第8話 秘密




―――わたしの“お姉ちゃん”は、で亡くなった。



そう、宙路そあの「お姉ちゃん」こと星隼ひかり先輩とは別の、正真正銘のわたし、「天野チヒロ」のお姉ちゃん。

お姉ちゃんは、星空が好きだった。

空の彼方、宇宙が好きで、そんな宇宙を目指して仕事をするお父さんとノボ兄を、誰よりも慕い応援していた。

面倒見も良くて、わたしはお姉ちゃんにべったりだったらしい。

小さい頃のわたしがよく我儘を言ってはお母さんたちを困らせていたからか、お姉ちゃんはいつも自分を後回しにしてわたしを優先してくれていた。



そんなお姉ちゃんの性格がアダになった、なんて。



軟部肉腫というのだそうだ。

症例の少ない希少ならしく、医者の先生の難しい解説は、当時まだ小学生だったわたしには十分理解はできなかった。

何よりお姉ちゃんが我慢強い性格だったこともあって、と診断された時にはすでに肺への転移が起きていて、治すことは難しかったのだという。



そんな経緯があって、わたしはこの歳では珍しい検診を受けることになった。

はじめはお姉ちゃんが亡くなったすぐ後、そして今回は2回目だ。

傍から見たら心配し過ぎだというのは重々承知の上で、受けた結果もこの通り。

何の異常も兆候もない。

だが、家族のみんなに、そしておそらくわたし自身の中にも、その恐怖が植え付けられてしまったみたいに。

漠然とした怖れがわたしたち家族の心に巣食っているのだ。

“わたしもまた、に罹ってしまうんじゃないか”……

“その兆候をまた、見逃してしまうのではないか”……



お姉ちゃんが亡くなって4年、わたしたち家族はとっくに前を向いて歩き出している。

何と言ってもお父さんは「よだか2」計画のオペレーターの主任。

役割も責任も重大で、立ち止まっている暇など許されないのだ。

そのせいでお姉ちゃんの病気に気づけなかったのだと深く自分を責めていたそうだが、それを支えたのがお母さんとノボ兄だった。



4年前のあの日以来、わたしたち家族は立ち止まらず前に進んできた。

奇しくも、小惑星探査機「よだか2」が完成したのは、お姉ちゃんが亡くなって僅か1ヶ月後のことだった。

わたしたちにはまるで、あれがお姉ちゃんの生まれ変わりのようにさえ思えたのだ。

お姉ちゃんの好きだったあの宇宙そらへ、形見の宇宙船を送り出す。

しかも、前回の探査機「よだか」は大気圏で燃え尽きたが、今度の「よだか2」は地球に帰ってきて、その後も旅を続けるのだ。

それを成し遂げるのが、わたしたち家族の使命。

誰もがそう思い、この4年間生きてきた。

笑われてしまうかもしれないが、そして自分でもその虚しさには薄々気が付いているつもりではあるが、それが今のわたしたちなのだ。





いつの間にか、わたしはそんな話を今日出会ったばかりのめぐるちゃんに包み隠さず話していた。

めぐるちゃんはそれを真剣な面持ちでずっと聴いてくれていて。


「……そっか。……そうなんだ……」

「ちょ、めぐるちゃん!?」


気が付くと、めぐるちゃんの目からはらはらと涙がこぼれ落ちていた。


「ご、ごめんね、いきなりこんな重い話をしちゃって。めぐるちゃんには関係のない話だし、気に掛けてほしいわけでもなくって……」


別に同情してほしかったわけではないし、考えてみれば、たとえ前から知っていたとはいえ今日顔を合わせたばかりの相手に話すべき内容の話ではなかった。

リアルで出会った誰よりも“親友”と呼びたい相手ではあったが、さすがにいきなり話すべきではなかった。




「いえ、違うんです。」


めぐるちゃんはそう言って涙を拭うと、意を決したように真っ直ぐわたしの目を見つめてきた。


「実は……私も、なんです。のことは。」

「え……」





そう、なんという偶然の悪戯だろうか。

彼女もまた、を患っていた。

白血病……それはすなわち、血液のである。

血液中の白血球が異常に増えてしまうという病気で、3年前に判明して以来、抗がん剤治療や放射線治療を繰り返してきたのだという。

今では正常な数値となり普通の生活を送れているが、中学校の頃は長いあいだ学校を休むことも多かった。

それに、治ったとはいえ今でも検査のために定期的に病院に通わないといけないらしく、今日もまさにそうだったのだそうだ。

まさか同じの検査のために病院に来ていたなんて、いったい誰に想像ができるだろうか?

