第18話 “お姉ちゃんの代わりに”




―――「お姉ちゃんが、いなくなった」。




ある日を境に、彼女はこの世界から、消えた。



“最期の日”は必ずやって来る。

少しずつ、衰えていった先に。

あるいはある時、突然に。

その日を境に、もう二度と会うことはできない。

言葉を交わすことも、想いを伝え合うことも、気持ちを確かめ合うこともできない。



そんな別れの“重み”を、簡単に受け止めることなど、誰にもできない。

悲しみ、苦しみ、泣きながらそれを受け入れていくより他にない。





信じたくない。

嘘だと言ってほしい。

これが夢なら醒めてほしい。



そう思ってしまうのも仕方のないこと。

そんな醒めない夢の中で、なんとか自分の気持ちに折り合いをつけて、いなくなった人の分まで生きていく。

……そんな風に受け止められるようになるまでには、長い長い時間が必要になる。



それでもわたしたちは、生きてゆかなければならない。

わたしたちが生きる世界は残酷で、立ち止まっている人を待ってはくれない。

傷だらけの心を抱えながら、そこからたくさんのものを取りこぼしながら、やっとの思いで歩いていくことを強いられるしかない。





だから、わたしは―――








「チヒロ。聞いてるか?」


ノボ兄の声がする。

「よだか2」のトラブルから一週間。

ノボ兄たちの奮闘の甲斐もあって、「よだか2」は予定通り明後日地球へ帰還し、回収カプセルを投下できる目処が立ったらしい。

そのためにノボ兄やお父さんは連日忙しそうに家と職場を行き来していたし、お父さんなんかはまた泊まり込みになったこともあった。

今日もお父さんは帰るのが遅くなるらしく、お母さんも仕事らしいから今は家には二人しかいない。




「やつれてるな。」


ノボ兄はため息をつきながらそう言った。

たしかにお姉ちゃんがいなくなってから、も配信では努めて元気に振舞ったり、いつもよりもエネルギーを消費している気はする。


「ううん、大丈夫。ノボ兄おかえり、ごめんご飯まだ出来てなくて……急いで作るね。」


今日の夕飯はあたしがやると名乗り出たんだった。

大事な時期で、ノボ兄たちも疲れているのは間違いない。

こういう時こそあたしが頑張らないと……!




「チヒロ。」


ノボ兄が、あたしの肩に手を置いて引き留める。


「え……」

「まあ、落ち着け。無理してひとりでやらなくてもいいよ。」


急なことに驚いて振り向いたあたしの頭をノボ兄が撫でる。


「大変なのはお互い様だろ?やるなら二人でやろう。チヒロほど上手くないのは自覚してるけどさ。今日は、チヒロは手伝ってくれるだけで十分だから。」






ノボ兄の隣に立って、ゆで卵の殻をく。

横で野菜を切るノボ兄の手並みは確かに若干おぼつかないところはあるけれど、それでも真剣な横顔やしっかりした腕はとても頼もしく見えた。


「サラダはこれで。あとは、鶏もも肉を焼いて……そんな感じでいいか?」

「うん。……ごめん、ホントはあたしがやろうと思ってたのに。」


結局、ほとんどをノボ兄に任せてしまっている。

一大プロジェクトがいよいよ大詰めで、アクシデントまであったばかり。

お父さんもノボ兄も大忙しで、お母さんだって仕事に家事に忙しい。

今はが頑張らなきゃいけない時なのに……


「……あいた!」


不意に、ノボ兄におでこを小突かれた。


「もー!いきなり何?」

「余計なことを……というか、生意気なことを考え過ぎだ。子どもは変に気を遣わず、大人に甘えてればいいんだよ。」


そう言ってノボ兄はあたしを肘で追いやる。


「ほら、どいた。座って待ってなよチヒロ。」


ノボ兄なりの気遣いなのか、これ以上ここにいるなという雰囲気を背中から感じる。

仕方がないのでここはノボ兄に任せて、少し危なっかしい手際のノボ兄をダイニングから眺めていることにした。






「それで、やっぱりあの子とは連絡は取れてないんだな?」


ノボ兄と食卓を囲みながら、やっぱりお姉ちゃんのことが話題になる。


「うん……。あの引退報告ツウィート以来、あたしにもめぐるちゃんにも全く音沙汰なしだよ。こんなのお姉ちゃんらしくない。」

「たしかに。直接話したのは一回だけだけど、しっかりした子だと思ったからな。もちろん何か事情があるんだろうけど。」


もちろんそれはあたしも分かっている。

お姉ちゃんが何も言わないでいなくなるような人じゃないってことは、あたしが一番よく知っている。


「だったら何!何の事情なの?ずっと連絡できないって、例えばどんな事情があるの!」

「おいおい、俺に噛みつくな。色々あるだろう。端末が壊れて直してる最中だとか、何かの手違いでアカウントがロックされたとかな。」

「スマホもPCも両方壊れたの?アオイトリもConcordも、IMAIRもYourTubeも全部ロックされたの?!」

「落ち着けよ、例えばって言ったろ。だいたい、Vtuberがどこでどうしてるかなんて、本人にしか分からないんだから。」


つい感情が昂って食って掛かるあたしをノボ兄は諫める。


「あくまで仮の姿アバターだからな、Vは。たとえ良さそうな人に見えてもウラで色々やらかしてたり、学生だと名乗ってても実はいい歳してたりとか、目に見えない隠れた部分はいくらでもある。逆に、おちゃらけたり破天荒に見えて実は真面目で礼儀正しかったりとかも。いくら相手のことをよく知ったつもりでも、実際に知っているのは相手のほんの一部分でしかない。」

