3 三人の旅
翌日の昼、ひいろは昼食を早めにすませてケモノ界へと向かった。ハツユキたちも待ち構えていて、グラウンドへと出発した。
その時間が選ばれたのは、ハツユキたちの休憩時間が深夜~昼過ぎだから。夜はペットたちが寝た振りをしながらケモノ界へ来やすいので、できるだけ遅くまで店を開けるようにしているらしい。
「さあ、張り切って行くぞ」
一行を先導して歩いているハツユキは、いつもと同じ笑顔。ムギも嬉しそう。スミだけは冷静な様子を保っている。
(昨日、スミが何かいおうとしてなかった?)
ひいろはそのことが気になっていたが、楽しさの方が大きい。誰かと一緒に歩くこと自体がほとんどないからだ。
歩き始めてからそうたたないうちに、空から翼の音が聞こえた。ひいろは店まで来るときの姿になった鳥だと思ったが、降りてきたのは別の意味で幻想的なものだった。
人間の男と似た姿で、紺色の帽子と制服。背中に大きな翼が生えている。翼は外側が黒く、内側が白い。尾羽も同じ模様。耳の辺りには白黒二色の羽が生えていた。肩にかけたカバンは赤く、マークは郵便局のそれと似ている。
(もしかして郵便屋さん? 動物じゃなさそう)
ひいろは驚いたが、郵便鳥は日常的にハツユキたちとあいさつしていた。
「ハツユキ、もしかしてこの子が探していたアーデルハイトの子孫? こっちに来られる人間なんて、そういないはずだしね」
「ああ。ひいろっていうんだ」
「へえ、よろしくね」
ひいろは、声をかけてきた郵便鳥に慌てて頭を下げた。
「これでスミもムギも一段落じゃないか」
郵便鳥はスミとムギにも笑顔を向ける。スミは静かに郵便鳥へうなずく。
「はい。お陰様で」
ムギは太陽のようなほほ笑みを返した。
「今日もひいろから人間のことを教えてもらうんだよ! 人間は温泉で『生き返る~』っていうけど本当に生き返れるのかって!」
また誤解しているようだ。郵便鳥はあきれ顔で「落ち着いたら手紙とかの配達先を連絡してくれよ」といって、また飛んでいった。ひいろはその後ろ姿をしばらく見上げていた。
「今の何?」
「俺たちと同じケモノビトだが? ツバメ男で、ケモノビト郵便局で働いている」
「ケモノって、ほ乳類って意味じゃないの?」
「そんなことをいわれても困るぞ。俺たちは俺たちの名前としてケモノビトという言葉を使っているだけだ。カメやトカゲのケモノビトもいるしな」
「そうなんだ……」
ひいろは、そういうものだと思うしかないことを悟った。ハツユキは、また歩き始めながら振り返る。
「ひいろは来たばかりだから、わからないことが多いだろ。そうだ。どうして店のドアが閉まらないようになっているんだと思わないか?」
「風通しをよくするためじゃないの?」
「それもあるが、基本的にケモノ界は人間界と同じ姿をしているものでな。人間界に置いてあるものをケモノ界側で動かしても、何時間かしたら元の場所に戻る」
そういえば先日リコーダーを〈まじしゃんずきゃっと〉に忘れていったと、ひいろは思い出した。それなのに、日を改めてからケモノ界側で自分の部屋を見渡すとリコーダーが普通に置いてあった。ハツユキが持ってきてくれたのだと思っていたが。
「店のドアは、ひいろの親が仕事を終わらせてから人間界側でカギをかけるだろ。だからケモノ界側で俺たちがカギを開けても、時間がたてば閉まった状態に戻る。それだと客が入れなくて困るから、閉まらないようにしているんだ」
(つまり、あたしはこっちでタンスから服を出して着がえたら服だけタンスの中に戻って……やらなくてよかった)
ひいろは安心してため息をついた。ハツユキが不思議そうに見下ろしてきて、少しだけ焦る。
「えっと、不思議な世界だよね、ここって。そういえば、グラウンドとかを見た玉ってどういう仕組みなの? やっぱり魔法?」
「念話玉のことか? ああいう道具を作る魔法はあるからな。アーデルハイトやひいろが使う、よその世界にまで影響できる魔法は難しいからともかく」
どうやらハツユキはごまかされてくれたようだ。
「ケモノビトには、人間と違う能力を持っているやつがいるんだ。ムギもすごいことができるぞ」
