第11話 「イオ大亂」(7)

「危ういですな……」

 いささかの沈思の後、ラーソンは低くつぶやくように反駁した。モルは無言であるが、副団長であるラーソンにはその強固な意はくんでとれる。しかし、もう一度いさめないわけにはいかなかった。

「危ういですぞ、それは。諾とするわけにはいきませぬ」

「どこかで一度、思い切って仕掛けねばならぬ、よい頃合いだ」

 先日ゲルダと語った際、心中にあったものを、言葉としてモルは発した。

「ならば、私が……」

「いや……」モルはかぶりを振る。「お主には中央で指揮をとってもらわなければならぬ。お主にしか任せられぬ、戦陣の機微でどちらかに片寄せて……」


* * *


 やはり、右が空いたか……数日前、この一手を打つ――と軍議で諮られた際のモルとのやりとりを憶いかえしつつ、ラーソンが独語したとき、紗幕にも似た雨がその一隊の敵陣への侵入を覆い隠した。

 これぞイシュトールの加護ぞ!……とラーソンは心中で快哉した。

 右翼方向に比重を移しつつあったオルドロスの隊がその騎行をみとめたのが、すでに先陣をすり抜けた後であった。それほどその一隊の動きはなめらかであり、かつ彼らを隠した雨の強まりは気まぐれであった。

 後方から報を受けたオルドロスは、その狙いを察して戦慄した。

「本陣に伝令を出せ!横陣だ、防げ、連中の狙いは本陣だぞ!」

 指揮をしつつ、みずから移動しようとするオルドロスであったが、もみあいの中、ラーソンの隊が激しく押しこんできたため、釘づけにされてしまった。

「団長が王弟殿下の首級をあげるまではここにいてもらうぞ、オルドロス!」   ラーソンとオルドロス、指揮をするたがいの声が届くほどの距離で、両隊がはげしく斬りあう。

 一方、視界の悪さが、空いた敵中央と左翼の間隙から深く斬りこんだ一隊に幸いした。

 先鋒のオルドロスの後方に布陣していた二陣は、彼らめがけて疾駆する戦幡もかかげていない一隊の正体をはかりかねていた。モルたちは槍を合わせず、そのかたわらをすり抜けていった。すり抜けたころ王弟軍はようやく、とげのように鋭く侵入してきた敵を認識した。

 オルドロスからの伝令を待つでもなく、近接した土豪の隊が、素早く反応した。疾駆する隊の横合いから、行く手を遮ろうとする。

「シナグの専横者か!」先頭を駆ける若く豊かな体躯の騎士は、猛っていた。「カスバルの騎士、アウーの領主ダレットだ!イシュトールの名において、我らミルドに仇なす者、討ちとらん!」

 アウーに所領を持つダレットは、カスバルでも名の通った剣士である。侵入してきた一群の先頭を駆ける騎士目がけて、鋭い槍を繰りだした。槍先が胸板を貫くかと思われた刹那、その騎士は身体をそらせ、かわすと同時に片手で柄をつかみ、引き寄せた。馬上でたたらをふんだダレットの顔面を、鈎斧が打ち砕いた。モルであった。

 モルに率いられた百名は、迅速をすべてとしてこの時のために各隊から選抜された、いずれも屈強の騎士であった。先日まで付け城で指揮をしていたモルは、この日は戦場に降り、ラーソンの後方で機をうかがっていた。付け城には、代わりにパトキン公が配置されている。

「察せられましたぞ、先陣は私たちめが!団長、中翼にお入りください」

 併走する騎士がいさめるが、モルはかぶりを振った。

「不要だ。速度を落とすな、突きくずせ」

 自ら振るう鈎斧は柄まで鉄である。斧というが、その形状と形容がのこるだけの斧刃は、もはや野菜すら切ることもできず、反対側の鈎とともに戦棍として使われる。将兵の骨や甲冑で、刃がさえぎられることを忌避したモルがこの日選んだ無骨な得物であるが、無論、通常であれば名門の騎士団長が、戦場で手にするような代物ではない。