「ネット上の存在だから、知らなくても仕方がないってこと?」

「いや、ネットも現実も変わらないさ。どこに住んでて何をしてるかなんて、日頃会う人のほとんどはお互い知らない者同士だ。でもネット上じゃ、相手を探そうにも手がかりがない。アドレスとかで特定する方法もあるんだろうけど、個人情報だからな。大体は保護されてて、普通見られるもんじゃない。スパイものの映画ならそういうのから目標を絞り込むなんて話もあるかもしれないが、現実にはそう簡単にはいかない……ってか、犯罪だろうしな。」


お姉ちゃんがどこかの事務所に所属してるというのなら、そこに当たってみることもできるのだが……お姉ちゃんはあたしたちと同じく、完全な個人勢だ。

もはやお姉ちゃんの存在を手繰る糸は、どこにも残されていなかった。




「『テンタイカンソク』だったか。そのグループをどうするかの相談もなしにいなくなるっていうのは流石に驚きだけども……ちゃんと引退を明言していった以上、いわゆる“失踪”ってわけでもないだろう。唐突だったけどもあのツウィートは、“いつかちゃんと説明します”っていう意思表示のようにも思える。いずれ連絡が来るさ。」


何も言わず、急にいなくなってしまうVの者も、そこそこ多い。

ある時から急に音沙汰がなくなって、徐々にみんなの記憶からフェードアウトしていく。

ただお姉ちゃんはちゃんと“引退”を宣言していったのだ。

いずれまた連絡が取れるということはあたしも信じたいが、こうも長い間いっさい音信不通になってしまうと、さすがに不安になってしまわざるを得ない。

“もしかして、もう帰ってこないんじゃないか……”。

そんな最悪の事態が、頭の中に居座って離れないのだ。



お姉ちゃんはあたしにとっての星標であり、それが消えてしまった今、あたしは灯台の明かり無く夜の海を彷徨っている気分だった。


「ううん……っ!!」


考えれば考えるほど不安と焦りとが襲ってきて、唸る。


「あたしがしっかりしなきゃいけないのに!めぐるちゃんが帰ってくるまで、『テンタイカンソク』の場所を守らないといけないのに!お姉ちゃんのリスナーさん達も、めぐるちゃんのリスナーさん達も、お姉ちゃんの分まであたしが、しっかり繋ぎ止めておかなきゃいけないのに!」


ドンッ!とテーブルを叩き、お皿が揺れる。

二人の熱心なリスナーさん達は、あたしの配信にも来なくなってしまった。

最近だとアオイトリでも活動が見えないし……


「気負い過ぎだ。お前ひとりでできることにも限界はあるし、あの子のファンには今回の引退はこたえてるだろう。無理に引き留めるのは逆効果だぞ?」

「だって!……そんなの分かってるけど、でも……!!」


「テンタイカンソク」の、あたしたちのユニットの活動の土台さえ無くなりつつある現状に、あたしは何も手を打つことができずにいる。



二人は、「テンタイカンソク」の中心はあたしだと言ってくれた。

話が上手いわけでも、動画とか企画の技術や才能があるわけでもないあたしを、それでも「私たちの中心」と言って真ん中に置いてくれた。

なのに、そのユニットが崩れかかろうとしている今まさにその時に、あたしにはそれをただ見ていることしかできていない。

せいぜい二人の分まで配信して、少しでもみんなが離れていかないようにするくらいしかできないのに、それすらあまり功を奏してはいない。



それが歯がゆくて、自分の無力さだけが雁字搦がんじがらめに襲ってくるようで、ノボ兄を前にすると堪えきれずに吐き出してしまわずにはいられない。


「あたしはお姉ちゃんの妹なのに!、あたしが頑張らないといけないのに!!」




あたしの叫び声が、家じゅうに響き渡る。


「チヒロ……」


目の前の席で、ノボ兄が何とも言えない顔をしている。

お姉ちゃんもめぐるちゃんもいない今、あたしにとって頼れるのはもうノボ兄しかいない。

ノボ兄は黙ってあたしの心の叫びを聞いていた。

正直、今この時点でノボ兄にできることは何もないだろう。

それでもVライバーとして行き詰ったあたしを、一番理解してくれているのはノボ兄だと思う。

なにしろ、デビューする前からずっとあたしを見守ってきてくれたノボ兄なのだ。

ノボ兄は、Vライバーとしてのあたしを一番長く見てきた人なのだから。




「―――お前……」


ノボ兄があたしを見つめる。

色々な感情がむき出しになったような、今まで見たことのない表情。

ノボ兄の向ける、真剣なその目はまるで怒っているようにさえ見えた。






「“”、か。その言葉、聞いたのはいつ以来かな。」

「え……―――」


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