第11話 「イオ大亂」(6)

 その夜――キーブル城での軍議で、陣立ての変更を願い出たのはセロー公、リウム公、リュドウス公であった。いずれもユリウスのキーブル入城にあわせて参陣した有力土豪である。

 その日まで中央軍の主戦力であった彼らは、右翼、すなわちバーリンの護る街道筋への配置換えを要望してきた。

 この地でのいくさがはじまってから、明日はちょうど十日めである。この間、王弟軍側は執拗に連日攻めかけてきたが、目立った成果はない。激戦ではあったが、凡戦であった。しかしその平凡なぶつかり合いは、両軍におびただしい死傷者を出していた。ことに、劣勢のとりで側の将兵は、著しく疲弊している。

 オルドロスが攻めたてた街道筋は、もうあと一押しというところまできていると、王弟軍側は見ていた。バーリンの陣を突破すれば、後はひと息に付け城を陥落させて要衝を手にすることができる。要するに、おいしいところを持っていこうと、セロー公らは考えているのだ。

 オルドロスはユリウス直属である。さすがにそれは横紙破りであろうと諸侯は眉をひそめるが、ミルド族の有力者であるアドモス公とランディーヌ公が、これに賛同した。しばし考え、ユリウスは鷹揚にうなずいた。諸侯の見せ場を作ってやれば、貸しになると感じたのだろう。

 軍議後、陣変えを知らされたオルドロスの副官らは顔色を変えた。堅固なバーリンの陣を落す寸前まで追いこんだのは、彼らである。手柄を横合いからかっさらおうなどとは、図々しいにもほどがある。

 憤慨する副官らに、オルドロスは「殿下のご意志である」とだけ無表情に云いはなった。


 翌朝はまだ明けきれぬうちから、カスバル側の陣が動きだしていた。街道筋にまわったセロー公は今回参集したカスバルの土豪の中でもことに年若く、ここが見せ場と猛っていた。疲弊しているとみたバーリン隊などひともみにするつもりである。

 うごめく軍容を見やったオルドロスの副官ゲープはいまいましげに唾を吐いたが、馬上の主将は戦混をかいこみ傍目には平然としていた。

 薄暮の向こう側に王側の陣が広がっている。いくさのはじめのころにくらべて陣容が薄いように思えたが、眼前で配置を変えるカスバル側の動静にも動揺する様子もはみえなかった。

 重苦しい雲が低い。曇天である。ひょっとしたら降るかもしれぬ――と皆が思っていると、生暖かい雨がなかば霧のようにけぶりはじめた。

 本陣ではユリウスがかすかに不快な表情をうかべた。まとわりつくような霧雨が、停滞していた戦局の継続のように感じられたのであろうか。

「攻め時だ」それでもユリウスは命を下す。「今日でけりをつけるぞ、諸将ら、兵の出し惜しみするなよ」

 カスバルの有力土豪たちも気勢をあげる。強固に思えたモルの軍が消耗していると、多くの者が感じていた。将兵の数も減っているようだ。

 本陣からの攻め銅鑼で、カスバル軍が距離をつめた。オルドロスと代わり、右翼を占めたセロー公らの隊が、真っ先にバーリンが護る街道筋に攻めかかった。疲弊していると思われていたバーリンの隊が、意外にも前面に兵を展開していた。

 中央ではオルドロスが先鋒となりラーソンの隊に、左翼ではランディーヌ公が付け城に兵をすすめた。全面で戦線が展開しはじめた。

 中央でオルドロスのと真正面からぶつかったのは、ラーソンの支隊であった。兵数で優位のオルドロス隊が力押しで攻めかかってくる。もともと、カスバルの諸隊の中では、ずばぬけた強さのオルドロス隊である。四つに組み合えば、圧倒する攻めの強さであった。

