第21話 “ママ”



「……来たわね。」


長い髪を無造作に流した女性が、訪ねてきたわたしたちの方へ振り返る。


「全然、変わらないわね。」

「会うのは久しぶりとはいえ、この歳になれば2、3年やそこらじゃそう変わらねぇよ。ま、多少はフけたかもしれないが。」

「失礼ね、お肌の手入れは欠かしてないわよ私は。」


ノボ兄と軽口を交わしあうこの女性が、わたしの“ママ”―――“宙路そあわたし”のデザインを描いてくれた絵師、シロハヤブサ先生。

背は高くないはずなのに、すらりと伸びた背中が大人の女性という印象を強く与える。


「あなたが天野の妹ちゃんね。」

「は、はい!天野チヒロです。はじめまして。」

「あはは。そうね、面と向かっては初めてだもんね。メールでは何度もやり取りしてるし、配信でも声を聞いてるからそんな気はしないけれど。」

「って、お前配信に来てたのかよ!さてはHNハンドルネーム分からないようにしてるな?」

「さあねぇ。今さら教えたところで何もいいことはないでしょ?」


フレンドリーな笑い方は、どこかノボ兄と似ている気がする。

さっきの掛け合いといい、ノボ兄とは本当に親しい間柄みたいだ。


「響ましろ。シロハヤブサって名前の方が気に入ってるけどね。あなたたちのイラストレーターをやれて光栄だわ。」




シロハヤブサ先生……ノボ兄の友達、ましろさん。

今も何かのイラスト作業をしていたのか、デスクの上のPCには色鮮やかな画面が映されていた。


「もしかして、お仕事中でしたか……?」

「私たち絵描きは毎日が仕事で毎日が休日よ。私みたいなフリーのイラストレーターは、特に。常にアイデアを絞り出し、手を動かし、形にしていかないといけない。世間が思っているよりは不自由だけど、時間を作ろうと思えば作れるわ。大事な“娘”の相談ともなればなおさらね。」


ましろさんは、キャスター付きの椅子に座ったままこちらに滑ってきた。




「いつかこういう日が来るとは思っていたわ。あなたが、“お姉ちゃん”の足跡をたどって私を訪ねてくる時が。」

「え……」


彼女の言葉に面食らう。


「あの子が姿をくらませた理由は分からないけど、何かがありそうなことは始めの頃から感じていたからね。」


思い返すように左を見上げるましろさん。


「……コーヒー、飲む?ゆっくり話したいでしょう。」

「あ、はい……」

「なら天野、そこの棚に豆とコーヒーミルがあるから挽いといて。」

「なんでだよ!俺は客だろ?お前がやればいいじゃないか。」

「研究室ではいつもやってたでしょ?この場じゃあんたが一番の部外者なんだから、気を利かせなさい。」

「……ったく。お湯はこのポットのでいいか?」


ノボ兄はぶつくさ文句を言いながらも、慣れた手つきでガリガリコーヒーを挽き始めた。


「ノボ兄と、仲が良いんですね。」

「まあ、同じ研究室に2年もいればね。腐れ縁ってやつよ。航空宇宙学科の研究室。私は宇宙とは何の関係もない道に進んだけれど。」


今までに見たことのないノボ兄の姿に、純粋に驚いている。

わたしにとっては頼りがいのあるお兄ちゃんでしかなかっただけに、家の外ではこんな色々な表情を見せているのかと思うと、驚くと同時に少し羨ましくも感じる。




「それで、あの子のことが聞きたいわけね?」

「はい。お姉ちゃん……星隼ひかりのこと、ましろさんはどれだけ知っておられるんですか?」

「“知ってる”こと、ね。そうねぇ……」


ましろさんは腕を組んで少し考える。


「まず、私もあの子と直接会ったことはないわ。一年前、お仕事の依頼のメールが来たの。Vtuberのデザインとモデリングのお願いがしたいって。それ自体は珍しいことじゃないわ。ここ数年でVtuberという存在は有名になってきたし、同じような依頼も何件も来ていたからね。だけどVtuberって、良くも悪くも個人の実力や人柄パーソナリティによるものが強いからね。その身体を大切にしてくれて誠実に活動をしてくれて、しかも長く活動を続けてくれる人じゃないと、そのVtuberの、ひいてはデザインをした絵師の評価に大きく影響してしまうものだし、私自身がこの界隈のことを理解できるまでは、基本的にはお断りしていたのよ。」


Vtuberの活動は、本人だけでなく関わる人たち全ての評価やイメージに直結してしまう。

だからこそ、安易に辞めたり顰蹙を買うような行動をしてはいけない。

お姉ちゃんもそう言っていた。


「お前がそんな真面目なことを考えていたなんてな。」


ノボ兄が淹れ終えたコーヒーを持ってきてくれる。


「茶化さないでよ、大切なことでしょ?あんただって自分の仕事に手を抜いたり不用意なことをしたりはしないでしょう。「よだか2」のプロジェクトチームなんて、ご立派な仕事を任されているんだから。」

「……そうだな。その通りだ。」


ノボ兄の淹れてくれたコーヒーに口をつける。

豆の良さなのか、挽きたてだからなのか、コーヒーの香ばしい甘い香りが喉の奥へと抜けていく。




「そんな慎重なお前が、じゃあなんであの子の依頼を受ける気になったんだ?」


ノボ兄が、至極当然な疑問を口にする。

するとましろさんは笑って答えた。


「なんでも何も、あんたのメールで依頼が来たからよ。」

「―――……は?」




ノボ兄が、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。


「…………どういうことだ?」

「どういうこともこういうことも無いわ。そのまま、文字通りの意味よ。あんたのメールアドレスから、依頼のメールが来たの。」

「待てよ、確かに“宙路そあチヒロ”の依頼のときは最初に俺がメールしたさ。でも今言ってるのは“星隼ひかり”の話だろ?」

「そうよ。何度も言ってるじゃない。“星隼ひかり”のデザインの依頼は、あんたのメールのアドレスから来たのよ。」


ノボ兄は慌ててスマホを取り出す。

はじめにわたしの依頼を頼んでくれたときに使っていたPCメールの履歴を確認するノボ兄。


「―――なんだよ、これ……?!」


やがて素っ頓狂な声を上げたノボ兄を見て、わたしたちもその画面をのぞき込む。




シロハヤブサ様


はじめまして、Vtuberデビューを目指している星隼ひかりと申します。

本日は私のVtuberとしての姿のデザインとモデリングをお願いしたく、ご連絡をさせていただきました。




そのメールは、確かにお姉ちゃんがましろさん―――シロハヤブサ先生に依頼を持ち掛ける内容のものだった。


「ノボ兄、こんなの送った覚えは?」

「ない。全くもって身に覚えがないぞ……」


本当に何も知らない様子で首を振るノボ兄。

しかし何より一番問題なのはメールの末尾、最後の最後に書かれていた一言だった。




最後に、不躾なお願いではございますが、お返事は下記のアドレスの方へお願いいたします。




その下にはノボ兄のものとは全く別のアドレスが載せられていて、そのさらに下には、そのアドレスの持ち主のものと思われる名前が署名されていた。




星隼ひかり

本名 天野ヒスイ



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