3 仲間
金曜日。教室に入ったひいろは、また寒気を感じた。
きっとこれはヤミケモノが教室に悪影響を与えているからこそ。そう理解しつつ辺りを見渡すと、出席している生徒の数は更に減っていた。バネバネバもいない。
今日から来ていないのは、キンちゃんを見て怖がっていた生徒ばかり。それ以外は、昨日の放課後から今朝までの間におかしなものが見え始めた生徒だろうか。
祭部先生も来ない。相変わらず教頭先生が来た。
「欠席が多いな。ずる休みもいるのだろう」
(誰のせいでこんなふうになったと思ってるんだよ。教頭先生が祭部先生のことをもっと教えてくれてたら、あたしたちもヤミケモノが生まれるほどの悲しみを出さなかったかも)
出席取りが終わって一時間目の教科書やノートを用意するとき、ひいろはそれとなく振り返って教室内の様子を見た。
登校している生徒も暗い顔。まだヤミケモノに影響されていなくとも、こういう顔になる理由は多い。なお、キンちゃんは水槽ごと廊下に出されてしまった。
生徒が減った分だけ当てられる確率は高くなった。それでもひいろは授業に集中できる気がしなかった。
(みんな魔法の素のイメージと似たものが見えるようになった。誰もあたしをわかってくれない、なんて状況じゃなくなったのかも)
それが正確な考え方だったとしても、「仲間が増えてよかった」「今までの自分みたいに苦労したらいい」とは思えない。
(あれ……?)
ひいろは急にめまいを感じ、不思議な光景を見た。
教室の中なのに、先生以外の大人が何人もいる。みんな紺色の制服を着ていて、耳が動物。腰から伸びているものもある。
(この人たちがケモノビト警察なの?)
お巡りさんらしい犬のケモノビトも、トラやライオンっぽいケモノビトもいた。
彼らはみんな苦しげな呼吸を繰り返していた。制服がところどころ破けて、ひざを床につけている。警棒のような武器を持っているものもいるが、構えることすらできない。
ケモノビト警察に囲まれているものは、恐ろしげな怪物だった。
二本足で立った恐竜と牛を混ぜ合わせたような姿で、天井に頭がつきそう。しっぽも恐竜のように太くて長い。ぎらつく瞳でケモノビトたちを見下ろし、太い腕を振り上げる。指の一本一本に鋭い爪が生えていた。
(逃げて!)
ひいろの叫びは心の中でしか響かなかったが、ケモノビトたちは飛び退くように怪物から離れた。それでもひいろは安心できなかった。爪が向かった先には、イスに座った生徒が何人もいる。
机やイスが粉々になったが、生徒にケガはなかった。爪がすり抜けたからだ。
ケモノビトたちは疲れきってしまい、座り込んだ。これ以上よけたりできそうにない。
怪物は勝利を確信したようだ。瞳をゆがめて笑い、薄れながら消えた。いなくなったわけではないのだろう。寒気が消えないし、ケモノビトたちも悔しそうなまま。
なかなか立てないケモノビトたちに駆け寄ったのは、ひいろの知っている人物――そこでひいろは意識がはっきりした。
「いつまで後ろを向いている」
教頭先生に話しかけられたからだ。ひいろは慌てて教科書を開けた。
授業が始まって、教頭先生は他の生徒に教科書を読ませ始めた。ひいろはさっき見たもののことが気になっていた。
(今の、ケモノ界? 暴れてたのは、ここにいるヤミケモノ?)
冷や汗が頬を伝う。
(ケモノビト警察が負けちゃったんなら、状況はよくならないってことだ)
目だけを横に動かすと、暗い顔で教科書を見ている生徒がいた。解決させてくれるはずのものが負けたと知れば、もっと暗くなるだろう。
ひいろはそう思うと、昨日から感じていたことがはっきりしてきた。
(今のみんなは、相談しに来た動物たちと何も変わらないように見える。かわいそうだ。みんなが動物たちと同じなら、あたしはほっときたくない! 何かしてあげたい!)
