2 魔法の素
再び動物の客が来始めて、ひいろたちは仕事を再開させた。
またドアがチリンチリンと開いて、現れたのはハト。ひいろはその姿にギョッとした。
(一体何があったの?)
さめざめと泣いていて、ひいろまで悲しくなってくる。レジの内側に入ったムギは、相変わらずの笑顔で迎えたが。
「いらっしゃいませ! 何にしましょう!」
「お任せで……お願い……」
ハトが発した声は大人の女の人っぽかった。ポシェットからKBを出したときには、店内の話し声が小さくなっていた。お任せの客が相談しやすくするため静かにすることは、ケモノビトの店では常識だとか。
ムギはKBを受け取って、レジのお金入れに落とした。〈500〉と表示される。レジも人間界で使われているものと違い、KBの出し入れができる特殊なものなのだそうだ。
『お任せ担当ひいろ、出番だよ。ハツユキも準備よろしく』
ムギがインカムのマイク部分を口に近づけてささやき、ひいろのインカムからも声が聞こえた。誰かだけに話しかけることはできず、インカムを付けているもの全員に同じ言葉が伝わる仕組み。
(来た……!)
『ひいろ、まずは厨房までお茶を取りに来てくれ』
ハツユキの指示も届いて、ひいろは緊張しながら厨房に入った。ハツユキが小さなポットにお茶の葉を入れていて、ジャスミンの香りがする。
「クレープのセットで出すお茶のホットなら、空のカップとお茶入りのポットをお盆に乗せて客へ持っていけばいい」
セットの注文で飲み物が紅茶だと、ハツユキたちはそうしている。しかし今のハツユキは、ポットにお湯を入れてしばらく待ってからカップにジャスミンティーを注いだ。
「相談に来た客は、自分でお茶をカップに移す精神的余裕を持っていないこともある。だからこっちで注いでやった方がいい。慣れたらお前が自分でお茶の用意からしてくれ」
ハツユキはソーサーに乗せたカップをお盆に移し、ひいろはそれとなく深呼吸してからお盆を持ち上げた。
ここで料理を運ぶのは、まだ何回かしかしていない。店員として相談を受けるのは初めてだ。
しかし焦っていられない。相談相手がおろおろしていたら頼りなく見えるはず。
厨房を出ると、ハトはカウンター席に座っていた。やはり悲しげ。なお、カウンターのイスは高さを変えられるので大きな動物でも小さな動物でも不便なく使える。
「お待たせしました」
ひいろはハトの前にカップをそっと置いた。
「えっと、何をお困りですか?」
丁寧な言葉よりフレンドリーな言葉の方がいい場合もあって、慣れれば客の雰囲気を見てどちらがいいかわかるようになるらしい。ひいろは無難に丁寧な言葉を使っておいた。ハトは涙にぬれた瞳でひいろを不思議そうに眺める。
「人間が相談を聞いてくれるなんて、珍しい店ね……。でも、人間に関する相談だから、話すのはケモノビトより人間の方がいいかもしれないわ……」
驚いたお陰で少し気分が変わったのかもしれない。ジャスミンティーを一口飲む。
「私、いつも……人間の子供が集まるグラウンドの木で、一休みしてるのよ……」
「この辺りだと、川のそばにあるグラウンドですか?」
「ええ。そこで……サッカーっていうの? ボールを蹴り合うやつ。それをやってる子たちの中に、嫌がらせをされてる子がいて……! どうしてあんな目に!」
ハトが泣き声を強めて、ひいろはちょっとした衝撃を感じた。
(学校から帰るときにグラウンドを見ると、よくハトが木にとまってるけど……こんなことを考えてたなんて)
最初の相談内容が飼い主のことだったので、人間について相談するのは人間と一緒に暮らしているペットだけのような気がしていた。
「実は、今日もサッカーをしてるのよ……。普通は水曜と土日だけだけど、練習試合が近いから、金曜の今日もやるとか。また嫌がらせされてるに違いないわ……!」
ハトは羽で握りこぶしを作り、悔しそうにカウンターを叩く。ひいろはたじろぎそうになったが、逃げるわけにはいかない。
ぽん、と肩に手が当てられた。振り返るとハツユキが後ろに立っていた。
「人間たちを実際に見てみるのはどうでしょう。その方がくわしくわかって相談しやすい……と、考えているんでしょう? お任せ担当」
ウインクしながらいってきて、ひいろは慌ててうなずいた。意味はわからないが。
「そ、そうだよ!」
「それなら厨房へどうぞ」
ハトはすぐにイスから降りて、厨房に入った。ひいろも後に続いた。
ハツユキはひいろにグラウンドの場所を聞いてから水晶玉へ手をかざして、景色を映らせた。
ひいろが登下校中に通りすがるグラウンドだ。昨日はピピの念話を受けてからこうしたが、好きな場所を見ることもできるようだ。こちらの方が童話に出てくる魔法の水晶玉っぽい。おそらくこれも「必要以上に使わないのがマナー」なのだろう。
(そういえば、この玉ってどういう仕組みなんだろう。やっぱり魔法?)
