第23話 お姉ちゃん



「お姉ちゃん!!」


そこにいたのは、わたしがよく知っている「星隼ひかり」のその姿。

モニターの奥、画面の中に映った“お姉ちゃん”の姿を見て、わたしは涙が止まらなかった。


「チヒロ。まさか、本当に見つけてくれるなんてね。」


聞こえてくる、“いつもどおり”のやさしい声。

わたしを包んでくれるようなあたたかい声が、確かにそこに響いていた。


「お姉ちゃん……ほんとにお姉ちゃんだ……」

「ええ。あたしはチヒロの姉、そして、そあちゃんのお姉ちゃんだよ。」




夢中になって言葉を交わすわたし達の後ろで、「いったい何がどうなってるんだ」と管制室のスタッフの人たちが困惑した様子で話し合っている。


「ノボルくん、いったいこれはどういうことなんだい!?」

「いや……正直なところ、俺にもサッパリ。ただ、突然いなくなったこのVtuberの配信データがここのサーバー、というか父さんのこのPC端末から送られてたのが分かって。調べてみたらなんかやたらデカいプログラムが入ってて、時々メモリをバカ食いしてたみたいなんです。」

「そういえば前に主任、このPCたまにものすごく重くなることがあるって言ってましたね?」

「ああ、だからここ一年くらいは使わなくなっていたんだが……」

「それが実は、ちょうど一年前にデビューしてたんです、この子。偶然か、それとも必然なのか、時期がピッタリ重なる。他にも証拠が色々……。とにかくこの子、Vtuber「星隼ひかり」は、ここから配信していたみたいで。」


大人たちは、にわかには信じがたい眉唾物の話に、訝しむよりも前にただ困惑しているようだった。

どうしていいか分からず狼狽える人、理解できずひたすら首を傾げている人、詳しい話を聞きたそうな人。

だが、わたしには……わたしたち家族には、そんなことはどうでもいい話だった。




「……。君に、聞かなきゃならないことがある。ファンとしてじゃなく、君の―――の兄として。」

「……うん。」

「お前は今、どこに……いるんだ?」


ノボ兄の問いに、お姉ちゃんは少し考えるような素振りをしてから、答えた。


「あなたたちの遥か上空……地球距離567,358キロメートル―――」




その数字は、この部屋の奥にある大きなモニターに表示されている数字と同じ……否、今もそこから見る見るうちに減っていっている数字そのもの。




“よだか2、地球までの距離 565,939km”





「……そう。やっぱりお前はにいるんだな?」


ノボ兄のふたたびの問いかけに、お姉ちゃんはゆっくりと頷く。


「ヒスイは「よだか2」の中にいる―――いや、今や「よだか2」か。」

「―――ええ。」


にわかには信じられない、普通であれば信じるわけにはいかない与太話かもしれない。

それでもいま目の前にいるのは、間違いなくわたしのよく知るお姉ちゃん―――天野ヒスイにして星隼ひかり、その人だった。




「ごめんね、急にいなくなって。」

「ううん……そんなのはいいの!またこうして会えただけで、わたしは……!」

「ありがとう。あたしも、チヒロとこうしてまた話せて嬉しいよ。」


お姉ちゃんが、いなくなったはずの人が、大切な人が、そこにいる。

それ以上に大事なことなんて、他にない。


「なんとなく、そんな直感はしてたけど……本当にヒスイなんだな。」

「うん。お兄ちゃんも、久しぶりに声を聞けて嬉しい。それに、お父さんも。」

「……っ……ああ、嬉しいよ。」


ノボ兄もお父さんも、必死に涙をこらえているのが分かる。

特に、「宙路そあ」として接していたわたしたちと違って、お父さんは実に5年ぶりの再会なんだ。




「お姉ちゃん、やっぱり本当に「よだか2」に……?」

「ええ。それに配信とか、お話しするときはこの端末に自身のアバターを一時的に転送してきてたみたい。だからメモリをかなり使わせてもらってる形になっちゃってたの。」

「なるほど……?まあ確かに何億キロって距離を通信で繋いだところで、リアルタイム配信なんてできるわけがないよな。」

「なんでかは分からない……というか、あり得ないことなのは分かってるんだけどね。」

「ああ。まったくの非科学的なお話だし、今でも夢か幻かと思うくらいだよ。でも“星隼ひかり”としての活動は疑いようのない事実だからな。」


いま目の前にいるお姉ちゃんが、一体どういう存在なのか―――

「よだか2」のコンピュータの中に偶然生まれたAI?

