4 大事なもの

 ムギはまるでブレスレットに吸い込まれたようだった。左腕のブレスレットを作るビーズの一つが、透明から茶色になる。

「どうしちゃったの?」

「ひいろ……アーデルハイトが使っていたという他の魔法も、使えるのか?」

 ハツユキが強気そうに笑う。今度は強がっているだけでなさそう。

「もしそうなら……スミ、ひいろのブレスレットに触ってみろ」

 ハツユキとスミはそれぞれブレスレットに触れて、ムギと同じように消えた。左腕のビーズが一つずつ白と黒に染まる。

「ちょ……みんなどこ行ったの?」

『俺たちはここにいる』

『ブレスレットの中!』

 ハツユキたちの声が、ひいろの頭の中で響いた。

『これなら私たちでもヤミケモノの毒が平気のようですね』

 たしかに、三人とも苦しそうな雰囲気がなくなっている。

 ヤミケモノは獲物が減ったと思ったのかもしれない。いら立ったように吠え、大きな口を開ける。また食らいついてくるつもりか。ひいろは身をふるえさせた。

『心配するな。白いビーズに触りながら、俺の名を呼んでみろ』

 ひいろは、すぐさまハツユキがいったとおりにした。

「ハツユキ!」

 途端にひいろは体が軽くなったと感じ――ヤミケモノのあごをジャンプでかわした。

「ど、どどどういうこと?」

 下を見ると、かなり高い。二階の窓から地面を眺めたときより離れていそう。

 耳と腰の辺りがムズムズする。猫耳しっぽが生えているとひいろは考え、違うと悟った。

 ブレスレットは手袋になっているが、一昨日の猫とは違う。白く、肉球がない。

 耳に触ってみると、やけに長い。しっぽに触ってみると、やけに短い。

「ウサギの耳としっぽ? 手袋もウサギに……?」

 ひいろは知っていた。ウサギが犬猫と違って肉球を持っていないと。

 すごい高さだったはずなのに、ひいろは軽く着地できた。

 ヤミケモノが向かってきたので駆け出すと、一瞬にしてかなり離れることができた。

 ヤミケモノは追ってきたが、ひいろは余裕を持って逃げ回ることができる。

「もしかして、ウサギだからすごい脚力ってこと?」

『ああ。さっきムギがいったコピーの魔法に近いものだ。アーデルハイトは他のケモノビトから能力をコピーして、ヤミケモノの縄張りから魔法の素を採りやすくしていたという。いくら恐ろしい毒でも、吐かれる前に魔法の素を採って逃げればどうもないからな』

「じゃあ……店のインカムや念話玉には、今のハツユキたちみたいにケモノビトが入ってるの?」

『完全に同じ魔法じゃないぞ。店の道具は能力だけのコピーだから安心しろ』

 脱線しかけたひいろだったが、アーデルハイトの話には納得していた。いくらアーデルハイトがクレープの魔法を使えたとしても、ヤミケモノに邪魔されて魔法の素を採れなかったら思うようにいかない。

『ひいろは毒も効かないみたいだからな。アーデルハイトよりもうまくヤミケモノに対応できるかもしれない』

「ヤミケモノの上に見えるものがあるけど、何とかする方法につなげられないかな」

 ひいろは浮かんで見えるものについてハツユキへ伝えた。ハツユキは『ヤミケモノの上にイメージを見ることも、アーデルハイトの能力の一つだ』と楽しそうに答える。

『俺たちケモノビトのヤミケモノ対策はいくつかある。一つ目、近づかないこと。二つ目、毒を吐かれる前に逃げること。三つ目、吐かれたらたくさん吸う前に息を止めること』

 ハツユキたちが口や鼻を押さえたのは、三つ目の対策だったのだろう。

『最後にもう一つ。人間の感情が元という点から来る弱点を突き、弱らせたりひるませたりすること。難しいが、求めているものが見えるならうまくできるはず』

(漫画やアニメのキャラみたいに戦え、なんていわれなくてよかった)

 ひいろはホッとした。いくら何でも怪物とやり合うのは怖すぎる。とりあえず百メートル五秒の脚力でヤミケモノから逃げ回って、どうすればいいか考える。

(魔法の素があるところまで行ければいい。最初にゴールへ走っていったときも、ヤミケモノが邪魔に入らなければ採れたはず)

