第11話 「イオ大亂」(8)

「王弟軍左翼、撤退を開始しました。ランドール公の幡が見えます」

 物見の兵卒の伝達に本陣はわきたち、昂揚した戦意が充満しはじめる。

「団長、リアデイル隊、指揮を待っております!」

「ホーデンス公、ドニア公、メルヴィス公、追撃の準備、整ったとの伝令が参りました」

「サレー支団、パトロス隊の配置、間もなくです」

「クーキン公、軽装歩兵二百、いつでも行けますとのことです」

「バーリンの若造より伝令です、右翼はたいらげたので、次の相手は誰ですかとのことです。ははは、すっかり堂に入ったものですな」

 本陣モルの下へ、各隊より次々と伝令が到達する。

「左翼のゲルダ殿より伝令です。味方に死者はおらず、負傷者もごく少数。弓兵隊を再編したので、どの隊に入ればよいかとのことです」

「あのじゃじゃ馬め、駄目と云われても訊くまい」

 モルの独語に、周囲の騎士たちも苦笑した。

 モルの奇襲により脅かされた王弟軍の本陣はすでに後退しており、右翼が壊滅的な打撃を受け、左翼も付け城を落とせず退きはじめていた。正面では、ラーソン隊とオルドロス隊が激しく競りあっているが、これも機を測りつつ撤退を開始しはじめている。

 モルとともに奇襲をした騎士たちも、包囲を抜けて次々と生還している。しかし消耗は大きい。

「エバルト、どれほど戻ってきている?」

 モルがかたわらの騎士に訊ねると、彼も苦衷の表情をかくせずに答える。

「やっと半分かと……やはりオルドロス隊に捕まったのが痛かったようです」

「そうか……」

 顔を曇らせたモルの下に、さらに愕然とする報が届く。

 鞍上から降ろされ横たえらえれた副団長のラーソンは、身体中に幾創もの刀創を受けていた。脇下を深々と突きいれられた槍傷が致命傷であろう。甲冑の右半分がどす黒く染まっていた。血はすでにかたまっている。

「申し訳ありません、右翼のゲープとドルジの隊がもどってまいりまして乱戦となり……首を獲られて辱めをうけぬように……なんとかご遺体だけでもと……」

 ラーソンの遺骸に付き従った騎士が言葉をなくした。彼も満身創痍であった。

「……わかった」ラーソンの血の気の引いた死顔を凝視していたモルが一瞬、遠い眼をした。「遺体は砦内に収容しろ。お主らが悔やむことはない」

 率いていた騎士たちが、ラーソン隊の援護でほぼ帰還し、ラーソン隊も本陣近くまで後退をした。王弟軍はオルドロス隊が殿軍となり撤退をしている。付け城をモルの代わりに護っていたパトキン公も降りてきて本陣に合流した。

「追撃するぞ」

 戦場を凝視していたモルが、命を下した。周囲の騎士たちに緊張がはしる。

「パトキン公はのこり、陣の立てなおしをはかってもらおう」

「また居残りですか」

「貴公が左翼のランディーヌ公の脚止めをしてくれたおかげでうまくいったが、明日以降にそなえて防衛線は維持せねばならん。立てなおしをまかせられるのは、貴公をおいて他におらぬ」

「諒解した。追い首はあきらめよう」

 さほど不満をみせずに、老練なパトキン公は承諾をした。

 モルもうなずくと、本陣に参集した一同に向きなおる。ぎらぎらした無数の眼光がそそがれる。

「鎮撫軍に従軍している名誉ある諸侯、騎士諸君、長きにわたる不利な戦況下での勇戦、感謝する」モルの声が戦場に響きわたる。「カスバルの諸侯を敵軍……と呼ばねばならぬこと、無念だ。ミルド族とシナグ族、氏族こそ異なれど、建国以来イオの同胞であった。この戦役によって絶たれた絆は、もはやもどることはないかもしれぬ……無念だ!」

 寂として、そこが戦場とは信じられぬ静けさであった。

「この責は那辺にあるか――今!そなたらに問う!この戦役の責、誰に負ってもらうべきか!答えよ!名誉ある諸侯、騎士、兵士諸君!この戦役の責、ユリウス殿下に負ってもらうべきものか――シィ・トゥ・ヌエ!」

「シィ!シィ!シィ!」

 軍全体がどよめく。誰もが人差し指を高く突きだし、咆哮する。

 剣が鍔鳴りし、槍の石突が大地をたたき、盾が打ち鳴らされる。

 血と泥にまみれていない者はいない。傷を負っていない者はいない。

 しかしその顔はいずれも猛っていた。

「確かに聞いたぞ、イオの戦士たちよ!」

 モルの言は、イオの宮廷に伺候している瀟洒なこの男のものとは思えぬほどに激烈であり、峻烈であった。

「これより追撃にはいる!この追撃戦のみは鬼神となれ!」

 苛烈にそう命じるモル自身も、憤怒に身をつつまれたかのようであった。

「よいか、狙うのはユリウス殿下に与した諸侯、騎士首だ。兵卒は遺恨をのこさぬよう、極力傷つけぬように。キーブル城に撤退するまでに、手を緩めるな、この追撃戦をもって、ユリウス殿下の反乱を鎮める、愚かないくさを終わらせるぞ!」