「次、有末」
どうやら教頭先生に当てられたようだ。ひいろは勢いよく立ちながら告げた。
「全然聞いてなかったので、どこから読めばいいかわかりません!」
ひいろはどこからなのか教えてもらって読み始めるまでに長々と説教された。しかし、意外とさっぱりしていた。
今日もひいろは帰宅するなり〈まじしゃんずきゃっと〉に駆け込んだ。
みんな仕事をしていたが、普段とは雰囲気が違う。いつもなら大きすぎるムギのあいさつが普通くらいだった。客がいないのも、空気がおかしくて早く帰ったせいかもしれない。
「ハツユキ、教室にいたよね? もしかして、ケモノビト警察はやられちゃったの?」
厨房に入りながら問いかけると、ハツユキは焼く前の生地をナベの中で混ぜながら感心顔をした。
「ぼうっとしていると思ったが、俺たちが見えていたのか。魔法具もなく人間界からケモノ界をのぞくのは、アーデルハイトの時代にいた魔法使いでも難しいことなんだがな」
ひいろは自分がすごいことをやったと知って驚いたが、今は喜んでいられない。
「どうしてハツユキまでヤミケモノのところに?」
「俺は案内役としてついていっただけだ。ついでにあれを採ってきた」
ラッパのようなバナナが何本か置いてあった。ハーメルンフエノキの実だ。
「これからどうなるの?」
「ケモノビト機動隊が動くはずだ。おそらく明日の夜明け辺りに」
「それ、ケモノビト警察より強いとか?」
ハツユキは苦虫を噛みつぶしたような顔だった。
「あいつらは戦闘用の魔法具をいろいろ持っている。問題は手段を選ばないことだ」
「机や壁を壊したりするの? 人間界に合わせて直るじゃん」
「壊すだけじゃない。あいつらのヤミケモノ破壊爆弾で吹き飛ばされたヤミケモノは、元の怒りや悲しみへ分解されながら人間界に飛び散る」
ひいろは急に人間界の名前が出たのでギョッとした。
「飛び散ったら、まずいことが……?」
「怒りや悲しみは、その場を訪れた人間に染みつく。そうなった人間は意味もなく怒ったり悲しんだりし始めて、まともな生活が送れなくなる」
「怪奇スポットよりひどいよ! どうしてそんなことを」
「自分たちは人間界から来た暗い感情を送り返すだけ……ケモノビト機動隊はそういう」
そのとおりかもしれない。しかし、ひいろは受け入れたいと少しも思わなかった。
「そんなの困るよ。あたしたちだって、好きでケモノ界に暗い感情を送ったんじゃない」
だから、ずっと考えていたことを口にした。
「あたしにできることはないの?」
放っておきたくない。ただそれだけ。
「あのときヤミケモノは消えたけど、いなくなったわけじゃないんでしょ?」
「生徒の誰かに取り憑いているんだ。子供の心は揺らぎやすく、隠れるすき間がいくらでもある。怒ったり悲しんだりしているなら、特に居心地がいい縄張りだろうな」
ひいろは寒気が増したように感じた。
「取り憑くなんて、幽霊みたい。教室で消えたってことは、今日来てた子の誰かが取り憑かれてるってこと?」
「そうとは限らない。誰かの中を本拠地にして、アサガオやヘチマがツルを広げるように他の生徒へ手を伸ばしているはずだ。それなら他の生徒の中にこっそり移動できる。休んでいた子の中から来ていた子の中にワープして教室に出現、なんてことができるんだ」
「じゃあ、何とか爆弾を教室で使っても休んでる子の中に逃げられて外れってことがありえるの?」
「そうだ。ダメージを与えても、休んでいる子の中に隠れて回復されたら意味がない」
時間稼ぎをされているうちに被害が広がっていく、という状況をひいろは想像した。
(やっぱり、あたしは何かしてあげたい。相手はすごく手強いのかもしれないけど)
「ひいろ、友達を助けたいんだね」
ムギが深刻そうにつぶやいた。ひいろとしては、友達というほどではないのだが。
「僕、あのヤミケモノが暴れるところを念話玉で見てたんだ。ケモノビト警察が負けるようなのを相手にするなんて危ないよ。悔しいのはわかるけど、グラウンドにいた間抜けっぽいのとは訳が違う……」
ひいろは何かを思いつきかけた。グラウンドのヤミケモノはどういうものだっただろう。
「あなたはサッカー部の人間から不満を取り除きました。しかし常にうまくいくわけではないはずです。それは責められることではありません」
無口なスミも心配げに語りかけてきた。ひいろはその言葉を聞いて、また頭をかすめるものがあったと感じた。
「あたしたち生徒は教頭先生に怒ってる。祭部先生がいないことを悲しんでる……」
だんだん形ができてきた。