 解決法は、意外なくらい早く頭に浮かんだ。

「こんなのはどう? スミ!」

 ビーズは手袋の根もとにくっついていて、ひいろはその中の黒い一つに触れた。スミの『私ですか?』という声を聞きながら、耳や腰の変化を感じる。

 黒くて三角の耳と、カールしたしっぽ。手袋も黒く、また肉球ができた。

「犬はにおいをかぐのが上手、犬は吠えるのが上手、そして犬は穴を掘るのも上手!」

 手袋に付いたツメで地面をかく。固いグラウンドなのに、どんどん穴が深くなっていく。

「スミ、昨日も穴掘りしてたんでしょ?」

 手を動かしながら問いかけると、ハツユキの笑い声が聞こえた。

『実は穴掘りがスミの趣味でな』

 ムギの言葉も続く。

『大事なものをいつも隠してるよね。ムゲンリュックならコンパクトにしまえるのに』

『私の勝手です』

 スミがこぼしたころ、穴はひいろの身長よりもずっと深くなっていた。ヤミケモノは上から不思議そうにのぞき込んで、目の色を変えた。穴の底にあったものは――

『ブランドの服! 宝石! バッグ!』

 ――ヤミケモノの上に浮かんだイメージと同じ。山積みのお札。

 ヤミケモノは穴に入ってお札を取ろうとして、すさまじく焦った顔になった。

 途中から下に行けない。上に戻ることもできない。自分よりも小さな穴へ無理やり入ろうとしたせいで、つっかえてしまった。

「これでもう大丈夫!」

 煙があふれて、ひいろはお札から元に戻った。耳としっぽは丸っこい。ムギが持つタヌキの能力で化けていたからだ。

「今のうちに……スミ!」

 犬の能力で横穴を掘り、グラウンドへ出る。そしてもう一度ウサギの能力を使い、ゴールの後ろへダッシュ。

「採った!」

 奇妙なエンドウ豆をもぐ。まとまって生えているので、いくつも採ってしまった。多い分にはよし。

『急いで道路へ!』

『うん!』

 返事をしたときのひいろは、もう走り出していた。すぐに道路へ踏み出す。

『グラウンドで男の取り合いをしていた女が大本なら、縄張りもグラウンド内だけ。外に出れば弱るから、もう追ってこない』

 ハツユキの声が聞こえて、ひいろは立ち止まった。振り返ると、ヤミケモノはまだ穴にはまったままで太い足をじたばた動かしていた。

『まさかヤミケモノをここまでやり込められるとは思いませんでした』

 スミがつぶやいたとおりだ。ひいろは自分たちが恐ろしげな怪物に勝ったことを今さらながら驚き、晴れ晴れとした。

 グラウンドをよく眺めてみると、誇らしい気分が薄れた。随分ひどい有様だ。穴が開いているし、木が折れて倉庫も壊れている。

「……無茶苦茶にしちゃったね」

『放っておけばいい。何時間かたてば、人間界の形に合わせて直るからな』

 ひいろのしっぽが消えて、耳が元に戻る。手袋もブレスレットへ。

 ハツユキたち三人は元の姿でひいろのそばに現れた。具合が悪そうな様子はない。ひいろは安心して、隠れながら考えたことを思い出した。

「あのヤミケモノ、乾原っていう六年生のイライラからできてるんだよね。上に見えてるのが三条先輩じゃなくてお金っていうことは、そっちの方がもっと欲しいってこと? それなら、人間界でもあのヤミケモノと同じように……」

 急に横を通るものがいて、ひいろは驚いた。人間界側で道路からグラウンドへ入る男子生徒だった。どうもサッカーの練習が始まるようで、ぞろぞろと続く。

 ふと見ると、木の上にハトが何羽かとまっていた。しかもひいろたちに顔を向けている。

「あのハト、まるであたしたちが見えてるみたい」

 手を振ってみる。ハトのうちの一羽が翼を動かしながらクルックーと鳴いた。

「動物は人間界にいてもケモノ界が見えるし、声も聞こえるんだよ」

「あそこにいるのは昨日うちに来た方ですね」

 ムギとスミが教えてくれた。ケモノビトには動物ごとの違いがはっきりわかるのだろう。ひいろは他のハトと区別が付かないが、あのハトといわれたら黙っていられなかった。

「昨日のハトさん! 相談のこと、どうすればいいかわかりました!」

 大きな声で呼びかける。ハトの一羽が首をかしげた。



 店に戻ると、悲しげなハトがすぐに現れた。ひいろは先日のピピと同じように魔法の素入りクレープを食べさせ、いくつかのことを話した。ハトは不思議そうにしていたが、ひいろの言葉に一つ一つうなずいてから帰っていった。

