第19話 君のしたいことは



「―――“”、か。その言葉、聞いたのはいつ以来かな。」

「え……」


ノボ兄が、思い返すように部屋の隅を見つめる。

その視線の先には、サイドボードの上に飾られた写真立てがあった。

たち、家族5の写真。

お父さん、お母さん、ノボ兄とわたし、そして……


「……お姉ちゃん。」


お姉ちゃんは中学生、わたしはまだ小学生だった頃の写真だ。

お姉ちゃんのが見つかる前のもので、わたしたちはみな明るい顔で笑っていた。




「この時には、実はもう痛くなってたりしたのかもしれないのにな。」


折しも「よだか2」の運用チームに、ノボ兄の参加が決まった直後。

ノボ兄が必死に勉強して大学を出て、JAXSAに就職した次の年だった。

わたしたち家族全員が、一大プロジェクトの成否を握る重要な役目を担ったように感じていた。

そんな空気を乱したくないと思ったのか、お姉ちゃんは身体の不調をあまり表には出さなかった。

そして異変に気づいた時にはもう……


「俺たちは忙しさにかまけて何もしてやれなかった。何も気づかず、気づいた時には何もかも手遅れで。自分たちの身勝手を呪ったよ。大事な家族を守るどころか、見向きもしなかったんだから。」


お姉ちゃんが亡くなった後、わたしたちは失意の底にいた。

かけがえのない大切なものが、わたしたちの手の指の間からこぼれ落ちていった。


「取り返しのつかない喪失の後に残されたのは、あいつを失ってまで携わり続けている探査機の計画だけ。とても前を向くことなんてできなかったが、立ち止まることも許されなかった。奇しくも、「よだか2」が完成したのがあの子が死んで1ヶ月も経たない頃だ。あいつの生まれ変わりのようなこの探査機の計画から降りるという選択肢は無かった。」


あの家族写真の隣に飾られているのは、「よだか2」の模型だ。

金色のボディの横に、広げられた太陽光パネルがまるで翼のように見える。


「「よだか2」には、実は別名があるんだよ。」

「別名?」

「宮沢賢治の詩集によるものなんだが、特に取り立てて喧伝しているわけでもないからな。そもそも“よだか”という名前自体も宮沢賢治から取られているんだけど、ある詩集(※)で“よだか”がある鳥の兄貴だって紹介されてるんだよ。そして、そのよだかの妹である鳥というのが―――」


ノボ兄は再び、写真の方を見る。


「―――“かはせみカワセミ”だ。漢字で書くと、“翡翠”だな。」





「“翡翠かわせみ”……本当に、生まれ変わりだったんだね。」


わたしは胸が締め付けられるような気持ちを感じながら、お姉ちゃんの名前を継いだ「よだか2」の模型を手に取る。



お姉ちゃんの言葉を思い出す。



―――“もしあたしが死んでも、星になって見ているから”―――



きっとノボ兄たちもその言葉を覚えていて、その通りの名前を付けたのだろう。

お姉ちゃんの名前を冠した“星”が、地球から遥か彼方の小惑星へ飛び、戻ってくる。

そう思うと、ぞくっとした昂りを感じずにはいられない。

お姉ちゃんは本当に“星になった”―――






「―――いや、違う。生まれ変わりなんてあるもんか。あいつは死んだんだ、紛れもなく。」


ノボ兄が急に声を荒立てる。


「俺もはじめはこの名前が相応しいって思ってたさ。ヒスイは星になった―――今も遥か遠くで生きていて、俺たちはあいつを見守ってるんだって。管制室で信号を確認するたび、あいつの息吹を感じている気がしてた。……でもそれは最初のうちだけだった。」


遠い目をするノボ兄。

その瞳には先程と同じような憤りの色が湛えられて見えた。


「チヒロはあの時からずっと沈み込んでた。俺たちがみんな前を向いて進もうとしていた中で、俺たちの分まで、あいつをうしなった悲しみを肩代わりするみたいに。学校も休んでたし、卒業式にも行かなかっただろう?このまま立ち直れないんじゃないかって心配してた。」


あの頃のことはあまりよく覚えていないのだけれど、確かにわたしはお姉ちゃんが亡くなって以来、小学校を休んでいた。


「なのに中学校に入ったら、何事もなかったかのようにまた通い出して……何があったんだと逆に不安にもなったよ。ただ無理をしてる様子もないし、ひとりでちゃんと立ち直ってくれたんだって安心していたんだ。だけどある時、お前はこう言った。“あたしが、元気にならなきゃ”って。それも、あいつがしていたみたいな、満面の笑顔で。」





「それを聞いてさ、ようやく分かったんだ。ああそうか、俺たちはただ忘れようとしてただけなんだって!小惑星の探査機にあいつの名前を付ける?星になって見ている?そんなのはただの慰めだ!あいつは帰ってこない。何をしようと、あいつと話せる機会は二度とやっては来ない。あの顔を見ることは絶対にできない……。」


ノボ兄の震えた声が、重苦しく部屋に響く。


「“”。それを聞いて気づいたんだ。俺たちがお前にあいつの姿を重ねてたことに。体調を殊更気にしたり、の検査を受けさせたり。あいつにしてやれなかったことを、言い訳みたいにお前にぶつけて……!」




