4 みんなの悩み

 次にひいろが〈まじしゃんずきゃっと〉に入ったのは、夜明けまでにかなりある時間だった。外は暗いが、店の中は明るい。

 本来、この時間は〈まじしゃんずきゃっと〉も店を閉めている。しかし今夜は特別。店の外には〈現在貸し切り〉のはり紙がされていた。

 店内の飾りもいつもと違って、万国旗やリボンがある。テーブルにはいくつもの料理が並んでいる。鶏の唐揚げやフライドポテト、串焼きの野菜など。

「よう、来たか」

 厨房から出てきたハツユキは、クレープが山積みの大皿を持っていた。どの料理も作ったのはハツユキ。クレープ以外も上手なのだそうだ。

「ひいろ、もう平気なの? ハーメルンフエノキの魔法は大変だったじゃないか」

 小皿を厨房から運ぶ途中のムギが問いかけてきて、ひいろはにっこりしてみせた。

「うん、もう大丈夫!」

 数時間前、ひいろはキンちゃんが相手の魔法に挑んだ。いわれていたとおりかなり疲れて、精神力を少しでも回復させるためにこの時間まで人間界で眠っていた。

 正直なところ、今も気を抜けば倒れてしまいそう。夜中に目を覚ますのも大変だった。しかし文句をいっていられない。インカムとエプロンを身に着ける。

「あの魔法、成功したのかな」

 ひいろが不安を感じていると、ドアが開いた。入ってきたのは、いつものような動物たちではなかった。

 人間の男子と女子。ひいろのクラスメートだ。暗い顔で学校に来ていた生徒も休んでいた生徒も次々入ってきて、不思議そうに店内を見渡す。みんなパジャマなど寝るときの姿。

「ここ、どこ?」

「呼ばれたような気がして来たんだけど」

 ひいろは、すぐ生徒たちの前に立った。

「今夜はここでパーティーだよ! どうせ夢の中なんだから、パーッとやろう!」

 大勢の前で話すことがないので、一生懸命に自分を落ち着かせながらいいきった。魔法がうまくいったことにはホッとしたが、安心していられない。

「夢って、どういうことなんです? その格好は?」

 バネバネバが不思議そうに見つめてきた。他の生徒たちも顔を見合わせる。

「会いたかったですよ」

 カウンター席に座っていたものが振り返って、生徒たちを驚かせた。

「私はキンちゃんです。ゴールドフィッシャーでも構いません」

 大きな金魚がイスにかけてしゃべっているなど、奇妙でしかない。

「ゴールドフィッシャーがこんなことしてるなんて、現実だったらありえない」

「だよな。来たこともないところに来るなんて訳わからないことも、夢じゃないと変だ」

「そういえばここに来る途中でお巡りさんに見つかったけど、怒られなかった」

 ひいろはクスクス笑いたいのをこらえた。

(見つかってないよ。見えてないし)

 今の五年二組一同は、ここへ来る動物やひいろと同じ。魂だけで体から抜け出し、実体化している。その状態で呼び集めることが、ハーメルンフエノキの魔法。

 効果が大勢に及ぶ魔法なので、使うのはかなり大変だった。みんなへ一度に魔法を見せれば夢だったですまない、という問題はパス。ハツユキによると、初心者のひいろがかけた魔法では力のないものに魂だけのときの記憶を残してやれない。

 またドアが開いて、生徒たちは驚いた。

「あ、みんながいる!」

 入ってきたのは担任の祭部先生。生徒たちを見て嬉しそうにする。着ているものは青くて浴衣に似ていた。病院の入院着だろう。

「心配してたんだよ!」

「大丈夫だった?」

 生徒たちは嬉しそうに駆け寄った。泣き始める生徒もいた。

「祭部先生がいるなら、パーティーがもっと楽しくなるな!」

「え、パーティーなの?」

 祭部先生がきょとんとしたとき、わきにひかえていたハツユキが声を発した。

「〈まじしゃんずきゃっと〉へようこそ!」

 指を鳴らすとムギとスミが厨房から出てきて、みんな歓声を上げた。三段重ねのケーキを運んできたからだ。

「さあ、全員座ってください! 詰めればいけるはず!」

 ケーキを見たせいか、みんないそいそと席についた。ハツユキがいったとおり、ひいろ以外の生徒+祭部先生+キンちゃんが収まった。

 ジュースで乾杯して、パーティー開始。

 久しぶりの祭部先生や初めて話すキンちゃんがいるので、最初から大いに盛り上がった。ハツユキが作った料理のおいしさも喜ばれて、「ここの店員、動物の耳としっぽを付けてて面白いな」という声も聞こえた。