ハツユキが目をやると、ムギが意外なほど身軽にとんぼ返りした。煙が上がって、ひいろは肝をつぶした。
煙の中から現れたのは、地味な服を身に着けた少女。
「あ、あたし?」
「僕はタヌキ男だからね。あんまり長くは化け続けてられないけど」
ムギはひいろそのものの声とひいろと思えない笑顔で答えて、また煙に包まれた。元の少年に戻る。
「念話玉とかは、ケモノビトの能力をコピーする魔法で作るんだよ。念話玉はタカ男の能力、ムゲンポシェットやKB専用レジはハムスター男の能力。〈まじしゃんずきゃっと〉で使ってるインカムだって、ウサギ男の能力だよ」
ひいろは名の挙がった動物を一つ一つ思い出してみた。タカは小さな獲物を高い空から見つけられるくらい視力がいい。ハムスターはエサを頬袋に次々詰め込める。
「じゃあ、ハツユキはすごく耳がいいの?」
「ああ、そうだ」
ハツユキは子供のように笑った。何だかいたずらっぽい。
「穴ウサギじゃなく野ウサギだから穴掘りの専門じゃないが、走るのも速いぞ。百メートル先で生地が焦げる音を聞いて、三秒で駆けつけることもできる」
「ものすごい速さじゃん!」
「冗談だ。さすがに五秒はかかる」
どこからどこまでが冗談なのか、今一つ判断しにくい。そうやってしゃべっているうちに、グラウンドが見えてきた。
グラウンドにサッカー部はいなかった。昼過ぎから練習を始めるのか。それともちょうど昼の休憩時間なのか。
敷地内に入るとき、ひいろは不思議に感じた。ハツユキたち三人が手前で立ち止まったからだ。あちこちを注意深く見ていて、警戒しているようでもある。
「関係ない人がうろついてたら不審者と思われる、なんて心配したの? 人間界にいるみんなはあたしたちが見えないんでしょ?」
ひいろは普通に足を踏み入れた。
「入りにくいなら、さっさと終わらせちゃおうよ。えっと、ゴールの後ろだっけ?」
急いでゴールへと向かう。あのハトの悩みを早く解決させてあげたくもある。犬のピピと同じように喜んでくれると思うと、楽しみで仕方ない。
そう近づかないうちに、ゴールの後ろにおかしな植物が生えているとわかった。黄色い草に、エンドウ豆のようなものがいくつも下がっている。
「ひいろ、待て!」
ハツユキたちが駆けてきた。やけに焦った顔。冷淡なスミでさえだ。
「念のため警戒を……」
ハツユキの声は途中で聞こえなくなった。小声になったからではない。ハツユキたちはひいろの間近まで来たので、いくらか小さな声でも普通なら聞こえる。
猛獣、あるいは怪獣のごとき声に邪魔されたからだ。
「来た……!」
ハツユキがうめいたとき、空から降りてきたものがいた。ひいろの三倍はある巨体で、地面を揺らす。
トカゲのようなウロコがあり、口はワニのように裂けている。腕はコウモリと似た翼。ひいろは恐竜映画に出てくるプテラノドンを思い出した。
「もしかして、恐竜のケモノビトとか?」
「これはヤミケモノだ。やっぱりいたか」
ハツユキにヤミケモノと呼ばれた怪物は、口を大きく開けた。
ひいろはアニメのモンスターのごとく火を吐くと想像し、身をすくめた。しかし口から出てきたものは全く別。
『三条君とお出かけしたいのに!』
ものすごく大きな声。ひいろには聞き覚えがあった。
「これ、昨日のジャマネージャー……乾原って六年の声?」
ハツユキは急いた様子でひいろの腕を引っ張る。
「縄張りに入られて、いらついているんだ。とっととここを離れるぞ!」
またヤミケモノが口を開けて、今度こそ怪獣っぽいものを吐き出した。
火ではない。紫色の霧がひいろたちを包み込む。
「しまった!」
「吸っちゃった……!」
ハツユキたちは口や鼻を手で押さえ、ひざを地面に落とした。ひいろもとっさに口と鼻を覆ったが、嫌なにおいと変な味を感じた。
(もしかして毒? ハツユキたちがこんなに苦しそうなんだから、よっぽどの……)
めまいを感じた――それは単純に焦ったせいだったようだ。ハツユキたちがもがいているのに、ひいろだけは普通に立っていられる。
(ケモノビトだけに効く毒とか?)