宇宙を旅する探査機にお姉ちゃんの魂が宿った、機械の中の幽霊ゴースト・イン・ザ・マシーン

いずれにせよ、自然の摂理に反した超自然的存在なのは間違いない。

わたしたち全員が、夢やマボロシを見ているのではないかと思うくらいに。




「この1年間、ほんとに楽しかったよ。チヒロそあちゃん姉妹になれたし、夏からはお兄ちゃんも聴きに来てくれてたもの。少しの間だけでも、一緒の時間を過ごせて嬉しかった。」

「そうだね……ほんとに、貴重な時間だったんだな。」


わたしたちは、噛みしめるように言葉を絞り出す。

神様が与えてくれた、夢のようなこの奇跡の時間を、精一杯抱きしめるように。


「お父さんも。よだか2この子に、あたしの名前を付けてくれてありがとう。きっと、それがあたしがこうしていられる理由になったんだと思う。」

「小惑星探査機よだか2、別名“翡翠かはせみ”……思いついたときは、さすがに出来過ぎた偶然だと思ったよ。言ってたのを覚えてたからね……「死んでも星になって見ているから」って。でもまさか、本当に星になっているなんて思いもしなかった。」

「ふふっ、そうね……。」




―――“言霊”ね。言葉や名前には、命が宿るっていう考え方。嘘のつもりで口にした言葉が本当のことになったり、名前を付けて大事にしてる物が長持ちしたり。―――




わたしは初めてコラボした時の、お姉ちゃんの言葉を思い出す。

今考えてみるとあれは、単なる知識という以上の―――あるいは、お姉ちゃんのだったのだろうか?




―――名前の付けられた物がホントに命を持って動き出したりって伝説や御伽噺もあるけど……―――





物の怪もののけに、付喪神つくもがみ……」

「そうだね。もしかしたら今のあたしは、そういう存在なのかもしれない。」


お姉ちゃんは、ゆっくりと頷く。


「まあ、誰もそれを証明はできないけれど。」

「宇宙はいまだ多くが未解明の、謎に満ちた未知の世界だ。どんなことがあったって不思議じゃないさ。」


そう言ってお父さんは、この管制室内をぐるっと一回り振り返る。


「宇宙では、文字通り何が起こるか分からない。この「よだか2」運用チームも、先代の経験を踏まえつつ、予想しうる限りのトラブルを想定してありとあらゆる訓練を繰り返してきたんだ。先週の通信途絶だって、何十回とシミュレートして対策や対処の仕方を練ってきた。だから必要以上に慌てることなく、即座に対応できた。ここはそういう世界なんだ。……さすがに、今回のようなことは想定の範囲外だったけどね。」

「そうだよねえ……なんかごめん、手のかかる娘で。」

「いいんだよ。手のかかる子ほど可愛いって言うだろう?」

「あたし、かわいい?」

「ああ。全宇宙を探しても、敵うとしたらチヒロぐらいだろうな。」

「……ふふっ……」

「はははっ……」


とてつもないスケールの冗談を飛ばしながら。

二人とも、涙声になりながらも楽しそうに笑っていた。




「いつもね、地球から送られてくる信号、なんだかお父さんとお兄ちゃんの気配がしたの。あたしに、『行っておいで』『無事に帰っておいで』って言ってくれてる気がしてた。」

「当たり前だろ、妹の名前を預けた探査機なんだから!無事に帰ってきてほしかったし、これからだって元気でいてほしいさ。」


ノボ兄たちはずっと、「よだか2」をお姉ちゃんの生まれ変わりとして見守り、導いてきた。

その想いは、お姉ちゃんにちゃんと伝わっていたんだ。


「よだか2は地球近くでスウィングバイして小惑星オトヒメのサンプルの入ったカプセルを投下して、木星の辺りまで……いやもっと遥か遠くまで、旅を続ける。今回のトラブルを受けて、調整にはまだ時間が掛かるだろうけど……」

「そうだね……先週のあの時、なぜか急にシステムに異常が出て、シャットダウンしなくちゃいけなくなった。システム自体はすぐに復旧したけど、足掛かりにしてたこの端末との連絡が全く取れなくなっちゃって……。」


半月前の、「よだか2」のトラブル。

やっぱりあれが、突然の引退の理由だったのだ。


「とにかくあたしにできることは、異常をお父さんたちに知らせることと、“星隼ひかり”としての引退を発表することだけだった。他に何かをする余裕は無かったの。やっぱりあたしっていうイレギュラーが乗ってるせいなのかな、それは分からないけど、という存在がここに居続けられないかもしれないとは思っていたから……何も説明できなかったけれど、今後どうなるかも分からないこの状況では、“引退”するしかないと思ったの。あたしという不確定要素が、もしかしたらこの子の異常を引き起こしているのかもしれない。もしもそうなら、あたしはここにいるべきじゃない。あたしのせいでこの子よだか2のミッションが失敗するなんてことにはしたくないから。」