 モルの手にした鈎斧がふるわれるたびに、血しぶきがあがる。つづく騎士たちの激しい戦いぶりに、領主が討ちとられたことに動揺したダレットの隊は、行手を遮ることができなかった。

 それでも敵刃を受けて、モル隊の数騎が落馬する。しかし、したたかに大地に叩きつけられても、ある騎士はひるまずに両手を大きく広げて、本体の追撃をわずかでもさえぎろうとした。剣を振るってひとりふたりと斬り倒すが、次の刹那、兵卒の槍に胴を深々と貫かれていた。別の騎士は落馬した時に利き腕を折ったが、駆けぬけようとする騎馬に飛びつき、のこった腕で前脚を斬り割った。騎馬は激しく転倒し、数名の兵士を巻きこんだ。無論、彼も馬の下敷きとなった。

 ようやく本陣にも、そのあり様が伝えられた。

「あれだけの小勢で入ってくるとは愚かな」アドモスがあざ笑った。「押しつつんでしまえ、一騎たりとも逃がすな」

 アドモスの命がなくても、カスバルの土豪たちは侵入者を討ちとるため、機敏に押しよせた。しかしモル隊の鋭さは、彼らの予想をこえた。ダレットらの二陣は突破され、さらに薄い三陣もたちまち貫かれていた。王弟軍は右翼の苦戦により大きく右に戦力をかたむけていたために、少数の精鋭によるモルの特攻を許してしまったのである。

 モルの突入にあわせて、左翼のバーリンは崩れている王弟軍の右翼への圧力を強めはじめていた。敗走する右翼の将兵が本陣近くにまで押しこまれていた。右翼の援護に向かったオルドロス隊のゲープやドルジたちにも、収拾がつかなかった。そのためオルドロスが防いでいる中央軍の後方は、ひどく混乱していた。本陣へと兵を向ける余裕もない。

 本陣は騒然となった。

「駄目だ、防ぎきれん、突破されるぞ……」

「本陣、護れ!」

「近衛隊は前面に展開しろ!」

「楯隊出ろ!最前列だ!」

 周囲の者が次々と下知をくだし、ユリウスもまた容易ならぬ事態と感じた。

「何をしておる!なぜ突入を許した!」」

 物見の報告に思わず怒声をあげたユリウスにはまだ、戦場のその動きは見てとれなかったが、眼をこらしていると、ようやく布陣が切り裂かれていくのが察知できた。

 モルがみずから先鋒を駆ける隊は百人ほどの小勢であったが、さえぎる者を斬りふせ馬蹄にかけて疾駆する様は、沸騰した戦場にあってすら、みる者の肝胆を寒からしむるほどであった。

「おのれ……何やつ」

 歯噛みをするユリウスの前方で、不充分ながら近衛兵が布陣を展開した。彼らの動きも迅速であった。隊長の命で弓隊の弓弦が一斉に音をたて、モル隊の騎士たちは次々と落馬していく。

「ガスター隊、前へ!団長を護れ!」

 十騎ほどが最前列に出、馬上で楯を構えた。振りそそぐ矢で、たちまち楯も彼ら自身も針ねずみと化した。三騎四騎と落馬していく。それでも楯となって先頭を走るガスターたちの馬脚はゆるまない。たちまち近衛隊との距離がちぢむ。

「入るぞ、薙ぎはらえ!」

 咆哮するガスターが、手にした長刀を振るう。突きだされた槍がそのひと薙ぎで幾本も両断され、騎馬は兵卒を蹄下に蹴散らした。

 ふた呼吸おいて、ガスターらがこじ開けた箇所にモルらがつづいて突入したとき、数本の槍がガスターを捉え、その身体がカスバル勢の海に沈んでいった。

 その間隙をモルの鈎斧がさらに深くこじ開けたが、近衛隊の抵抗は激しく、さすがのモルらもひと息に突破することはできなかった。

 ユリウスの本陣は眼前であるが、犠牲を出しながらも、近づくことはできなかった。いたずらに、ときがすぎていく。

 騎士の一人がモルに近寄り、至近で叫ぶ。見ると左後方から後詰の大軍が押しよせていた。千人はいるだろう。

 乱戦の中、モルが馬上で弓を引き絞る。鏃の先端は本陣の王弟の胸元を狙っていた。

「ユリウス殿下!キーブルの陣をご所望されていらっしゃいますが、安くはございませんぞ。お代として殿下の首級を所望したい!」

 雄たけびとともに強箭はうなりをたてて本陣へと吸いこまれ、ユリウスの前に立ちふさがった護衛兵の胸に突き立った。楯となった護衛兵の力を失った身体が、ユリウスにおおいかぶさった。