力なくこうべを垂れるノボ兄。


「ノボ兄……」


は……いや、わたしはあの頃のことを徐々に思い出していた。

お姉ちゃんがいなくなって、わたしは自分自身が死んでしまったみたいに感じていた。

何もかも現実感がなく、ただ抜け殻のようになった自分がいるだけ……



……いや、違う。

微かに憶えている、その“前”があったはずだ。

ただひたすらに泣いていた―――朝起きて、家族みんながいて、挨拶を交わして……お姉ちゃんだけが起きてこない。

そして初めて「お姉ちゃんが死んだ」ことを思い出して、あとはひたすら泣き続ける……

そんな日々が。



それでもわたし以外のみんなは前を向いていて、わたしもしっかりしなきゃと思った。

だからわたしはお姉ちゃんの代わりになろうとしたのかもしれない。

少なくとも、わたしが代わりになっている間は、“お姉ちゃん”は生きているから……


「お前は中学に入って、友達もできたし部活も始めたし、順調なんだって思ってた。でも学校でのことを聞いてもあんまり話さないし、部活には入ってるだけで行ってる様子はないし。友達といるのも、本当に楽しいのかどうか……」

「それも、お姉ちゃんになろうとしてのことだったのかも。お姉ちゃん、友達もいっぱいいたし、バレー部もやりたがってたもんね。」

「そうだな。正直なところ、真似をしてるように見えてた。」


それらは全て、お姉ちゃんが生前に「やりたい」と言っていたことだった。

わたしはそれをなぞるだけで、本当に楽しかったかと言われると……首を傾げざるを得ない。



結局わたしは「お姉ちゃんがいなくなった」ことを、忘れようとしていただけなのかもしれない。

ノボ兄は、そんなわたしをずっと見ていて―――




「だから、お前がVtuberをやりたいと言ってきたときは嬉しかったよ。あの頃はVtuberなんていなかったからな。チヒロも、ようやく自分でやりたいことを見つけたんだって。」

「それで、あんなに積極的に協力してくれたの?」


ノボ兄は頷く。

Vtuberのことを調べたり、シロハヤブサ先生にデザインやモデル作成をお願いしたり。

依頼料だってわたしのお小遣いでどうにかなるものではなく、それも負担してくれたのもノボ兄だった。

先生とのやり取りはわたしがしたけれど、それでもわたしが活動をしてこれたのは全てノボ兄のおかげなのだ。


「だから、新しい“お姉ちゃん”の出現には複雑な気持ちだったんだ。お前自身が、あの子にヒスイの“代わり”を求めていたんじゃないかって。実際あの子を「お姉ちゃん」と呼ぶようになってから、お前はあの子のことばかり話すようになったし、どんどん入れ込むようになったよな。そしてあの子がいなくなって、そして―――また、あの言葉を聞くことになるとは。」


“お姉ちゃんの代わりに”。

結局、わたしは何ひとつ変わってはいなかったのだ。





わたしは今まで、何も持っていなかった。

夢も、大きな目標も、「何かをしたい」という意志も。

ひかり“お姉ちゃん”に出会って、わたしは変わったような気がしていた。

お姉ちゃんという目標を見つけて、この人のようになりたいと思って活動を続けてきた。



けれど、それは今までと全く同じ。

大切な人を喪って、その“代わり”に自分がなろうとしていただけ。

憧れた人を演じ続けるわたし自身は、空っぽのままだった。

わたしは、何もできないまま……───






「ヒスイは……あいつは最期に、「チヒロをお願い」って言ってたんだ。それを思い返すたびに自分に腹が立ったよ。チヒロを守るどころか、俺たち家族の重荷を全て背負わせて。前へ進んでるつもりだったのに、気づけば1ミリも進んでないんだからな。」


ノボ兄はそう言って、ふぅっとひとつため息をつく。

わたしたちの間に流れる、重苦しい空気を吹き飛ばすみたいに。




「―――あいつヒスイは死んだ。お前の姉代わりになってくれたあの子ひかりもいなくなった。夢は終わり、現実と向き合うときが来たんだ。いつまでもあの子たちの影を追い続けることはもうできない。それでも俺たちは、ヒスイの名前を継いだあの星を、地球へ帰還させる。たとえ幻だったとしても、あいつの見せてくれた夢はこの計画を成功へと導いてくれた。あいつは星標ほししるべだ。俺にはまだやるべきことがある。」


ノボ兄の目には、灯火のような光が宿っていた。

真っ直ぐに前を見つめ、成すべきことを成そうとしている。


「お前はどうなんだ。チヒロは―――“宙路そあ”は何をする?あの子の妹としてじゃない、ひとりのVライバーとして……やれることはたくさんあるだろう。お前さえ前を向いていれば、きっと周りも付いて来る。お前は、俺とあいつの妹だ。誰かの代わりになる必要はない。みんな、“そあチヒロ”が必要なんだ。」





「ノボ兄……」


“わたし”は何をしたいか。

お姉ちゃんの代わりではなく、わたし自身が何をしたいのか。

ノボ兄の言葉は優しく、同時に厳しかった。

なぜなら、今までのわたしの全ては“お姉ちゃん”あってのものだったのだから。

真似して、目標にして……その一点を目指して進んできた。

その目標がいなくなって、わたしはどこを目指せばいいのか分からなくなった。



でも、考えてみると“お姉ちゃん”はどうだったのだろう?

わたしが目指し、自分を重ねてきたお姉ちゃん自身は、何を思いどこを目指して進んでいたのだろう?

わたしに目指され、みんなに慕われ、眩しいくらいに輝き続けた。

そしていなくなってもなお、わたしたちの心にはその存在が深く刻み付けられている。

お姉ちゃんは、何をしたかったのだろう……―――







───♪〜〜〜



突然、わたしのスマホが鳴り始める。


「通話───めぐるちゃん?!」


慌てて取ると、めぐるちゃんの狼狽えた様子の声が聞こえてくる。


「そあちゃんっ……どうしよう、midoriさんの所にもひかり先輩の引退についての問い合わせのDMが寄せられてるみたいで……!!」

「えっ……!?―――」










※宮沢賢治『春と修羅 第二集』より。

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