 生徒たちをより楽しませたのは、スミの手品。右手と左手のどちらでアメ玉を握っているか、並んで立った生徒のうちで誰がクレープを後ろ手に隠しているか、と次々に当ててみせた。どうもにおいでわかるらしく、ひいろはあきれてしまった。

 ムギと組んでの手品も受けた。ムギを大きな布で隠し、さいばしをリズミカルに動かすと、煙がどこからともなく上がる。そして布をどけるとムギがいなくなっている。ムギが米粒に化けて床に落ちているとは、誰も気づかないようだった。

 にぎやかさが最高潮に達したところで、ハツユキが大きなビンゴマシーンを持ってきた。当たればおいしいお菓子をもらえるルールで、みんなどの番号が出るかで一喜一憂した。

 ひいろは特に見せるものがなかったので、食べ物や皿を運ぶことに徹した。しかし、そうしているだけですまなくなった。

「ごめんください……」

 ドアを開けて入ってきたのは、後ろ足だけで立って歩くパグ。みんな仰天していた。パグも人間の客がたくさんいるのでビクッとしたが、引き返そうとはしなかった。

「すいません、今は貸し切りで」

 ひいろがパグに近づくと、不安そうなまなざしを返された。

「それは知っていたんですけど、夜の散歩をしていたら開いていたので……どうしても相談したいことがあって……」

 出直すようにいうのが当然かもしれない。しかしひいろはそんな答えができなかった。

「厨房でよろしければ、お話をうかがいます」

「ありがとうございます!」

 ひいろは、頭を下げ続けているパグと一緒に厨房へ入った。料理中のハツユキも「構わないぞ」といいながらひいろとパグに丸イスを用意してくれた。

「とりあえず、これをどうぞ。気分が落ち着きます」

 ひいろがラベンダーティーを出すと、パグは一口飲んでから話し始めた。

「実は私、何をやってもうまくいかなくて」

「あたしもそんなことばっかりです。そちらはどんなことがうまくいかないんですか?」

「はしゃいでオシッコをもらしちゃったり、飼い主の梨花ちゃんが大事にしているぬいぐるみをかじっちゃったり……」

「それは、飼い主さんを困らせちゃってますね」

「はい……私、犬なのに……」

 涙ぐみながらうつむく。

「犬は群れで生きる動物です。私も群れの役に立たないといけません。それなのに迷惑をかけるなんて、犬失格です!」

「そこまでいうのは早いと思うよ? 迷惑をかけたから嫌われるとは限らないじゃん! 大切って気持ちの方が強いかも」

 ひいろはパグがかなり思い詰めていると感じ、追い返さなくてよかったと安心した。料理中のハツユキに振り返る。

「この子の家を念話玉で見たいんだけど」

「了解だ」

 ハツユキは料理が切りよくなったところでパグに住所を聞いて、念話玉に手をかざした。すぐに夜の部屋が映る。小学校低学年くらいの女の子がいた。

「あ、梨花ちゃん」

 パグの飼い主のようだ。青いパジャマを着て、ベッドで寝ている。抱き枕のようにしているのは、ここに来ているパグだった。

「今日も梨花ちゃんは私を抱っこして寝て……ぬいぐるみをボロボロにしちゃったのに」

 飼い主の穏やかな寝顔を見たパグは、涙をこぼした。ひいろはその背中に手を当てる。

「あんなふうにしてくれる飼い主さんが、犬失格なんて思うわけないよ」

「はい……私、どうかしていました。ありがとうございます!」

 パグは涙ぐみながらほほ笑み、いそいそと帰っていった。

(魔法を使うまでもなく落ち着いてくれてよかった)

