黄色――三鷹雪乃

「いやぁ。面白いね、この小説。行方不明になった友達を時を越えて捜しに行く物語? いやぁ、素晴らしい!」


 豚のように太ったプロデューサーは、わざとらしく涙を拭うふりをした。


「んで、誰が書いたんだっけ?」


「四条みどり、です。最近デビューした小説家です」


 マネージャーの槙島さんが答えた。


「へぇ、いかにも女が書きそうなお涙頂戴のストーリーだな」


 その言葉には、隠しようもない侮蔑が込められていた。やめてください、それを書いたのは私の友人です。そう言えたら、どれだけいいだろう。けれど、彼に口答えをすれば未来は簡単に潰えてしまう。だから私は何も言えないで黙っている。あのタイムマシンのように。私の、黄色のように。


 昔から、私は変わっていないのだ。小さい時から美貌に恵まれ、かわいいかわいいともてはやされた私が処世術として身に着けたのは、黙ったままささやかに笑っていることだった。少なくとも今までは、それでうまくいっていたのだ。老若男女問わず、みんなが私をかわいがってくれた。高校生の頃にスカウトされ、芸能界入りを果たすと、多くの大人たちが高級なプレゼントを購入してくれるようになった。私はそれに大袈裟な反応をして、にっこりしていればそれでよかった。今だって、「元アイドルタレント」という肩書でメディアに出演できているのは、そういう努力のおかげだということを分かっている。


 けれど、本当はダメなのだ。自分の本心から、自分の求めるところへ進むためには、これではいけないんだ。


 彼女――明里ちゃんの言葉を借りるなら、「魂が叫ぶように」。


「ま、なんでもいいや。槙島、A社から映画化の話が来てる。いくらなんでも早すぎだろとは思うが、これだけ重版されてりゃまぁそんなこともあるんだろうな。ユキちゃんの予定空けといて。いいな」


「はい」


 ぐるぐると考えているうちに、ミーティングは終わってしまった。こんなだから、私はいつも、失敗ばっかりなんだ。


「帰っていいよ、ユキちゃん。今日はクリスマスだし、若手の女優とパァっとやろうかな! ぐひひ」


 もう「ユキちゃん」なんて歳じゃない。薄気味悪い笑みが脳裏に焼き付く。


 私の魂が叫んだことなんて、一度だってあっただろうか。


 ねぇ、明里ちゃん――未来の私はどうなっていますか。


 あなたなら、知っているんでしょ? 誰よりも先の世界にいた、あなたなら。



2040年 秋


 高校2年のクラスは、明里ちゃんの幼馴染の譲くんを除けば、町内会のメンバーすべてが同じクラスだった。自由に修学旅行の班を決めるように言われた私は、本当なら蜜柑ちゃんと一緒がよかったけれど、

厄介な風邪を引いたようでその時からいなかった。私は誰かに声をかける勇気が出なくて、ずっと教室の隅で声がかかるのを待っていた。


「雪乃さん」


 みどりちゃんがそう声をかけてくれた時、私は何かにゆるされたような気がした。本当はいけないことだけれど、それでもいい。そんな風に思えた。その後すぐに、じゃあ、蜜柑うちの班に入れるよ、とあるグループが口にして、


 蜜柑ちゃんがいない教室で余ったのは――明里ちゃんと矢吹さんだった。


「私と一緒に行こうよ、ねぇ、ななみちゃん!」


「うっぜぇな! ほっとけ、バーカ」


「あっ、バカって言った方がバカなんだぞ! バーカバーカ!」


 4人1組で回る決まりだったから、もうこの時点で私、みどりちゃん、明里ちゃん、矢吹さんというグループは確定していた。なのに2人は、、やいのやいのと言い争っていたんだ。


「ねぇ、私ななみちゃんと一緒に回りたい!」


「ガキくせぇこと言ってんじゃねぇよ! お前となんて絶対に願い下げだ!」


 いつからそうなってしまったのか分からないけど――矢吹さんはいわゆる「不良」になってしまっていた。制服を着崩し、授業にもほとんど出ないで、クラスで孤立していた。クラスメイト達は、まるで腫れ物を避けるみたいに矢吹さんに触れあわないようにしていた。ううん、私だってその一員だったんだ。矢吹さんに優しかったのは、たった2人だけだった。