「エムズワース殿、重傷を負われて前線より離脱されました!」

「リュアロス卿、討死とのことです!」

 ラーソンのもとへもたらされる各所からの報告も、苦戦しているものばかりである。

「さすがに……オルドロスめは強いですな」副官が焦燥の色も隠せずにうめいた。「ラーソン副団長、このままでは押し敗けます。一度後退をして体制を立て直したいところではありますが……」

「今、中央が引くわけにはいかん」

 そう云いつつ、視界の悪い両翼に視線をはしらせたラーソンのもとに、また伝令が駆けよる。

「マーカス隊、苦戦しています」

「五十歩前進するようにドニア公の隊に伝令を送れ。分断を恐れて攻めひかえるはずだ。それ以上は前進するな、格好の的になるぞ」

「後衛も少々押し上げますか?」

 副官が進言すると、ラーソンはこれを諾とした。

「それにしても」流動する戦局を馬上から鋭く見すえつつ、ラーソンは苦笑した。「昨日までオルドロスとやりあっていたとは、バーリンの奴め、やるではないか。今日の戦が終わったら褒めてやるとしよう」


 右翼の先鋒を務めるセロー公らの隊は、歩兵を中心に編成されている。正規兵だけではなく、多くの農兵もこの戦役のために徴されていた。その中にハンザという男がいた。若く頑健で、そして世間知らずの農夫であった。彼にはカスバルがどうのミルド族がどうのなどの想いは特になく、とにかく無事に郷里の村に帰ることだけが望みであった。幸い正規兵ではないため最前線に立つことは少なく、この日も後衛で配給された槍を抱えて、周りの味方にもみくちゃにされていた。

 しかし、この日は様相が違った。街道筋に配備されたが、どこからともなく、ここがいくさの正念場だと伝わってきた。今日で街道を突破するのだ――と。

 ハンザには、昨日までのいくさと今日のいくさ、意味がどう異なるのかまるでわからなかったが、周囲の者はずいぶんと奮いたっていた。それが彼の脚を震わせていた。

 相変わらず前方では激戦となっているようだ。激しい剣戟が反響していた。

 戦線が開いて、すでに二刻ほどがたっていた。

 開戦と同時に振りはじめた少雨は、時にやみ時に戦場に紗幕を張りめぐらせたようにしていた。たいしたことはないが、視界をさえぎりがちになりやがて脚下の地面はゆるさを増してきた。

「街道筋はまだ突破できぬのか?」

 本陣では、バーリン隊を持て余しているように見えるセロー公のいくさぶりに、アドモスが不満をもらした。

「焦るなアドモス公、敵は少ない、時間の問題だ」

 余裕をみせつつ、ユリウスが答えた。事実、数で勝るセロー公の隊は、じりじりと押しこんでいるようであった。

「……あれは何でございますか……?」

 不意に、リンドレイが声をあげた。彼の視線は付け城を向いていた。ごくごく簡素な柵で護られた城内から、青黒い狼煙があがっていた。本陣のユリウスらの視線が、しばしそれに釘づけになったが、見ている間に狼煙は薄くなり消えた。

「何だ、やつら、何か策でも弄したか?」

 ユリウスが身を乗りだして戦陣を凝視する。しかし王側の軍には目立った変化は生じていない。ユリウスが小さく安堵の息をはいた。

「何のことはないですぞ殿下。今さら何をしようが……ほら、ごらんなされ」

 アドモスが指差す先には、セロー公の隊がバーリン隊をひと息に切り裂き、街道の柵にとりついた光景があった。

「でかしたぞ!」

 アドモスが我がことのように雀躍した。本陣がどっとわきたった。

「見たか兄上……」その興奮を身近に感じながら、ユリウスのつぶやきは他者の耳には届かなかった。「イシュトールの恩寵は、この俺にあったのだ……」


 そのころ、セロー隊の後方にいたハンザの耳にも、ひときわ大きな喊声が届いた。見やる先で、街道筋を守護していたバーリンの戦幡が戦線から右方向、南へ徐々に移動しているのがわかった。