 ――応!と鎮撫軍の戦意で、大地が震えた。


 モルが追撃を命じるより少し前――王弟軍の右翼が崩壊し、バーリンが蹂躙していたころあいであった。

 右翼のセロー公に徴兵されていたハンザは、顔面が地面にたたきつけられた衝撃に慌てて顔をあげた。眼がくらんでいたのは一瞬であったようだ。頭上を喧噪が轟いていたが、地面近くは妙にひんやりとして薄気味が悪い。そら恐ろしさに生唾をのみこもうとしたが、口中は枯れあがっており、吐き気がするばかりだった。配給された冑の隙間に矢が刺さっているのに気がつき、もう一度ぞっとした。冑がなかったら、頭は串刺しになっていただろう。

 周辺には何体かの動かない兵卒があり、どこか遠くからときには大きくときには小さく、いくさの喧騒が響く。ハンザが視線をめぐらせると、少し先に倒れふした壮麗な甲冑があった。

「ご、ご領主さま!」

 驚き、恐ろしさも忘れてにじり寄り、起きあがって肩をゆすると、どうやら死んではいないようだ。ハンザ同様、倒れたはずみに気を失ったようだ。もっともご領主の場合、馬から落ちたのだろうが。

「……何だ……貴様……」

 上半身を気だるげに起こし、機嫌悪そうにセロー公は問いつめた。

「へ、へい、ご領主さま、ここなぁ危のうごぜえます……お下がりになったほうが……」

 そう云ったハンザの傍らを、矢が飛びぬけていき、ひやりとした。

「余の馬は……馬はどこだ」

「……はぁ……どこでごぜえましょう……」

「……余に歩けと申すのか?役立たずめ、何をぼんやりしておる!」

「は、はぁ……」

 腹をたてる領主にハンザは困惑する。馬だの何だの云われても、どうすればよいのだ?

 そのとき、彼方から数騎の騎士が駈け寄ってきた。

「ご領主様!」

 どうやら味方のようだ。ハンザはほっとした。後は任せればよいだろう、それよりも自分はさっさと逃げてしまいたい。

「それがしの馬にお乗りください」

 ひとりが下馬し、セロー公は当然のように手綱を受けとった。

「どうなっているのだ、これは?」

「汚い罠にはめられました」無念そうに答える騎士。「右翼は大敗です。リウム公もリュドウス公もお討死なされた模様です。このままでは危のうございます、ご領主は撤退なされてください」

 お偉い方でも、結局自分と同じことを云うものだ、と妙なところに感心しつつ、ハンザはそっとその場を離れようとした。領主と騎士たちの声が聞こえなくなったが、彼らが急に自分の方をちらりと見やったのが気になった。

「貴様、こちらに参れ」

 騎士のひとりが手招きする。

 いあやではあったが仕方なく再び近づくと、名と出身の村を訊かれた。領主が、その立派な冑を脱いだ。

「貴様、これをかぶれ」

「はぁ……?」

 訳もわからぬうちに、もうひとりの騎士がハンザの粗末な冑を頭からむしりとると、領主の冑を無理やりかぶせた。えらく重く感じた。

「よいか、貴様に手柄をくれてやる。ご領主様のふりをして、ここに突っ立ておれ」

「はぁ?」

 意味がわからなかった。間の抜けた返事しかできなかった。

「ご領主様の身代わりとなれと申しておるのだ!」

 騎士が怒鳴る。ハンザの察しの悪さに苛立った風だった。ハンザにもようやく意味がのみこめた。

「……そんな、こがなところさ突っ立っていたら、おれぁ死んでしまうでねぇですか……!」

「ちょっ、何たる愚鈍」騎士はいまいましげに舌を鳴らした。「だから死ねと申しているのだ。幸い貴様はご領主様と背格好が近い。我らが後退するまで時間稼ぎぐらいにはなろう」

「このような者に、余の冑は釣り合わぬのだがな……」

 不満そうにセロー公はつぶやく。

「もったいのうございますが、やむを得ません」騎士が本当にもったいなさそうに首を振る。「貴様、何があってもここを動いてはならぬぞ、敵が近づいたら、恐れ多いがセロー公と名乗れ、よいな」