「おお……!あああ……!」

 護衛兵の身体の重みと、染みだしていく血を目の当たりにしたユリウスの悲鳴が一帯を震わせた。その瞬間、本陣そのものも打ち震えたようであった。

 しかしモルはそれ以上は執着しなかった。

「撤退だ!左旋回!」

 モルの下知を耳にした騎士たちは、周囲の槍を斬り払い、近衛の隊から一斉に離れていった。

「逃げるぞ、追え!」

 側近たちが慌てて命ずるが、これを押しとめた者がいる。

「それがしの隊が後方から迫っております。連中めはそれで撤退したのでしょう」

 堂々たる風体で本陣に押し入ってきた大兵漢は、バルバジア公ゾーイであった。ユリウスですら簡易な軽甲をまとっているというのに、戦陣にあって平服であった。

「右翼は手ひどくやられております。今日はイシュトールのご機嫌が悪かったようだ。一度引いて陣を立てなおす必要がござりましょう。ささ、今のうちですぞ、殿下は後退なされよ」

「お…で、でかしたぞバルバジア公。混戦が本陣近くまで迫っております、殿下、ここはいったん後退を」

 アドモスが急に慌てだしたのをみて、ゾーイはにやりと余裕の笑みをうかべた。

「ははは、王弟殿下、ひとつ貸しですぞ」

 ユリウスは一瞬、酢を呑んだような表情となった。

 その本陣の狼狽したありさまを横目で見つつ、モル公にやられたか……とかたわらのリンドレイは思った。

 凡戦を重ね、この地に釘づけにされ、誘いこまれた。

 右翼は完全にやられた。もしかしたら、狙いはオルドロスだったのかもしれない。カスバル側が配置換えをしたその日に仕掛けたのはたまたまか、意図があってのものだったのか……それはわからぬが、これほどに痛撃を与えられてしまえば、もはや関係はなかった。戦局は王側に大きくかたむいたとみてよいだろう。

 一度本陣近くまで到達していたモルの隊は、左に急旋回した。王弟軍の中央と右翼の間隙を突破して離脱するつもりであった。もっとも右翼はバーリンに攻めこまれ、今は体をなしていない。オルドロスが一部を割いて修復させているが、とうてい追いつかない。

 しかし本陣にまで肉薄した敵を、黙って通過させてやるつもりはなかった。

「セリヌンティウス!二千で、ここを死守しろ!ラーソンを一歩も進めさせるな!」中央のオルドロスが吠えた。「のこりは俺についてこい、入ってきたやつら、ひとりも逃すな」

 幡を上げていないので、その隊がモルに率いられているとは、遠目のオルドロスにもさすがにわからなかった。

 混乱するカスバル土豪の連合軍の中を逆に疾駆するモルらであるが、さすがにすんなりとは通れない。横合いから突かれ、次々と討たれる。しかし全員騎馬であることを活かして、王弟軍を後方から切り裂くように、遮二無二に突破を図る。

 その前方に、オルドロスが率いた隊が自軍を逆走していた。オルドロスは先頭を駆ける騎士がモルであることを、そのとき初めて知った。

「……モル!貴様か!」

 雄たけびをあげて、馬腹を蹴った。旗下の兵士が、気炎をあげてこれにつづく。両隊の距離がみるみる縮む。必殺の気迫でオルドロスが戦棍を、モルが鈎斧を振りかざす。激突し、凄まじい金属音とともに、瞬時に両騎は駆け交っていた。オルドロスの戦棍が半ばから折られ、モルの鈎斧はやはり半ばから大きく歪んでいた。