ひいろが悩んでいるうちに、ハツユキは水晶玉の景色をアップにした。サッカー部のユニフォームに身を包んだ男子が何十人もいて、ボールを追いながら走る姿はかっこいい。
やがて、コーチらしきおじさんが笛を鳴らした。今日の練習は終わりらしい。
解散後、何人かいた女子が選手たちに『お疲れ様』といいながらタオルを手渡していた。マネージャーなのだろう。
「あの子よ、あの子……! カチューシャを付けてる子!」
ハトが羽で指さして、ハツユキが女子の一人を大写しにした。ジャージの胸もとには〈五年一組 市橋次子〉の名前。
(隣のクラスの子だ。こういうのやってるんだ)
次子はいそいそとタオルを渡していき、途中で赤くなりながら手を止めた。男子の一人に視線を結びつけている。見つめられている男子は、ユニフォームに〈三条幸也〉の名。背がすらっと高く顔も大人びているので、六年生だろう。
『ど、どうぞ。三条先輩』
次子が思い切ったようにタオルを差し出したとき、素早く割り込んできたものがいた。
『どうぞ三条君!』
『あ、ああ』
三条はたじろいだ顔になったが、新しく現れた女子は構わずにタオルを押しつけた。胸もとには〈六年一組 乾原
「ほらほら。とっとと他の部員にタオルを渡しなさい! 先輩命令よ!」
(先輩命令って何? すごく偉そうじゃん!)
ひいろはカチンと来た。美愛自身もまだタオルを持っていて、タオルを欲しがる部員は他にもいる。美愛に話しかける部員もいた。
『あの、俺にもタオル……』
ユニフォームに書かれた名前は〈鳥野金志郎〉。ひいろには見覚えのある顔だった。
(バネバネバと同じで親が迎えに来る六年だっけ。でもバネバネバの家とは違って……)
美愛は鳥野に振り返りもしない。引き気味の三条に、『今度デパートで買い物したいんだけどぉ。一緒に行かない?』などと話し続ける。鼻息もかなり荒い。
そのときには次子も寂しげに他の部員へタオルを渡し始めていた。鳥野は仕方なくポケットからタオルハンカチを出して汗をぬぐった。体格がいいせいで汗が多く、タオルハンカチも新しいものなのか汗を吸ってくれず、なかなかさっぱりできない。
「あの女、また横入りして……! ジャマネージャーよ!」
ハトがうなった。付けたあだ名は、邪魔をするマネージャーだからか。
「あの三条って子は、次子の方が合うの! サッカー以外にも、同じ趣味があるし! 両方とも友達と、『ミスターボールマン』とかいうものの話をしてた……!」
はやっているスポーツ漫画のことだと、ひいろはすぐにわかった。自分も好きなので、余計に次子へ協力したくなった。ハトは更に泣く。
「同じ趣味があるって話せば、もっと仲よくなれるはずよ! でも、いつもジャマネージャーが……! あたしは、次子に話しかけるきっかけをあげたいの!」
ひいろもそうしてやりたい。その反面、首をかしげたくもなっていた。
(きっかけっていっても、あそこまで強引に割り込んでくる人が簡単に引っ込んでくれるとは思えない)
とりあえず、ハトの頭の上を見ておく。
細長い草が浮かんでいた。真っ黄色で、途中からエンドウ豆のようなものがふくらみ始める。何房も集まって生えているので、豆同士の群れを作っているようにも見えた。やっぱり普通の姿ではなく、豆の色が青黄赤で信号機に似ている。
(あんなのどこにあるんだろう。KBで作るとか?)