「ヤミケモノって、元になってる怒りや悲しみが消えたらエネルギー切れにならない?」
ハツユキは目を丸くしながら口笛を吹いた。
「そのとおりだ。大本さえなくなれば、ヤミケモノは消える。人間界へ影響する手がない俺たちにはできないことでも、お前には違うかもな」
ひいろは明るい気分を少しずつわき出させた。
「グラウンドでは、ジャマネージャーに他の男子へ興味を持たせた……そのときの魔法の素をクラスの生徒全員に使って、教頭先生への興味を持たせたら? 同じ趣味があると思えば嫌いじゃなくなって、ヤミケモノはエネルギー切れになるんじゃない? あのときの素、たくさんあったからまだ余ってるよね?」
ハツユキは、また苦い顔に戻ってしまった。
「ルイトモルイボスの魔法は一人に興味を持たせることしかできず、生徒は何十人もいるんだ。クレープの魔法を何度も使うのは大変だぞ。それに『担任の先生がいなくて寂しい』の方はどうする」
「えっと……あ、ハーメルンフエノキの実があれば大丈夫だよ!」
ひいろはひらめいたことがあったので話した。ハツユキは「すごい作戦だな」といってくれたが、明るい顔にはならない。
「その魔法は可能だ。しかしアーデルハイトが使った魔法の中でもかなりハイレベルだから、コントロールは難しい。うまくできたとしても、その後でクレープの魔法をまた使わないといけない。コピーの魔法よりもずっと負担がかかるのに繰り返せるか?」
「やるよ!」
ひいろはきっぱりといった。ハツユキは、ようやくいつもの勝ち気そうな顔に戻った。
「ケモノビト警察まで倒すヤミケモノが相手なのに、大した度胸だ。教頭先生への切り返しもよかったしな」
ひいろは不意を突かれてひるんだが、すぐに振り払った。ハツユキたちを見渡す。
「ハツユキがいったとおり、敵はおっかない。でも、だから……」
つい、口ごもってしまう。ムギは何かいいかけてスミに止められていた。だからひいろは、先を口にした。
「あたし一人じゃどうしようもない。だから、みんなの力を貸して!」
ひいろには、ヤミケモノより怖いものがあった。
この作戦に参加させれば、三人とも危なくなるかもしれない。しかし、誰だって危険な目にあいたくないはず。
できるだけ一人で生きようとしてきたひいろは、人にものを頼むことがほとんどなかった。せっかく会えた三人、自分を受け入れてくれる三人に「そんなことしたくない」といわれたら、自分の全てが壊れてしまうのではないか。ひいろにはそれが何より怖かった。
「ひいろは俺たちを信頼してくれているから、ここに来ているんだろう」
ハツユキは明るく笑った。
「だから俺もひいろを信じる。お前がやることを手伝う」
ひいろはハツユキの温かさを心に移された気分だった。ムギも笑顔でうなずく。
「もちろん僕もだよ! 終わったら、『目からウロコが落ちる』って言葉のとおり人間は本当に目からウロコが出るのかどうか教えてね!」
スミも静かにうなずいてくれた。
「当然ながら私もです。あなたがアーデルハイトの子孫だからではなく、関わりの少ない相手でも親しくない相手でも助けようとするほどの方だからです」
ひいろは心の奥から染み出してくるものをこらえきれそうになかった。どう表現したらいいのかわからない。ようやく思いついた言葉は、一つだけ。
「あたし、その……ありがとう」
「おっと、それは必要ない。お前は客か?」
ハツユキはニヤリとしながらひいろの口もとで人さし指を立てた。
「俺たちはこの店の仲間だろうが」
そしてムギとスミに指示を始めた。ひいろは心の中が軽くなって座り込んでしまいそうになったが、かろうじて我慢した。ゆっくりしていられない。
「じゃあ、あの子を呼ばないと」
「その必要はなさそうです」
スミが鼻をひくつかせながらいうと、ドアが鳴りながら開いて赤い姿の客が現れた。魂を実体化させた体に魚の生臭さはないが、犬男のスミには違うのかもしれない。
「キンちゃん!」
今日は廊下に出されていたので寂しかっただろう。ケモノビト警察が負けるところを見て不安になってもいたはず。ひいろはあいさつも忘れて駆け寄った。
「昨日はクレープをあげられなかったけど、今日は大丈夫だよ!」
「本当ですか、有末さん!」
暗い顔だったキンちゃんは、明るい声をこぼした。ひいろはそうしてもらえるだけでも嬉しかったが、身が引きしまるような気分も味わっていた。
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