5 友達

 楽しいパーティー会場だった店内に、戸惑いがあふれていた。黒い影のようなものがわだかまっていて、生徒たちはみんな距離をあけている。

(ヤミケモノは、あたしたちの動揺した心に縄張りを作ってた。全員明るくなれば、縄張りにしてられなくなって出てくる!)

 ひいろは異様さに立ち止まったが、心の中ではガッツポーズを取っていた。ブレスレットを肉球手袋に変えて、猫耳しっぽを出す。

(こいつを支えてるのは、あたしたちの感情。祭部先生に会えなくて寂しい方は、ここに祭部先生を呼ぶことで片づいた。後は、あたしたちが教頭先生と仲よくなればいい!)

 気持ちよくないが仕方ない。右手を掲げる。

「目覚めよ魔力!」

 魔法の素――先日使い残したルイトモルイボスは、パーティーで出したクレープに混ぜてある。そして、クレープは生徒全員が食べた。

 肉球手袋が輝き、光はひいろを含む生徒全員に移っていった。みんなが呆気に取られているなか、ひいろは念じた。

(教頭先生と仲よくなって!)

 意識が途絶えそうなほどくらくらした。元々生徒たちを集める魔法で消耗していたし、たくさんの相手へ一度に魔法をかけるのも大変。

 それでも効果は出ていると、ひいろは確信した。あれだけ嫌っていた教頭先生なのに、今は別の感情がある。

(子供の年があたしたちに近くて、その子も漫画を読んだりアニメを見たりする?)

 教頭先生を好きになるほどではないが、親近感くらいは生まれる。

(これで、ヤミケモノは)

 心臓が凍りついたような感覚。

 影はどんどん膨らんで、恐竜と牛を合わせた姿になった。教室でケモノビト警察を倒したときと同じだ。大きく吠えて、聞いたもの全てを恐れさせる。

(ちっとも弱ってない?)

 ヤミケモノは辺りを見渡して、ドアに走った。大きな腕で軽々と壊し、道路に飛び出す。

 逃げるつもりだ。魔法の効果がなくとも、縄張りから出て弱るのは間違いない。そのような状態で必要以上に暴れたいとは思わないのだろう。

(逃げられたら、また誰かが取り憑かれる。教室にケモノビト機動隊が来る)

 ひいろは目を疑った。ヤミケモノは、それ以上逃げられない。

 ハツユキがヤミケモノの足にしがみついている。危険な相手なのに。

「この野郎……逃がしてたまるか!」

 ヤミケモノは腕を振り上げた。恐ろしげな爪が街灯の明かりを反射してぎらつく。ハツユキはヤミケモノを止めることに精一杯で、狙われていることに気づかない。

「周りをよく見てください!」

 スミが割り込んで、大きな腕を受け止めた。

 ヤミケモノは攻撃を終えていなかった。鋭い牙でハツユキとスミに食いつこうとする。

「やめて!」

 空から大きな鳥が舞い下りてきた。ヤミケモノの頭をつついたり足のツメで引っかいたりして、注意を散らせる。声はムギのもの。鳥に化けて襲いかかっている。

「みんな、あたしの作戦……失敗したんだよ?」

 ひいろは道路にふらふらと出ながら語りかけた。心に暗いものが広がっていく。

「せっかく手伝ってくれたのに、ごめん。そこまでしても無駄だよ……」

「無駄ってことはないだろうが!」

 ハツユキはヤミケモノにしがみついたまま振り返った。勝ち気そうに笑う。

「自信を持て! 俺たちが見つけたひいろには、それをできる力がある!」

 これほどの状況でも、ハツユキはひいろを信じている。

「それに、お前は人を助けたがっている! このまま逃がしたりできないはずだ!」

 いわれたとおり、ひいろも本当はあきらめたくない。

「失敗したら、やり直せばいいんだ!」

 だから、ひいろはもう一度ヤミケモノを見つめた。

「わかった……!」

 自分の瞳に活力が戻ったと感じる。

「三人とも、できることをやってくれてる。あたしにできることは……」

 思いついたことは一つ。ヤミケモノの上に視線を動かした。

 キラキラしたものが浮かんでいる。じっと見つめていると、どういうものかはっきりしてきた。

(あれは……?)

 ひらめくことがあった。教室にいたのはひいろたち生徒だけではない。

(もしかして、こいつはあたしたちじゃなくて教頭先生の気持ちから生まれたとか?)

 つまり、生徒からの気持ちを変えても空回り。グラウンドのヤミケモノと違って人間の声で叫ぶことがなかったので、余計にわからなかった。

(教頭先生は、あたしたちの前で不機嫌そうだった。あたしたちのことが嫌いだからだ。でも心の奥では、生徒を好きになれば笑顔でいられるってわかってるんだ。だから、教頭先生から生まれたヤミケモノの上にあれがある)

 光の中には、ほほ笑む生徒たちと教頭先生がいた。

 ひいろは店の中に引き返した。よろけつつ、驚いている生徒たちの目を集めつつ、テーブルへ近づく。ルイトモルイボス入りクレープは、まだ残っていた。

(あのヤミケモノは、生徒を好きになれない怒りから生まれた。ルイトモルイボスで興味を持たせることができるのは一人だけど、逆の気持ちが混じればきっとおかしくなる)

 クレープを一つつかんで、また外へ向かう。ヤミケモノはまだもがいている。

「これを、食べさせれば……!」

 先日はルイトモルイボス入りクレープをハトに食べさせて、ジャマネージャーの興味を変化させた。そのときと同じく生徒の誰かに食べさせて、ヤミケモノの興味を変えてもいいかもしれない。