「そんな……お姉ちゃんのせいだなんて……!」


この「よだか2」は、いくつもの人類初の偉業を達成して帰還してきている。

この探査機の帰りを、日本中が待ちわびている。

そしてその物語は“成功”で締めくくられるものだと、誰もが期待しているのだ。

だからといって、そのためにお姉ちゃんの存在が許されないなんて……




「そんな顔をしないで。あたしがこうして居られること自体が、ものすごい奇跡なんだから。おかげでこうやって、少しの間だけど最後の機会を貰えちゃった。」

「……そうだね。こうしてまた話せるなんて、夢にも思わなかった。ヒスイがあと幾ばくも無いって聞かされた時には、思いっきり神様を呪ってやったけど。さすがに懲りたのか、今度ばかりは粋なこともしてくれたって言ってやってもいいかな。」


ノボ兄はそっとわたしの肩に手を置きながらも、しみじみとお姉ちゃんに語りかける。

お姉ちゃんがいなくなって途方に暮れていたわたしを、ずっと見守ってくれていたノボ兄。

見ていても胸がいっぱいなのは分かるのに、不思議に思うほど冷静に淡々と話すノボ兄の姿に、胸が締め付けられるような気持ちがした。

お姉ちゃんにもノボ兄にも、わたしはこんなにも守られていたんだって。


「お兄ちゃんらしくない言い方だなぁ。わたしはもう“いない”存在だもん、こんな機会をくれたんだ、きっと神様だってやさしいんだよ。お兄ちゃんがそんなに怒るなんて、よっぽどのことだって分かってくれたのかもね。」

「ふん、ちょっと改心が遅すぎるけどな。」

「ふふふ。あんまり不平を言い過ぎて、バチが当たらないようにね。チヒロにまでとばっちりが来たらどうするのよ。」

「わかってるさ。今回に免じて、文句はこれきりにしといてやるよ。それに、チヒロは絶対守るから。約束したものね。」

「うん。……誰よりも、世界一頼りにしてるんだから。お兄ちゃん。」




時折、お姉ちゃんの言葉に遅延ラグが入って切れ切れになる。

時間が経つにつれ、ビビビッと警報音のようなものが鳴りはじめ、管制室のスタッフ達がよだか2の状態をチェックすべくドタバタと騒ぎ出していた。


「アンテナの異常か!?それともシステムか?とにかく、確認を急げ!」

「主任!ど、どうします……!まさかこの通話のせいだとは思いませんが……!」

「落ち着け。まずはバックアップシステムの状態を確認するんだ。」


お父さんを含め、動き出したスタッフ達で部屋がにわかに慌ただしくなる。


「もうそろそろか……。あまり本体この子のシステムに負担を掛けられないから。あと10分くらいかな……話し終わったら、あとは再突入のための準備にシステムの全部を回してもらわなきゃ。」

「そうか……」

「そうしたら、後はお願いね?お兄ちゃん、お父さん。」


お姉ちゃんの言葉に、二人は力強くうなずいた。


「ああ、サンプルリターンは必ず成功させる。絶対にヒスイを帰って来させるよ。もう一度娘の出迎えができるなんて思いもしなかったからな。盛大にやろう。」

「当たり前だ。それに、俺たちが「よだか2」をここまで帰って来させられたのも、ある意味ではお前が乗っていたおかげなのかもしれない。だから、ありがとう。」

「ううん、それはどうだろ……」


そう言ってお姉ちゃんは顔を少しかげらせた。


「あたしのせいで計画が狂ったのなら謝らないといけないし。もし仮に、サンプルの投下と回収が上手くいかなかったら、あたしは……」

「誰だって、“探査機に乗り移った娘のせいで失敗した”なんて言ったところで信じないさ。それに言うまでもなく、断じて失敗させるつもりはない。」

「ああ。大丈夫だ、誰にもお前のせいだなんて言わせない。成功させてみせるさ。」


お父さんもノボ兄も、その眼差しは一切油断のない真剣なものだ。

この計画を主導してきた、宇宙に関してのプロフェッショナル。

わたしの家族はこんなにも頼もしく、強い人ばかりだった。


「ありがとう。でも大丈夫だよ。あたしは本来死んだはずの人間。ただ一時的にここにいることを許されている、夢かマボロシのようなものだから。こうして会えて、お別れを言えただけで、もう充分だから。」


そう言って、零れるような笑顔を見せるお姉ちゃん。

その目に湛えられた雫が頬をつたう。


「ありがとう、みんな。」

「ヒスイ……」


もう本当にこれが、最後。

ノボ兄もお父さんも、お姉ちゃんも、涙をこらえながら言葉を紡いでいる。



そんな会話を隣で聞きながら、わたしは残された時間の少なさに震えていた。

あと10分。

本当に、ほんの少ししかない。

あまりにも短いひと時が、わたしに残された最後のチャンス。

わたしが、わたしのお姉ちゃんに直接言葉を伝えられる、最後の最後の僅かな時間。

今この場で、言わなきゃいけないことが、わたしにはあった。


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