 ひいろはパグをドアまで送ったところで気づいた。生徒たちが驚き顔で見つめてきている。

「ど、どうしたの?」

 声はいくつも返ってきた。

「あの犬、滅茶苦茶落ち込んでたのに!」

「お前、すごいな!」

 ひいろはどう答えたらいいのかわからなかった。代わりに答えたのは、ムギ。

「ひいろは、いつもここで動物たちの悩みを解決させてるんだよ」

 恥ずかしかったひいろは止めようと思ったが、時既に遅し。生徒たちは様子をうかがうように黙り込んでいた。

「あの、有末さん?」

 話しかけてきたのは女子生徒の一人。

「あたし、ちょっと困ってることがあるんだけど……話だけでも聞いてくれない?」

 他の生徒も反応した。

「私もちょっと悩んでることが……」

「せっかくだから俺も!」

 自分は動物からの相談しか受けたことがない。ひいろはそういいたかったが、希望者はどんどん増えていく。夢の中だからと開けっぴろげになっているのだろう。

『聞いてやればいい。また厨房を使え』

 ハツユキがインカムで簡単そうにささやきかけてきて、ひいろはますます引っ込みが付かなくなった。

「それなら、一人ずつ聞くけど……どうにかなるとは限らないよ?」

 厨房に入って、先程の丸イスに座った。ジャンケンをする声がしばらく外から聞こえてきて、最初に厨房をのぞき込んだのは男子生徒だった。

(いつも宿題を忘れてくる太田君だ)

 祭部先生がケガで来なくなった日も忘れていて、教頭先生から怒られた。そう思い出したひいろが「きっとどうでもいい相談だ」と予想しているうちに、太田はもう一つの丸イスに座った。女の子のようにもじもじしながら話し始める。

「俺、好きな子がいるんだ。今は普通に話すだけでさ……」

(宿題を楽に終わらせる方法とかじゃないの?)

 ひいろは驚きながら太田の話を聞いた。好きな子とは家が近く、親はカレー専門店のライバル同士で仲が悪くて口も聞くなといってくるのだそうだ。

「太田君たちは仲がいいわけだし、親は関係ないんじゃない? いくら怒られても、隠れて付き合う方法なんていくらでもあるはずだよ」

 答えたのは、誰でもいいそうなこと。それなのに太田は明るい顔をした。

「だよな! 相談してよかったよ! ありがとうな!」

 ひいろが驚いているうちに、太田は厨房から出ていった。

 次に現れたのは、ヤミケモノが現れて最初に休んだ真理子。おずおずと入ってきて、ひいろの前へ遠慮がちに座る。今度の相談内容は、太田よりもずっと想像しやすかった。

「私、ちっとも目立たなくて……みんなに忘れられてるって思うことがあるの。四月にイメチェンしたけど、四年のころから同じクラスだった子は誰も気づいてくれないし……」

 四月から同じ学校になったひいろは、どういうイメチェンなのかと聞いてみた。どうも髪留めを変えたらしい。

「もっとすごいイメチェンの方がいいのかも……格闘技を始めてみるとか」

 真理子はパンチを繰り出したが、全然気合いが入っていない。自分の腕の方が折れそう。

「そんなことしなくても大丈夫だよ。見てる人は見てるから。男子にファンがいるし」

 ひいろがそういっても、真理子はファンの存在を信じなかった。しかし何人かの名前を聞くと頬を染めた。思い当たることがあったのかもしれない。

「う、うん。私、もっと自信を持ってみるから」

 小走りで厨房から出ていって、また次の生徒が入ってきて、とその繰り返し。それぞれ深刻そうに話しかけてきた。小五のひいろではどうしようもないほど大きな相談もあった。それでもひいろがはげますと少しは落ち着いた顔になってくれた。

(みんなも悩みを持ってたんだ)

 ひいろは相談を聞いている側なのに気が軽くなった。なぜなのかはわからない。

「何よ、これ!」

 自然とこぼれたほほ笑みは、突然の悲鳴に吹き飛ばされた。

(出た!)

 ひいろは今ここにいる理由を思い出し、厨房から駆け出した。

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