 逃げたぞ――と誰かが叫んだ。どよめきがあがった。ハンザの周辺にも異様な昂揚が伝わってきたが、彼はそれでどうなるかなど、まるでわからない。

 先鋒が防御柵にとりついたのが、味方の甲冑ごしに見えた。兵卒たちが斧で激しく斬りつけ、柵が引き倒され、またたく間に隊がなだれこむ間隙ができた。

「すすめ!なだれこめ!」

 興奮した命令が、ハンザのすぐそばであがった。

「ご領主さま……」

 突破口に一斉になだれこもうとしたため、攻め手側の隊は渋滞していたため、後方にいたハンザの隊が、いつの間にか領主であるセロー公の近よっていたらしい。

「このいくさ、もらったぞ!」

 馬上で剣を振りまわしつつ、鼓舞する。これまで遠目にしか拝したことのない領主の甲冑は、彼らとはくらべものにならないほど華やかなものであった。ハンザは戦場にありながら、しばし見とれた。

 バーリン隊は追い散らされ、徐々に南へ後退していた。セロー公につづき、リウム公、リュドウス公の隊が遅れじと猛々しい喊声をあげ、一箇所、また一箇所と柵を引きたおしては、獣のように街道へと突入していく。

 行け!すすめ!と各所で声があがる。増水した河川が一点から決壊するように、カスバル勢がその地点に押しよせる。その勢いは鎮撫軍側がどのような手立てを講じても、もはや止められるものではないことは、誰の眼にも明らかであった。

 膠着していた戦線の均衡が破れた。街道を廻りこんで後背から攻めかかれば、付け城は簡単に陥落するであろう。もはや勝敗は決する。王弟軍の勝ちは目前である。

 いく列もの柵を引きたおして、すぼまった街道に多くの将兵が密集した。一番槍の恩賞目当ての騎士、兵士たちが雄たけびをあげて駆ける。

 と――

 我先にと押しすすんでいくその先には、戦場からはたくみに遮断されていたためにはっきりと見えていなかったが、より堅固な次の柵列が配されており、彼らの侵攻を阻んだ。

 その柵の向こう側には弓を構えた一隊があった。前方だけではない。両袖にも柵列が伸び、射手は彼らを包囲していた。

 先陣をきった兵卒が絶望の声をあげた。これが何を意味しているのか、誰もが察した。くるな、引き返せ!と、先頭が恐怖にかられて叫んだ時には、隊はもう身動きとれないほどに密集していた。飛びこんだ彼らは、あたかも網に押し包められた魚の群れであった。

 弓兵たちを指揮していたゲルダの腕がふられた。柵列で形成された袋の中で身動きとれなくなっていたカスバル側の兵卒の頭上に、一瞬で陽を陰らせるほどの矢が降りそそいだ。

「ひとり、十を数える間に五射せよ」

 ゲルダはあらかじめそう命じていた。狙いをつけなくても、袋の中に射こめば、必ず誰かに当たる。弓兵は前線を切りつめて、三百ほど配置されていた。それが一斉に射た。

 カスバル側は、先頭のセロー公の隊だけでも五百もの将兵が入りこんでいた。つづく諸侯の隊も、恩賞目当てに、前の者を押しのけてでもと乗りこんできていた。ゆえに正確な数はわからない。

 先頭が逃げろと叫んでも、後方には伝わらない。進もうとする者、退こうとする者。怒号とともに、隊の動きは止まっていた。文字どおり、わなにはまった巨獣のようなものだった。押しのけ逃げ出しようもなく、それでも人を楯としようとして、逆に押したおされ、折り重なって、身動きとれずに彼らは的となっていく。

 後方から押されるように街道筋に入りこんだセロー公の眼に飛びこんできたのは、身動きとれずに次々に射たおされている自軍の惨状であった。

「何だこれは!」

 と叫んだセロー公すらも、押しこもうとする後続と逃げまどう前衛との人の波に押されて身動きすることもかなわぬ。眼前の光景に言葉を失ったセロー公にもまた、飛箭が襲いかかった。

