、すすむ。

 何日も何日も、それが果てなくつづく。

 人の命を奪うことに徐々に慣れていった、麻痺していった。

 生と死、彼我の距離を感じなくなりはじめた。


 ハデスたちが参加している戦陣は、思いもかけず長引いている。このあたりの抗争が、泥沼化してきたからだ。

 タラの一帯は、想像以上に荒れている。ハデスが奴隷として働いていたトーブズ農園は、タラの縁辺にすぎず、奥まれば奥まるほど複雑な事情がからみあった抗争があった。土豪同士の争いが発端であったが、周囲の有力者が加担し、あるいは巻きこまれていった挙句の対立である。

 ハデスやネロスはもちろん知る由もないが、この荒れ具合は中央に正確に報告されておらず、帝国という巨獣特有の鈍感さでもって、事態は見えざる悪化の一途をたどりつづけている。

 これには長年この商売でならしてきた“牛”も、ずいぶんと困ったようであったが、しかしさすがは名うての差配人である。手持ちの傭兵たちの配置や斡旋先を手配していく手際のよさは、たいしたものであった。

 幸いなことに“牛”は寝返りや重複の差配、駆け引きで傭兵どもの値をつりあげたりなどの不誠実な商売はしない。“牛”という差配人が荒くれどもの信頼を得ているのは、そのようなところである。

 おかげでハデスとネロスは、あっちのいくさ場、こっちのいくさ場と目まぐるしく転戦していく羽目となった。

 その日、これまでのいくさ場から大きく南下し、ハデスたちが属している側は新手の敵部隊と交戦に入った。正面からぶつかった両者であったが、大きく迂回した敵方の正規軍が、手際よく横合いから傭兵部隊を強襲し、右翼がひどく損害を受けはじめた。

 太刀をひっさげたネロスが舌打ちをした。

「オルコのやつ、やられてるぞ」

 傭兵部隊の一角を任されているオルコの隊が、崩れはじめていた。

 最近のハデスは、いくさの状況に眼を配る余裕も出ていた。そのハデスにも、右翼が崩されている状況は、まずいことのように見てとれた。

「ネロス、引くか?」

 すぐ近くにいたトラーオたちが訊ねる。周囲に眼を配っていたネロスが、いまいましげに叫んだ。

「左に寄せるぞ、引くな」

「どうした?」

「後ろから一隊、迫ってきとる。挟撃されるでぇ」

「増援か?」トラーオがこれも顔をしかめる。「妙じゃのぉ、あちらさん、そがいな余裕あったか?」

「……ひょっとしたら、別口?」

 コープスが首をひねる。

「……かもな、不用意に引いたらやられるでぇ」そう云うとネロスは、不意に顔色を変え、後退しはじめた連中をどなる。「――お前ら引くな!正規軍の方に寄れ!後方から騎馬隊だぞ!」

 周囲の者も、歴戦の兵士たちである、ネロスの怒声で、すぐに悟った。盾を手にした者が駆け寄り、後方に対して防陣を構築しようとし、弓を持つ者がその背後を固める。

 ハデスには後方から寄せる一団が騎馬であることを、やっと視認できた。ネロスたちの眼のぬかりのなさには、とても及ばない。

「キア、お前も弓だ」

 ネロスが命じる。最近ハデスは弓を携えるようになっている。命じられるままに弓に矢をつがえる間に、一団は眼前に迫っていた。五十騎ほどだ。

 馬上の騎士たちは、みな陽に焼けて色黒で甲冑もまとっていない。扱いやすいようにだろう、片手持ちの太刀は大きく反っている。華やかな馬上衣に頭巾、男なのに髪を伸ばし編みこんでいる者もいるが、それまでも色とりどりの織物を編みこみ飾られている。馬もまた同様だ。祭りの際の飾り馬のように華やかな装いで、ハデスが知る馬よりもひとまわりでかく、たくましかった。

 息をのんだ。猛々しさとはまた別に、いくさ場でのそれとはそぐわないように感じる華やかさに魅了された。

「気をつけろ、イェルファナーだ」

 ネロスがハデスに忠告する。タラの大平原を、境界を持たずに部族ごとに放牧場を求めて移動する部族だ。一年のほとんどを馬上で生活する彼らである。馬の扱いは俺たちなどとても脚下にも及ばないと、以前ネロスが評していた。

 勝手に介入してきたのか、敵と手を組んだのか知らないが、まさにハデスが評したとおり、なめらかでとてつもない速さだった。

 羽音をたてて飛来する矢を手にした太刀で叩き落し、射貫かれてひとりふたりが落馬するものの、その速さはまるで落ちない。充分引きつけて放ったつもりのハデスの矢も、あっさりとはじかれた。

 陽光を遮るように、騎馬の巨体が飛翔した。膝をついて盾を構える傭兵たち蹴散らし、あるいは頭上をやすやすと跳び越え、部隊の中に踊りこんだ。たちまち乱戦となる。傭兵たちはみな徒歩である。騎兵に乗りこまれたらたまらない。馬上で振るう太刀が、次々と傭兵たちを斬り伏せる。馬の蹄に引っかけられる者もいる。無論、下から突きあげられて落馬する者もいるが、挟撃された形となった傭兵たちは不利だ。