 それからしばらくして念話玉が鳴った。ひいろが厨房へ入ったときには、もうハツユキが受けていた。

「はい、〈まじしゃんずきゃっと〉です。ああ、さっきの方ですか」

 やはりあのハト。体に戻ってグラウンドから連絡してくださいと、ひいろがいったとおりにしてくれた。

 念話玉で見たグラウンドは、穴が開いていたり木が折れていたり。映る景色が人間界ではなくケモノ界だからだ。部員たちがグラウンドの荒れ方に気づかずサッカーしているところは、何だかおかしくもある。

 コーチが指示し、部員たちがグラウンドのわきへ下がった。今から休憩時間らしい。次子は三条に近づきたそうな顔。ジャマネージャーは割り込みの準備をしているようだった。

(ちょうどいいタイミング!)

 ひいろがブレスレットに意識を集めると、肉球手袋に変わった。猫耳しっぽも出る。

「おっと、ひいろ」

 手を念話玉へ向けるところで、ハツユキが止めてきた。

「ちと大変かもしれないぞ。もう長いことケモノ界にいるし、グラウンドではヤミケモノとやり合うために魔法を使った」

 頑張りすぎると人間界に戻ってからも具合が悪いかもしれない。ひいろはそう聞いたと思い出した。しかし、手を戻そうとは思わなかった。

「でも、あのハトは困ってるんだよ」

 ハツユキは嬉しそうにほほ笑んだ。

「心強いな。じゃあ頼むぞ」

 ひいろはうなずいて、今度こそ水晶玉に手のひらを向けた。

「目覚めよ魔力!」

 途端にくらっと来た。念話玉の中では木に止まったハトがクルックーと鳴き、指示したとおり生徒たちのうち一人を見つめる。

(あたしは、三条先輩と市橋さんが同じ趣味って気づけばいいと思った。でも、そうじゃない)

 ひいろが考えているうちに、ジャマネージャーは三条以外の男子に近づいていった。昨日は無視した鳥野へと。

『鳥野君のハンカチ、有名なブランド品よね。クツもそうで、しかもよく買い替えてる』

『うん。お小遣いで買ってるんだ』

『そういえば、鳥野君っていつも親が外車で迎えに来るじゃない? もしかして、お小遣いもたくさんもらえるの? それでブランド品ばっかり?』

『興味ある? それなら今度一緒に出かけようよ。欲しいのがあったら買ってあげる』

『本当? 行く行く!』

 ジャマネージャーは鼻息を荒くしている。昨日は三条に向けていた様子だ。疲れたひいろは、近くの丸イスに腰かけながら苦笑いした。

(あの人はかっこいい男子よりお金持ちの男子の方が好きってこと。あたしは仲よくなる前から高いものを買ってくれる人なんて怖いけど、大事なものは人それぞれなんだろうな)

 ジャマネージャーと鳥野から離れたところでは、次子が三条に『お疲れ様です』と声をかけていた。

(これであの男子がジャマネージャーの足止めをしてくれるから、後は市橋さんのプッシュ次第)

 木の上ではハトが念話玉越しにひいろを見ていた。

『ありがとう……これで落ち着くわ……!』

 外見は普通のハトでも、伝わってきた声には涙がにじんでいる。ひいろはまたお礼の言葉を聞くことができたので、疲れが薄れたように感じた。アルバイト代も働きが認められたということなので嬉しいが、こちらの方がより嬉しい。

(疲れるまで頑張ったかいがあった)

 辺りを見ると、表情もなく皿洗いをしているスミが目に入った。

(面白いこともわかったし。こんな調子なのに穴掘りが趣味って、何だかかわいい)

「どうかしましたか?」

 スミが少しだけ振り返ってつぶやいた。ひいろはスミに笑顔を返す。

「何にも!」

 やっぱりここの居心地はいい。ひいろは今日もそう思った。

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