 手のしびれが、初めて手合わせをした相手の膂力が、並々ならぬものであることを両者ともに感じさせた。

 役にたたなくなった得物を、両者は同時に投げ捨てた。

 オルドロスは馬脚を返す。

「からめとれ!」

 構わずにそのまま駆け抜ける算段であったモル隊であったが、オルドロス隊の寄せにかかって馬脚を止められた。

 王弟軍を突破するときにその姿を隠した雨が、今は足枷となった。朝から降りつづいた少雨が、少しづつであったが大地をぬかるませていた。モルの騎乗した馬がそのぬかるみに脚をとられた。

 つんのめった馬体から放りだされたモルが、大地で自ら身体を転回させて片膝立ちとなったときにはすでに抜剣していた。

 ――仕留めろ!と怒声をあげて肉薄するオルドロス隊の剣槍の鋭さは、凄まじいものであった。モル隊は壮絶な乱戦に、次第に押され気味となっていく。しかし自らモルを討ちとろうとするオルドロスの前に、数騎が身体をはって立ちふさがり、こちらも近づくことができない。

 幾人目かの兵士を斬りさげたとき、モルの剣が音を立てて砕けた。繰りだされた槍をかろうじてかわしてその柄をつかむと、ついた手がつかんだ泥土を敵兵の顔面にたたきつけ、ひるむところを強引に槍を奪いとる。その半身は、敵のものともおのれのものともつかぬ鮮血に染まっていた

 二騎が乱戦を突破して、モルの周りの兵士を蹴散らした。ひとりが馬から飛び降り、手綱を手にしたまま駆け寄る。

「団長、これに!」

 手綱を渡し、鞍上にモルを押し上げる。

「マロス、後は任せたぞ!」

 大地にのこった騎士が叫ぶと、馬上の騎士はモルの騎馬の手綱を引き、その場から離脱しようとする。

 のこった騎士が高らかに哄笑し、押しつつまれた敵兵の中、勝ち目のない斬り合いをはじめた。

 モルとマロスの眼前に、数騎のオルドロス配下の騎士が立ちふさがっていた。

「団長は私めの後ろから!」

 頬から顎にかけて見事な美髯をたくわえたマロスが、長刀を構える。騎馬の一団はまさしく大波のごとくに両名におおいかぶさってき、裂ぱくの気合がマロスから走った。海魔が大波をえぐるようにマロスが、そしてそのすぐ後ろをモルの騎馬が突破した。しぶとく後方から襲いかかる騎士を突き落し、前方に視線を向けたモルに鮮血のしぶきが降りかかった。マロスの左腕が肩から先がなかった。

「マロス!」

「なあに、まだ利き腕があります……」笑ったマロスの顔は、すでに蒼白であった。「それより団長、お迎えが、間に合いました、ぞ……」

 前方に、オルドロスが抑えとして前線にのこしてきた隊を、強引に突破したラーソン隊が展開していた。マロスが馬を止めたため、モルは彼を追い越し、思わず振りかえった。

「団長、お先に行かれよ、私めは……しんがり……を……」

 マロスの身体が、馬上からゆっくりとすべり落ちていった。マロスが力なく大地に激突した音が、モルには激音に感じた。

 数騎がオルドロスの包囲をぬけてきた。ラーソン隊もモルの周囲に駆け寄った。

「団長、ご無事で!」

「ラーソン!一騎でも多く連れ帰るぞ!」

「御意!無論にございます。ここはお任せを、団長は本陣にお下がりください」

「私はよい、皆を撤収させる」

「なりません」ラーソンがかぶりを振った。「敵左翼はまだ付け城から離れておりません。ユリウス殿下の本陣も余力をのこしたまま撤退しています。本陣で指揮を!ここでしくじれば、死んでいった騎士たちに会わせる顔がありませんぞ!」

 強固に云いはなつラーソンであった。

 ラーソン隊の兵士たちは、モル隊を殲滅させるつもりで囲むオルドロス隊の背後から襲いかかっていった。さすがのオルドロス隊の剽悍な精鋭たちも、崩れたつ。モル隊の騎士たちも次々と合流してきた。


(つづく)

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