 ネロスが落ちていた槍を拾いあげ、迫る騎馬目がけて投擲した。華やかな馬上衣の乗り手の胸に深々と突き刺さる。

「正面に立つな、距離をとれ!槍を投げて叩き落せ!」

 ネロスが叫ぶ。周囲の者も槍だけでなく太刀や剣、あげくには石くれまで投げつけると、さすがに騎馬の勢いがそがれはじめた。

 しかしその後背で、オルコの隊が総崩れとなっていた。二面から傭兵部隊が押し潰されかねない状態となり、さらに輪をかけた乱戦となった。ハデスの肝が縮みあがる。

「オルコの野郎、もうちっともってくれよ……」

 ベルヒデスがうんざりと顔をしかめる。半身が朱に染まっている。

「ははは、らしくなってきたでぇ。ひといくさ幾らの死にたがりども!稼ぎ場だぞ!」

 ネロスが心底楽しそうに叫ぶと、うるせぇ、お前が仕切るな!と、どこからか笑い交じりの罵声が飛ぶ。

 傍らのトラーオが剣の血脂を袖でぬぐい、ぼそりとつぶやいた。

「やはりお前といっしょいると、ろくなことにならんなぁ、“疫病神”……」

「ははは、猛ってくるな。いくさはやっぱり、こうでなくっちゃな!キア、しっかりついてこいよ」

 のしかかってくる馬影をかわし、ネロスは活き活きと太刀を振るい、乗り手を下から斬り落とした。急に動きが激しくなったネロスの後を、ハデスは必死でついていく羽目となった。


 夕刻となり、両軍とイェルファナーはそれぞれ部隊をまとめ、撤収をはじめた。ハデスたちの側は、手ひどくやられていた。押されっぱなしの敗けいくさだった。よく軍が瓦解しなかったものだと、ハデスは呆れていた。

 いつも以上に屍が横たわるいくさ場を歩くネロスとハデスの脚下に、ごろんと何かが転がった。人の首であった。

「十人長の首級だ」

 不敵に笑うシートンがいた。いかつい風貌は、今日の戦塵の荒々しさをそのまままとっていた。やるじゃないかと、周りの連中もはやしたてる。

「たいしたもんじゃ、シートン。手当てもんじゃ」

 ネロスは相手にしない。背を向けて野営地へもどろうとする。

「逃げるなネロス」いきなりネロスの腕をつかんだ「どがいな敗けいくさでも手柄をたてるという“疫病神”の名が泣くぜ、調子が出んようじゃないか、怖気づいたか?」

 つかまれたままネロスは向き直った。

「手柄目当てで、前線でいきがる歳じゃ、もうないんじゃ。俺はぼちぼちやるさ、心配ご無用」

 へらへらと笑いながらネロスは答える。

「知っとるぜ、そのお稚児さんをそばにおいとるけぇじゃろう?背中をかばいながらいくさに出るなんて、甘う見るなや」

 下卑た笑いを浮かべるシートン。

「決闘から逃げるのも歳のせいか?なら、本気になるようにしちゃろうか……?」

 ちらとハデスに視線を移す。その意味を察して、ハデスの顔が屈辱で歪んだ。

「つまらん真似はやめとけよ」

 ネロスの薄ら笑いは変わらなかった。しかしネロスとシートン、ふたりの間の気配が、にわかに張りつめた。ぎり、とつかまれた腕がきしみをあげるようであった。

「もめごたぁ、ご法度じゃ、ふたりともそれ以上はやめとけ」

 ずんぐりしたコープスが、のっそりと間に入った。シートンが乱暴に腕を離すと、脚下の首級を拾い去っていった。

「あいつ、本気か?しきたりに背いたら、もうやっていけんぞ……」

 呆れたようにベルヒデスがつぶやく。 

 ネロスもいくさ場の方をもう一度見やると、無言で野営地へもどりかけ――脚を止めた。

 視線の先で、あおむけに倒れているのはトラーオだった。顔色はすでに死人のそれだった。ネロスが傍らにひざまずく。ネロスの顔をみとめて、トラーオがばつが悪そうにかすかに笑った。

「……くそ、しくじっちまった、ざまぁ……ねえな……どがぁじゃ、ネロス?」

「駄目だ、腸までやられとる、助からんな」

「……はは、道理で痛ぇ思うた……ネロス、とどめ……さしてくれ……」

 トラーオは剣を手にしているが、もうにぎる力もなかった。

「あぁ、ええぞ」

 ネロスは無造作に答え、トラーオの甲冑をゆるめ、肌着をさらけ出させる。胴体をまたぎ、胸元に太刀の切っ先をあてる。ベルヒデスやコープスも見下ろしている。その顔には、何の感情もうかんでいないようであった。

 ハデスにも彼はもう助からないとわかる。しかし見ていることしかできなかった。脚が震えていた。

「何か云い遺すこと、ないか?」

「……“牛”の旦那に稼ぎを預けとる……悪いが……この稼ぎ場、終わったらで、ええ、国のお、お袋に……届けてくれんか……駄賃と酒代は、その中から、さっ引いてくれて……ええけぇ、よぉ……」

「ええのか、全部呑んでしまうでぇ」

「ふざけんなよ……」

 血の気が引いたトラーオが、不敵に笑う。ネロスも笑う。胸元にあてた太刀の柄をにぎる手に、力が入る。

「いとよき静謐を、トラーオ」

「お前にも、いずれ……いとよき静謐が……訪れん、ことを……ネロス」

「あばよ、トラーオ」

「……あばよ、ネロス……」

 トラーオの胸に突きつけられた切っ先が、ぞぷりと音を立てて沈みこんだ。


(つづく)

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