ハツユキを見ると、壁の時計に視線を一瞬向けていた。あと少しで、ひいろがここに来て二時間たつ。
「このまま相談にお答えするのもいいですが、よりいい解決を見つける方法があるとしたらどうでしょう」
いきなりハツユキがハトに問いかけた。ハトは豆鉄砲を食らったような顔になる。
「どういうこと……? あの子たちをもっと調べてから、解決策を考えるって意味?」
「それに近いものがあります。お任せのクレープは、次にご来店いただいたときでどうですか」
「うまくいくんなら、そっちの方がいいけど……」
ハトは不思議そうにしながらもうなずき、ジャスミンティーの残りを飲んでから帰った。
「ひいろ、ハトの上には何が見えた?」
すぐにハツユキが問いかけてきて、ひいろは見たもののことを思い返した。
「えっと、信号機みたいなエンドウ豆が黄色い草に生えてた」
「なるほど。スミ、ちと調べてみてくれ。図鑑で見た覚えがある。アーデルハイトの昔話にもああいう相談があったはず」
スミは無言で皿洗いを中断し、本棚から本を一冊取り出してめくり始めた。〈魔法の素図鑑〉と表紙に書いてあり、かなり古びている。ハツユキは水晶玉に映った景色を動かして、グラウンドを隅から隅まで見渡す。
「魔法の素は人間界の感情から影響されてケモノ界に発生する。あの子たちの願いもケモノ界に流れてきているから、それをカバーするものがあそこにある可能性は非常に高い」
しばらくして、景色を止める。
「あったぞ」
「ありました」
ハツユキとスミの声が重なった。サッカーゴールの後ろ、そしてスミが開いたページに、ひいろの見た植物がある。ハツユキは嬉しそうな顔をした。
「ルイトモルイボス……効果は、同じ趣味を持っていると気づかせること。魔法をかけるとき、誰に対してそうなるのか決めて念じればいい」
「つまり、三条先輩にその魔法をかければ市橋さんと同じ漫画が好きって気づく?」
「そういうことだ。せっかくだからクレープの魔法の使い方について話しておくか」
「ハトにクレープを食べさせるんじゃ……でも、魔法をかけたいのは三条先輩だよね」
「そのとおり。料理の魔法を使う方法は二つあるんだ。まず、食わせた相手に直接魔法をかける方法。昨日やったのがそうだな。もう一つは、誰かに食わせて魔法を使わせる方法。今回はそっちだ。あのハトにクレープを食わせて、人間に魔法をかけさせる」
ハツユキは、なつかしそうな様子だった。
「ケモノビトにはこんな昔話がある。おにぎりの魔法を使うケモノビトが仲間とピクニック中に猛獣から襲われて、大人しくなる魔法でどうにかしようとした。そこで大人しくなるおにぎりを仲間に食わせて魔法を使わせたが、効果が出なかった」
うどんやどんぶりでもいいといっていたのは、本当だったのかもしれない。
「そこで大人しくなるおにぎりを猛獣に直接食わせて魔法をかけると、効果が出て助かった。ここからわかることがあるな?」
「えっと、ピクニックの場所は危なくないところがいい?」
「お前頭いいな! だが、他にもあるだろう」
ハツユキは肩をすくめる。
「魔法は誰かにかけさせるより自分でかけた方が強い。効果が大きかったり、効果時間が長かったり」
「三条先輩に魔法の素入りクレープを食べさせた方が強い効果になるの? でも、三条先輩はケモノ界に来られない。だから食べられないよね」
「そうだな。どのみち、そこまでしなくても相手が小学生くらいならうまくかかるだろう」
ハツユキは図鑑のルイトモルイボスを指で叩いた。
「魔法の素は、相談に使わなくなった今じゃクレープの材料みたいに注文して持ってきてもらったりできない。だから俺たちで採りに行かないといけない。明日、店を開ける前に採ってくるか」
ひいろは、図鑑がかなり古びていると気づいた。今のケモノビトは魔法の素について調べないので、図鑑も古いものしかない。
「あたしが今から採ってこようか? すぐ近くだし、行き慣れてるし」
ハトにも「しばらく待っていてください」といえばよかった。ひいろはそんなことも考えたが、ハツユキはまた時計に目をやっていた。
「そういうわけにはいかない。人間界のやつが魂だけでこっちへ来ていられるのには、時間制限がある。実体化しているだけでも精神力を使うからな。お前もそろそろのはず」
ひいろは、ふらつく感じがあると今ごろ気づいた。魔法を使った後と似ている。
「長居しすぎると、人間界に戻ってからも具合が悪い。魔法の使いすぎも同じのはずだ。無理せず明日の昼過ぎにみんなで行くぞ。ひいろも明日は土曜日で休みだろう」
「みんなでお出かけって思うと、楽しそうだね!」
ムギもはしゃいでいた。ただ、スミは冷淡な目でハツユキを見ていた。
「ハツユキ、もしかするとあそこには……」
「だとしても、早いうちにいろいろ経験させておくべきだ」
ハツユキがそういうと、スミは口を閉ざした。
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