「ですけんど……」

「貴様の名と出た村は、しかと聞いたぞ。もし云ったとおりにせねば、貴様の親、親族、村の者まで誅するぞ!」

 ハンザは脚下に深い穴が開き、その縁に立っているような気分になった。

「首尾よくご領主が撤退できたら、のこった家族には充分な褒美をとらせる。よかったな貴様、手柄のたてどころだぞ、ご領主様のご厚情に感謝いたせよ」

 領主はもう興味なげに馬にまたがった。ハンザの方など、見向きもしない。

「貴様わかったな、忠義をみせよ」騎士も乗馬すると、もう一度念をおす。「逆らったら、親族村の者まで皆殺しだぞ、よいな、よいな!」

 そう云うと、彼らはまたがった馬に鞭をくれ、まっすぐ西方をめざして駆けだした。

 遠くから剣戟が響く戦場に、ハンザはひとりとりのこされた。周囲に動くものはない。どがんすればよかぁ?……などと考えもできなかった。ただ、ばかのように百数えるほどのときを突っ立っていたが、不意に恐ろしくなった。

 逆らったら親や村の者まで殺すと脅されたので、逃げることもでけん……とも考えたが、ご領主たちはもう姿も見えない。自分が云いつけどおりにしているかなど、どうせわかる訳もない、そう考えるとばか正直に突っ立っているのが阿呆のようにも思えてきた。

 逃ぐるにこしたこてねぇ……と思った。死にとぅない。何がご領主じゃ、あがな連中のために命をばはるなんて、ばかばかしい。どうせわかりっこない。

 ご領主様たちが逃げていった方向に、ハンザも駆けだした。しかし彼は、まず冑を脱ぎ捨てるべきであった。彼が一生に稼ぐよりもまだ高価な豪奢な冑のきらめきは、戦場では目立った。

 どうっと地響きがした。振りかえると、騎馬の一団が疾駆していた。目立つ冑を遠方から見かけたものだろう。

 違う、俺は違う!と叫んだが、無論どうしようにもない。たちまち距離をつめた先頭の騎士が、矢をつがえているのが見えた。次の瞬間、衝撃がハンザを襲った。


 王弟軍の撤退――敗走にともない、猛烈な追撃戦がおこなわれた。殿軍を任されたオルドロスであったが、幾隊にも分かれて徹底的に追いつめてくる鎮撫軍のすべてを防ぐことはできず、王弟軍に与する豪族の軍は、多くが痛手をこうむった。

 ことに右翼の主力であったリウム公とリュドウス公は討死し、その軍に組みこまれた土豪で、討ちとられた者も少なくなかった。ちなみにセロー公は生還している。

 また付け城を責めた左翼のランディーヌ公の軍も、撤退では少なからぬ将兵を失った。

 常に最前線で戦いつづけた中央軍のオルドロスは、この撤退戦でも多くの犠牲をはらっている。

 かろうじて本陣と後衛の被害が小さかったぐらいである。

 王弟軍は傷つき、キーブルに帰城した。

 痛手といっても、まだ五分以上に鎮撫軍と戦うだけの兵力はある。しかし誘いこまれて痛撃された土豪たち、そして何より、わずかな騎士で本陣へ奇襲されたユリウスに植えつけられたモルに対する畏怖――あのときも胸元をまっすぐと狙っていた鏃のするどさ――は、ぬぐいがたいものであった。

 みずからの指揮の下、やすやすと鎮撫軍を制圧し、余裕をみせつつ東進する――ユリウスの構想は大きく頓挫した。

 数日後、東方が安定したことにより、モルの下に増援が到着した。これにより兵力の差はなくなり、ユリウスが東進することは一層困難となった。一度の敗走により痛手をこうむった王弟軍は、東への侵攻の執念を失った。

 オルドロスら強硬派は強行に軍をすすめることを何度も進言したが、ユリウスや岳父のアドモスらには冒険をするふんぎりはつかず、結局キーブルにて各地の戦況をみつつ、多方向からの侵攻と歩調をあわせてアンドレードへ迫る――という安全策、消極策をとられることとなった。

 だがこれは、そもそも無理な話である。今回の内乱の首謀はユリウスであり、諸侯の多くは恩賞目当てである。そのユリウスが、キーブルにこもって動こうとしない。主軍が意気軒昂な様を見せねば、追従者たちのやる気が出ようはずもない。

 一時は優勢にことをはこんでいた王弟派の諸侯は、次々と鎮撫され、もしくは旗幟を変えていった。ゾーイなどは、モルの奇襲の際の貸しを強調し、口実をもうけて早々と戦線を離脱していった。

 ユリウスらが期待していた東方の土豪たちの反抗も不発に終わっており、結局叛図はミルド族のカスバル一帯へと収束していった。その版図も、少しずつではあったが、縮小しつつある。

 戦況は再度一変した。

 イオの大亂は半年をかけて、ようやく収斂しようとしていた。

 王弟ユリウスが叛旗をひるがえしたこの大亂において、劣勢ながらその侵攻を防いだキーブル周辺のいくさは、イオの年代記に燦然と語られることとなった。


(つづく)

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