ヤミケモノもひいろが苦しまないので驚いている。ひいろは急いで辺りを見渡した。
「みんな、あっち!」
グラウンドの隅にある小さな倉庫を指さす。ハツユキとスミはよろけつつも走り出した。ムギは立つことも難しいようだったので、ひいろが肩を貸した。
(魔法の素から遠ざかっちゃう)
ひいろは戸惑ったが、今は採りに行けない。ヤミケモノは太い足で追ってくる。
『三条君と、ゴージャスなお店に入りたいのに!』
またジャマネージャーの声でわめいたり、怪獣のように吠えたり。すぐにひいろたちの真後ろへ追いついて、大きな口でかみついてきた。
「ひっ……」
ひいろは振り返りながら引きつった。
ちょうど植えてある木の横を通るところだったのでよかった。ヤミケモノはひいろたちではなく木の幹に食らいつく。かなり太いのに、ベキベキと音を鳴らしながら砕いた。
恐ろしい光景だったが、その間にひいろたちは倉庫と壁の間にあるすき間へ滑り込むことができた。ヤミケモノはすき間に入れず、いら立った様子で倉庫のそばをうろつく。
「ヤミケモノって、何?」
ひいろは呼吸を整えながら問いかけた。ハツユキは青い顔で答える。
「ケモノ界には人間界の感情エネルギーが流れてくる、といっただろう。怒りや悲しみ、いら立ちといった暗い感情からは、ああいう怪物……ヤミケモノが生まれる」
「あたしがいつも見てるグラウンドに、あんなのがいたなんて。三人とも大丈夫? やっぱりあの紫色の霧が毒で……」
「ケモノビトの食い物は、KBでできている。つまり俺たちは、明るい感情で栄養補給しているということ。だからヤミケモノは、自分の中にある暗い感情のエネルギーから毒を作ってケモノビトを弱らせることができる」
ハツユキはあきれたような笑みを浮かべたが、明らかに強がっているだけ。スミやムギも息を荒くしている。ひいろは三人の具合の悪さに明らかな差があると気づいた。
「ムギが一番苦しそう……毒をたくさん吸っちゃったの?」
「毒ってのは、体の小さいやつから順に強い影響を受けるものだ」
答えたハツユキは、珍しく悔しそうな顔をした。
「不満と願いは裏と表……魔法の素があるところにはヤミケモノも発生しやすいから、来る前にあちこちを見て確認しておいたんだがな……きっと、空の上に隠れていたんだ」
そういえばハツユキは念話玉でここを長々見ていたと、ひいろは思い当たった。
「あの声なのは、乾原って六年の感情が大本だから?」
「元となった人間の代わりに愚痴るヤミケモノ、たまにいるんでな」
ハツユキがうなずく。昨日の練習後、ジャマネージャーは三条にすり寄ろうとして逆に引かれていた。次子の邪魔には成功しているが、三条と仲よくすることには失敗している。
「人を困らせてるのに、自分は自分で怒ってるなんて……」
ひいろは倉庫の陰からヤミケモノを見て、声を上げそうになるくらい驚いた。
ヤミケモノの上に浮かんでいるものがある。動物たちに見える魔法の素のイメージと同じ状態。
とはいえ、魔法の素ではなさそう。ひいろが住んでいる世界にあるものだ。
(どうしてあんなのが? 三条先輩の顔とかだったら、動物たちみたいに『一番求めてるもの』ってことで納得できるけど)
そうしているうちに、背筋を凍らせた。ヤミケモノがこちらを向いたからだ。
『三条君に、高いアクセサリーを買ってほしいのに!』
近づいてきて、ひいろは嫌な予感がした。
「きっとここは危ないよ!」
またムギに肩を貸し、ハツユキとスミに呼びかけつつ倉庫の陰から飛び出した。
ヤミケモノは倉庫の間近でくるりと横に動き、しっぽを振り回した。倉庫は古びているとはいえ頑丈な作りのはずなのに、一撃で崩れてしまった。
「早く、逃げないと」
しかし今度はヤミケモノも逃がしてくれず、一旦舞い上がってからひいろたちの前に回り込んだ。大きな口を開ける。
ひいろは恐ろしさに立ちすくんでしまった。ヤミケモノの視線はひいろに定まっている。一人だけ弱らないので面白くないのだろう。ヤミケモノは大きなあごをひいろに勢いよく突き出し、鋭い牙を迫らせる。
牙がひいろに触れることはなかった。
「させるわけないだろ……!」
ヤミケモノのあごは、閉じる途中で止まった。太い木の幹がつっかえ棒になったため。
木の幹を抱えているのはハツユキだった。ひいろに少しだけ振り返り、笑ってみせる。
「絶対に、守ってやるからな」
「どうして? 毒で弱ってるのに」
ひいろはハツユキの行動が不思議で仕方なかった。ハツユキの方にためらう様子はない。
「俺たちの村は、アーデルハイトに助けられたケモノビトが集まってできたんだ」
それが元でクレープを村の名物にしているのだと、ひいろは気づいた。
「だからアーデルハイトは伝説的ケモノビトで、俺たちは宝探しみたいな気分で子孫捜しの旅に出た。無謀な旅だといわれたが、三人で助け合ってきた」
ここへみんなで来たのは、ヤミケモノがいるかもしれないと考えて危険を分かち合うつもりだったからか。オンガエシツルクサの実を厨房に飾っていたのは、アーデルハイトの子孫に会えますようにと願をかけていたからか。
「そして、ひいろを見つけた。二年かかったけどな」
二年。それはひいろにとってすさまじく長い時間。
「そうしたら、ひいろはいいやつだった。アーデルハイトみたいに、困っているやつを助けたがった。だから、俺もひいろを助けるんだ!」
ヤミケモノも力任せに食らいついてくるばかりではなかった。一度ひいろたちからあごを離して幹を振り払い、また毒を吐きかけてきた。
ハツユキたちは逃げることも鼻や口をふさぐこともできず、紫色の霧に飲み込まれた。苦しげな表情が強まる。
「これ以上吸わされたら、みんなが……」
ひいろは肩にかかっている重さが増したと感じた。ムギは更にぐったりして、もう立つこともできそうにない。
「ムギ、しっかりして!」
「あ……ひいろ……」
ムギはガクガクと手を動かして、触れたものはひいろのブレスレットだった。
「そこ、楽そう」
ひいろは目を見開いた。
突如、ムギの姿が消えたからだ。
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