 兵卒がつぎつぎと射たおされ逃げまどう中、鼓舞せんと怒鳴り、柵にとりついた部隊長がいた。

「ひるむな!乗りこえれば勝ちは眼の前だぞ!」

 柵をまたごうとするところをさえぎろうとした兵卒たちを、長刀の一振りで轟然と斬り伏せた瞬間、ゲルダの槍が喉笛を深々と刺し貫いていた。

「逃げる者には手を出さぬぞ、背は射たぬ!だが、前にすすむ者は容赦せぬ!」

 ゲルダの凛とした声が響いた。からめ捕られようとしている獣の恐怖、狂気とともに、強烈な惑乱と動揺が冊内に匂いたった。

 ゲルダの言は温情ではない。うろたえたカスバル勢は気がついていないが、数にまかせて死に物狂いで襲いかかられれば、突破される恐れは多分にある。故に、退路をわざと示唆したのである。

 後退する軍と進む軍が混乱したところを、追いちらされたように見えたバーリンの隊が陣を整え、これまでの苦戦のうさをはらすかのように、刈りはらっていく。戦意を失った一軍は、事態を理解することもできずに、切りくずされていった。


「何がおきた?なぜだ……なぜ下がる?後退せよと誰が命じた!」

 ユリウスが困惑して左右の者に訊ねるが、本陣からは柵列内の様子はわからない。押しこんだところで動きが滞っているのだけがわかったが、右翼が一気に崩れた理由が、そこからでは不明である。

「……よ、邀撃されたのか……」

 いつになく、リンドレイが余裕のない声をあげた。

「まずい……まずいですぞ」アドモスも顔色が失せていた。「右翼が崩壊すれば、とんでもないことに……」

「そのようなこと、わかっておる!マバールとエイダスの隊は何をしている!」

 ユリウスが怒鳴るが、右翼の二陣三陣の動きがにぶい。先陣の突然の崩壊に対処しきれていない。


「役立たずのばか貴族どもが!」

 カスバル勢の中央軍では、オルドロスが歯噛みしつつ激烈な言葉を吐いていた。憤怒の形相であった。

 霧のような雨のため、詳細は不明だが、前線であったため様子は感じとれる。どうやら右翼はしてやられたようだと思ったが、彼自身も簡単に身動きはとれなかった。

 右翼は押しこまれつづけ、カスバル側の混乱は中央にまで及びそうである。右翼の崩壊を食い止めなければ、王側の左翼が一気に本陣にまで攻めよせるかもしれない。

「ゲープ、ドルジ、後衛にまわれ、ご領主どもをお助け申しあげろ!」

 オルドロスの下知に、馬腹を蹴りそれぞれの一隊を率いて飛びだしたふたりの部隊長は、ともに槍をかいこみ、オルドロスにも劣らぬ猛々しさであった。混乱する右翼の後方に展開し、潰走しようとする将兵をまとめようと苦心する。

 ラーソンもまた、王弟軍の右翼方面に戦力を傾注した。オルドロスもまた、力で押しかえそうと、中央から鎮撫軍からみれば左翼、王弟軍からすれば右翼との境界あたりがすさまじい激戦となった。真正面から押しあっていた中央の戦線が、大きく一方へ傾いた形となる。

 雲の具合であったのだろうか、けぶるような小雨が、にわかに強まり一瞬、白雨となり、多くの者が視界が奪われた。

 戦線の偏りによって生じた、王側である鎮撫軍の中央軍と右翼との間、王弟軍にとっては中央と左翼との間、敵も味方も意識しえぬぽっかりと空いた間隙を夢幻のように駆けぬける一隊を、薄暮に似た数瞬の紗幕が覆い隠した。


(つづく)

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