「ななみさん、明里さん、一緒に回りましょう」


「うそっ!? みどりちゃんの班に入れてくれるの? ラッキー!」


「チッ……」


 みどりちゃんが声をかけた時、矢吹さんは舌打ちをしたけれど、それ以上は何も言わなかった。私は少し、修学旅行に不安を覚えていた。


――


「やっほ、ゆきのっち」


 明里さんにそう呼ばれるときはいつも、不思議な感覚になる。小さい頃はみんな、私のことを「ゆきのっち」と呼んでいたが、高校生になった今、私をそう呼ぶ人はいなくなった。


 たった1人を、除いて。


「今日も練習?」


 明里ちゃんは応援席に置いてあった黄色いポンポンを触りながら、私の隣に腰かけた。


「うん、今度野球部の試合があるから」


「へぇ、ジョーってスタメンなのかな? 知ってる?」


「私はそこまでは……直接訊いてみないの? お隣さんなんでしょ?」


 ふふん、とよく分からないような笑い方をして、明里ちゃんは静かに言った。


「近すぎて、遠い……」


「わ、私は……」


 私は、幼馴染という存在が羨ましい。いや、もちろんみんなのことは幼馴染だと思っているけど、家族同然とまではいかない。けれど、明里ちゃんと譲くん、蜜柑ちゃんと優介くんは違う、彼女たちは「おとなりさん」として、を手に入れているんだ。


 そんなの、いくら顔が良かったって――手に入れることはできない。


 でもそんなこと、言えるわけないんだ。明里ちゃんは近すぎて遠い恋の病に、悩まされているから。


「試合、来る?」


「補欠かもしれないし、やめとく」


「私がこっそり訊いて、後でチャットで教えてあげようか?」


「できるだけ――」


 ん?


 できるだけ、ゆきのっちと譲は話してほしくない。


 まるで、私が極悪人みたいに――頬を膨らませた。


「譲くんのこと、とったりしないよ」


「ゆきのっちはそのつもりでも、気が付いたらジョーの心が盗まれてるかも」


 そんなこと。


 経験がない、わけではなかった。私としては普通に話していたはずなのに、数多の男の子を勘違いさせてしまったことがある。「彼女」さんから、泥棒猫呼ばわりされたことも。


 美しさなんて、面倒事を増やすだけだ。それでもし、この友情が壊れてしまったら――?


「ね、それよりさ」


「うん?」


「修学旅行、楽しみだね!」


「う、うん……でも明里ちゃん、大丈夫なの? 矢吹さんと同じ班で」


「なんで? 別に大丈夫だよ、みんなが怖がってるだけだよ! ゆきのっちだって昔よく遊んだじゃん!」


「そ、そうだけど……」


「それに、今度同窓会やるんだもん」


「同窓会?」


「10年前に約束したよね? 虹を揃えようって!」


 まるっきり、憶えていなかった。しかも明里ちゃんが指定した日は、私が事務所へ出向かなければならない日だった。


「うえーっ、ひっどい、ゆきのっちのばかーっ!」


「ご、ごめんなさい。で、でも」


「まぁしょうがないよね。だってゆきのっち、真剣に取り組んでるんだもんね」


「真剣――?」


「だってそうでしょ。出席日数を削ってでも、芸能界で頑張ってるんだもん。本気でやりたいと思わなきゃ、そこまでできないよ。きっと、魂が叫んでるんだろうな」


 魂が、叫んでる?


「……じゃあ、今から数えてまた10年後。その時には絶対集まろう。よし、キリよく10年後のクリスマス! ゆきのっちは黄色担当ね」


「本気で言ってるの?」


「本気も本気、大真面目だよ! 27歳かぁ。みんなどこで何をしているんだろうね」


「どうして、そこまで?」


「どうしてって――」


 みんなのこと、大切に思ってるから。


 その時の明里ちゃんは――どんな芸能雑誌の表紙よりも、可憐な顔をしていた。


「とにかく、修学旅行楽しみだね! 私ジェットコースターは絶対乗りたいなぁ、あとねぇ――」


 純真無垢な女の子、西野明里。誰よりも先へ行きたがった女の子は、今私たちがどう頑張っても行けない未来で、私たちを笑っているだろうか。


 10年前、明里ちゃんが消えてから――西野博士はタイムマシンの研究、開発、運用の全てを凍結した。


 明里ちゃんを未来に運んだ偉大な発明品は、今もあの家で静かに沈黙している。


 私の家にある、黄色いポンポンと同じだ。


 ふと、思い至る。


 10年後のクリスマス。明里ちゃんと約束した日は、今日だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る