赤――五島優介


 彼女の友人、という立場の西野明里を、自分はどう扱っていいか分からなかった。確かに俺たちは世間が言う「幼馴染」だったし、それなりの付き合いをしてきた。けれどいつも俺の眼に映っていたのは、幼馴染の明里ではなく、おとなりさんの二ノ宮蜜柑だった。小さな時に目覚めた恋心は、そのうち消えていくものだろうと漠然と感じていた。小さい頃は、そばに異性がいるだけでドキドキして好きになったりするものだから。


 けれどいつまでたっても、赤い心臓の早い鼓動は鳴りやむことはなかった。だから俺は高校1年の夏、勇気を出して蜜柑に告白したんだ。蜜柑は、いつもの冗談? と小さくつぶやくような声でおそるおそる訊いた。俺は耳まで燃え上がるような熱さと緊張を感じながら、違う、と言った。


 本気で、蜜柑が好きだ。付き合ってほしい。


 蜜柑の顔が赤くほてって見えたのは、強い西日のせいか、そうでないのか今でも分からない。



2040年 夏


「よくも私のみかんちゃんを奪ったな」


 放課後の教室で西野明里は言った。軽い冗談のつもりだったのだろう。けれど俺にしてみれば不快だった。教室には、俺と西野しかいなかった。


「蜜柑はお前の所有物じゃない」


「これから自分だけのものにするつもり? 彼氏だもんね、それが出来ちゃうんだもんね」


「べつにそんなんじゃ、ねぇよ」


 みんな大人になっていく、と西野は口にした。いつからだったか、俺はあいつをもう下の名前で呼ばなくなっていた。けれどあいつは、まるで何かに固執するように当時の呼び方で俺たちを呼び続けた。


「ゆうすけ、もうすることしたの?」


「は!?」


「まだなんだね、安心した。結構する人多いって聞くから」


「危機感感じてんの?」


 確かに西野の言うことは一理あった。最近、クラスメイトたちは性の解放に躍起になっていた。誰かとの競争みたいに。友人たちの言説通り、俺たちは身体を重ねるのだろうと、かすかに期待していた。


「みかんちゃんがみかんちゃんじゃなくなっていく」


「なんだよそれ」


「ゆうすけだって」


 細く長い指が、俺に向けられる。この学校のナンバー2だ、と男子たちが噂をしていたのを思い出す。1番は言うまでもなく三鷹だが。


「ゆうすけだって変わってくんだ」


「それの何が不満なんだよ」


「そのうちみんな、私に興味なくなるでしょう?」


 少し、西野の瞳が潤んでいた。心臓が跳ねたが、今考えれば、女子特有の武器(罠?)だったのかもしれない。


「……お前は、昔から、1番じゃなきゃ気が済まなかったよな」


「そういうわけじゃないけどさ」


 西野は気が付いていないが、それは母親である西野博士の英才教育によるものだった。彼女は自分の威信を、娘に受け継がせようとしていたのだ。


「みかんちゃんもゆうすけも、やることやって、結婚して、それで――私のこと忘れるんだ。それが嫌なら、誰よりも先に行って、誰よりも記憶に残るしかないの」


 誰よりも先にいく。それが時間的な意味であることを、俺は分かっていた。


「完成したんだろ、タイムマシン」


 西野は驚いた顔をした。


「蜜柑から聞いた。ついに西野博士が完成させたって」


「完成じゃない。まだ試作段階だよ」


 西野はいたずらっ子のようににんまりと笑っていた。これでまた、優位に立てると確信しているように。




 その年の修学旅行のあと、西野明里は自宅のタイムマシンの中に消えた。蜜柑は自分を責め、西野博士は精神を病んだ。


 西野明里という存在が、あの時間の向こうに消えた女子高生が、俺たちの中に大きな禍根を残した。


 まったく、馬鹿な奴だ。



 帰って来なきゃ、自慢できねーだろ。



2050年 冬


 夢の国の夜は、眠らない。レストランの窓から、きらびやかなキャラクターたちが動き回るのを見下ろした。



「東京ディズニーランド、やっぱりすごいね! 来れてよかった」


 俺の隣でにこりと笑う蜜柑を見て、よかった、と俺は息をついた。少し赤い頬が、少し官能的にすら見える。


「私、修学旅行の時来れなかったからさぁ」


「風邪ひいてたんだよな」


「そうそう、私、ほんとに運がないんだよねぇ」


「体調管理が下手なんだよ、昔から」


 10年前の修学旅行も、ここが観光地だった。けれど、今になって考えると、蜜柑は来なくて良かったのだと思う。色々と、トラブルがあったみたいだし。


「明里は……誰と一緒だった?」


 また始まった。正直、もう蜜柑にあいつのことを思い出してほしくはなかった。


「蜜柑、もう……」


「知りたいの」


 まっすぐな瞳に気圧けおされる。西野明里という女は、あれだけ蜜柑と一緒にいて、このレーザービームにやられたことなんてなかったのだろうか。


「うろ覚えだけど……確か、三鷹と矢吹と、四条だったかな」


「へぇ、みんな一緒だったんだ」


 蜜柑はまた、遠い目をした。


「蜜柑がいなくて良かったよ。トラブルがあったみたいだし。ほら、あいつトラブルメーカーっていうか、みんなを振り回してただろ」


「トラブル?」


 しまった、そう思った時には、蜜柑の瞳は好奇の色に染まっている。


「いや、憶えてないんだ、俺も」


 それは事実だった。たしか四条の眼鏡がどうとか言う話で、西野がクラス中から責められていたことは知っている。でも詳細については知らなかったし、こちらからも訊かなかった。奇妙だったのは、必死になって矢吹が西野をかばっていたことだ。西野と矢吹は昔から仲が悪かったし、いや、仲が悪いというより――矢吹の方が、西野の強引さに辟易していたんだと思っていた。その矢吹が、クラスで沈黙している西野をかばっていたのは異質だった。


「そっかぁ。でも、ななみちゃんと明里が仲良くなったのって修学旅行からだよね?」


「そうだったかな」


 蜜柑のことが心配だった。過去にしのに囚われて、先に進めない蜜柑を助けたかった。そのために、俺はここに来たんだ。


「プレゼント持ってきたんだ」


 ディズニーランド内の、少し高級なレストラン。食事を食べ終えた、ゆったりとした時間。


 俺は意を決して、小さな箱を取り出した。


「蜜柑」


「ん? なに、優介」


「今日は大事なことを言いに来たんだ」


「えっ」


 蜜柑が少し身構えた。失敗だったかな。あいつの所作を、もっと見ているべきだったかもしれない。


「結婚してほしい」


 開いた箱の中には、小さなルビーが赤く光っている。

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