 しかしひいろは、ハツユキから聞いた昔話を覚えていた。魔法を確実にかけたければ直接食べさせねばならない。失敗したらやり直せとはハツユキにいわれたが、ヤミケモノは魔法を何度も使い直しさせてくれるほど待ってくれないはず。

 ひいろは道路に出たところで足に引っかかるものを感じた。そこにあったのは、本当に小さな出っ張り。焦ったひいろはまたげなかった。

「あ……」

 アスファルトに倒れた痛みを感じることすらできない。

 顔を上げると、ハツユキとスミがヤミケモノに蹴飛ばされていた。足の爪も鋭く、エプロンが裂ける。

(間に合わない)

 ひいろの横を駆け抜けるものがいた。クレープをひいろの手から引ったくり、暴れるヤミケモノへ迫る。

「バ……ネ……?」

「何だか知りませんけど、これをあの化け物に食べさせたいんでしょう?」

 ひいろは驚いてしまって、「バネバネバ」というあだ名をギリギリで飲み込んだ。

「怖くないの?」

「どうせ夢です! それに、と、ととと友達がピンチのようですし……」

 バネバネバはクレープをヤミケモノに放り投げた。

(こんなことされたら、もうバネバネバなんて呼べないな)

 バネバネバ――ネネが投げたクレープはヤミケモノの口へと消え、ひいろは疲れのせいでふるえる手に肉球手袋を出した。

 ヤミケモノもそれ以上じっとしていなかった。コウモリのような翼をいきなり生やし、夜空へと飛び去る。

「逃がすわけないでしょ……みんな!」

 ハツユキたちはひいろの考えを悟ってくれた。ハツユキとスミはよろけつつ、ムギは元の姿に戻りながら集まる。そして肉球手袋のビーズに触れた。

 三人がビーズに吸い込まれた。その直前は四人で手を重ねるような形で、ひいろは試合開始前の号令をかける仕草みたいだと思った。

「ムギ!」

 ひいろはタヌキの耳としっぽを生やし、鳥に化けて空へ飛んだ。こちらは疲れきっているが、あちらも縄張りの外に出て弱りつつあるのだろう。ひいろは必死で羽ばたくとすぐに追いつくことができた。長いしっぽの間近へ迫る。

「スミ!」

 犬の耳としっぽがある姿になりつつ、ヤミケモノのしっぽをつかむ。

「犬は、かみつくのも上手!」

 がぶりと食らいつく。ヤミケモノは痛そうに吠え、その場で止まった。

 もう逃げようとするばかりではなく、しっぽを振り回してひいろを振りほどいた。そのまましっぽでひいろを叩こうとしてくる。

「ハツユキ!」

 ウサギの耳としっぽを出したひいろは、向かってきたしっぽに足をかけて跳んだ。ヤミケモノの頭上へと。

「目覚めよ魔力……!」

 肉球手袋から生まれた光は、本当にわずかだった。大きなヤミケモノを照らすほどのものではない。

(お願い、あたしたち生徒の誰にでもいいから興味を持って!)

 ひいろは懸命に念じて――

 ――わずかな光がヤミケモノの体に灯った。マッチの火のように小さかったが、ヤミケモノの全身に広がっていく。

 ヤミケモノは吠え、墜落し始めた。ひいろはそのときようやく自分の状況に気づいた。

(ここ、すごく高いじゃん!)

 ムギの能力で鳥に化けようと思った。しかし、なぜか声が出なかった。

『大丈夫だよ』

 いつの間にか肉球手袋がブレスレットに戻っていて、中からムギが出てきた。

 空中でくるりと身を返し、ひいろの代わりに大きな鳥へ化けた。足でひいろの服をつかんで、少しずつ降りていく。

(あのヤミケモノ、どうなったかな)

 答えは、店の近くに降り立てばわかった。

 ヤミケモノは、生徒たちに見つめられながらもがいていた。体は随分小さい。猫くらいに、ネズミくらいにと縮んでいく。

 どこかからぴしりと音がしたとき、ヤミケモノはもがくのをやめていた。悲しく泣いているように吠え、豆粒より小さくなり、消えていった。

「化け物を倒したのか……?」

 生徒の誰かがつぶやいて、歓声が爆発した。

「でかくて怖かったけど、有末が鳥になって追いかけてった!」

「有末がやっつけたんだろ? 空で何か光るのが見えたし!」

「どうやってやっつけたの?」

 みんなひいろを嬉しそうに囲んだ。キンちゃんもひいろに頭を下げる。

「ありがとうございます。これでみんな救われます」

 生徒たちと祭部先生の声が聞こえなくなってきた。姿も消え始め、代わりにハツユキとスミがブレスレットから出てきた。ムギもタヌキ男に戻る。

「魔法の効果が切れたな」

 ハツユキがいったとおり完全に見えなくなって、道路にはひいろたちとキンちゃんが残された。

(これで、ケモノビト機動隊は来ないよね?)

 ひいろはそういいたかったが、今も声が出なかった。その場に座り込み、またあの音を耳にする。

 ぴしり、ぴしりと続く。腕に目を動かしたのは、予感めいたものがあったから。

 ブレスレットを作るプレートやビーズの一つ一つに、いくつものひび。

「魔法の使いすぎだ」

 ハツユキがつらそうにつぶやいて、ムギとスミが目を見開く。

「じゃあ、ひいろは?」

「ブレスレットがないと、ケモノ界にいられないはず……」

 ひいろは心臓が止まりそうな思いに包まれた。自分の腕や体も生徒たちのように透け始めたと気づいたからだ。

 ハツユキたちに何かいいたいと思った。しかし、相変わらず声が出ない。

 どうしていいかわからないでいるうちにブレスレットが崩れて、意識を失った。

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