もちろん、めぐるちゃんの場合はわたしなんかよりもよほど切実な理由ではあるが……




「学校にも満足に通えなくて、それで高校からは通信制の学校にすることにしたんです。通信制なら登校日も少ないですし、家や病院でも勉強できる。でもその分、友達と会う機会も少ないから……そあちゃんが友達になってくれて嬉しかった。」

「めぐるちゃん……」


彼女はぎゅっと手を握りしめる。

きっと、想像を超えた苦労があったのだろう。

学校にも満足に通えず、友達もできず、ただ病気と闘う日々。

それを思うと、心臓にズシリと重いものが乗っかかるような、からだ全体が重く締め付けられるような心地がした。

わたしは目頭を堪えながら、彼女の肩を抱く。

お姉ちゃんも、こんな思いを抱えながらと闘っていたのだろうか。




「正直、治ったとはいえいつ再発するか分からない病気ですから……Vライバーとしての活動も、いつまで続けられるか分からないんです。私自身の実力不足とかももちろんあるんですけど、もしある日突然再発して、急に引退しなくちゃいけなくなったらって思うと、私を応援してくれる人たちに申し訳ないって思ってしまって。」


そういうことだったのか。

昨日の“引退”について口に出した時の話は、そうした不安から出てきていたのだと、ようやくすとんと胸に落ちた。

Vの世界の人の入れ替わりは激しく、デビューする人が増えるにしたがって引退する人も日に日に増えていっている気がする。

皆、やむにやまれぬ事情があって辞めていくのだろうとは思っていたが、こういう健康上の理由で辞めていく人もいたことだろう。


「それは……。無理もないこと、なのかも。しれないなぁ。」

「ええ……」


彼女に寄り添いながら、わたしはそう言って頷いた。

だが……。




「でもさ。それって、リスナーさん達にもお話しした方がいいことなんじゃないかな?」


わたしは、すこしずつ考えをまとめながら、ゆっくりと言葉を選んで話しだした。


「すぐ辞めるにせよ、もっと先のいつかに辞めるにせよ、めぐるちゃんが何で辞めちゃうのかってこと、リスナーさん達も知りたいと思うんだよ。」


言ってしまえば、こういった事情もまた個人情報なわけで、それを公開するべきかどうかの判断は難しい。

特にこの場合、事が事だけに気軽に話せることじゃない。

重苦しい話を聞きたくないっていう人だっているだろう。

それでも。

IMIARは配信者ライバーとリスナーの距離が近い空間だ。

いつもめぐるちゃんの配信に来ているリスナーさんだったら、めぐるちゃんのこの事情を知りたいと思うに違いない。

そしてきっと、めぐるちゃんの力になりたいと思う人だってたくさんいるはずだ。

わたしたちVライバーは、見に来てくれた人たちを元気にする存在。

だが、それと同じくらいリスナーさん達にも支えられているのだ。

この前のお姉ちゃんひかり先輩とのコラボ配信で、そのことを身に染みて教えられた。




「そう、ですよね……。でもやっぱり私は、当分の間は話さないつもりです。“かわいそう”って思われたくはないから。配信に来てくれた人には、なんでもない、ただの友達みたいに接してほしいから……」

「……そっか。」


じっと目を伏せ、俯いたまま言葉を絞り出すめぐるちゃん。

それを見てわたしは、これ以上は何も言わなかった。



きっと、そうなんだろう。

それが正しいのだろう。

何も言わず、明かさず、特別な何かを抱えていることに、引け目を感じながら過ごしている。

気を遣われるのは嫌なんだ。

ただ、普通の友達として。

家族として。

普通に、みんなと変わりなく生きていたい。

わたしのお姉ちゃんもそうだったのだろうか。

だから、最後までわたしにお姉ちゃんとして優しく接してくれたのだろうか。

お姉ちゃんとして、妹として、娘として。

かけがえのない家族として、最後まで生きるために。



いよいよ、この出会いが偶然ではなく、運命としか言いようがないものだと思える。

今のわたしは、あの頃の何も分からずただ空気を重苦しく感じていただけのわたしとは違う。

わけも分からず、時が過ぎ去るのを黙って見ていたあの頃のわたしとは違う。

この、“お姉ちゃん”と同じ苦しみを背負って生き続けている親友の側で、支え、分かち合いながら歩いていこう。



そう決意を固めて、わたしは再び口を開いた。


「ねえ、めぐるちゃん。今度、一緒にコラボ配信しない?」





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