5 目覚めよ魔力

 点滅していたものは、占いに使いそうな水晶玉だった。ハツユキはそれに近づいて、手のひらをかざす。

「はい、〈まじしゃんずきゃっと〉です」

 発した言葉は、電話に出たときそのもの。

 点滅が止まって、映ったものがあった。占いよりもずっと不思議な現象で、ひいろは駆け寄らずにいられなかった。

 水晶玉の中に部屋が見える。ピンク色の壁紙とモコモコカーペットの部屋だ。ところせましと置かれているぬいぐるみには、ひいろが持っていない人間大のものもある。

 ベッドの上に女の子が寝転がっていた。ひいろはそれが誰か気づき、ムカムカしてきた。

「バネバネバの部屋が映ってる?」

「あの犬と話しているときから思っていたが、やっぱり知り合いか。すごいあだ名だな」

「あたしが付けたんじゃないよ?」

 ハツユキへ即座に答えたひいろは、水晶玉の向こうでぬいぐるみが動いたと気づいた。

 それだけは普通の動物だったようで、あくびと伸びをする。リボンをいくつも付けられたその姿は、間違いなくここでクレープを食べていたピピだった。

番号って、もしかして念話でかける電話の番号なの? あの番号を念じるとか」

「そういうことだ。念話が使えない人間には操作できないけどな」

 ハツユキが「理解が早くて助かるぞ」と嬉しそうにつぶやいているなか、ひいろは水晶玉を見つめた。水晶玉の中にいるバネバネバはつまらなさそうな顔でゴロゴロしていたが、ピピが目を覚ましたと気づくなり起き上がった。

『ピピくーん! おめめ覚めたんでちゅかー?』

 ひいろの前では使ったことのない、甘ったるい言葉づかいだった。

『口をもぐもぐさせて、おいしいものを食べてる夢でも見てたんでちゅか?』

 ピピはバネバネバにしっぽを振る。相変わらずちぎれんばかりの勢い。バネバネバはピピの頭をなでて、勢いを更に上がらせる。

『パパはお仕事で朝までいないし、何をちまちょうか? やっぱり美容師さんごっこ?』

 小五にもなってそれはないと、ひいろはいいたかった。バネバネバは机に駆け寄って引き出しからリボンを何本も取り出し、ピピのそばに座る。

『お客様、今日はどのようにいたしましょう。これはいかがでしょうか』

 ピピが大人しくお座りしているのをいいことに、リボンをあちこちへ結びつけていく。

 リボンはバネバネバが切ったもののようで、長さがまちまちだった。バネバネバは長めのリボンだとうまく蝶結びにするが、短めのリボンだと固結びにしてしまう。色や模様がバラバラなのは、ああして後から付け足しているせいだ。

 ピピはカウンターでこぼしたとおり迷惑に思っているはず。一方、バネバネバはあまりにも無邪気な笑顔だった。学校での高飛車な顔とは違いすぎる。

(家ではあんな感じだったんだ)

 ひいろは呆気に取られたが、染み出してくるような疑問を感じた。バネバネバがだんだん沈んだ顔になって、ついに手を止めたからだ。

『ママがいれば、もっと寂しくないのに……』

 ハッとした顔になって、自分の頬を両手でパンパンと叩く。

『駄目よわたくし! そんなことをいったら、ママが天国で心配します!』

 ひいろは息をのんだ。

(そういえば、引っ越してきてからバネバネバのお母さんを見てない)

 離れている間に何かあったとしてもおかしくない。

『わたくしは元気でいなければならないんです! 一人ぼっちでも!』

 バネバネバの言葉を聞いたひいろは、胸がざわつくように感じた。

(あたしのことが噂になってないのは、いいふらす友達がいないからだ)

 ぐるぐると、心がうずを巻く。

(バネバネバの態度はむかつく。それは絶対に変わらない)

 ひいろへ一方的に話していたのも、どうにか仲よくできないかと的外れの努力をしていたからかもしれない。だとしても、ひいろからすれば腹立たしいだけだ。

(でも、寂しいのはかわいそうだ)

 寂しさがつらいことは、ひいろもよく知っている。

(ほっとくのは、何だか落ち着かない)

 そう考えたところで、ひいろは自分のポケットに視線を引きつけられた。

 中で光るものがあり、恐る恐る手を入れる。取り出したブレスレットは七色に輝いていた。

「そういえば、ベッドにあったのを持ってきたんだっけ。これ、どうしちゃったの?」

「お前が優しいから、かもな。さっきのあだ名から察するに、あの子とは仲が悪いんだろう。それなのに心配そうな顔で見て」

 いきなりハツユキにいわれて、ひいろは息が止まるような気分になった。ハツユキは満足げな顔をするばかり。

「そいつが反応しているのなら、やっぱりクレープの魔法を使えるはずだ」

「魔法……クレープの?」

 ひいろは意味をつかめなかった。ハツユキは強気な表情で笑う。

「お任せのクレープにオンガエシツルクサの実を入れただろう。あれは魔法の素。魔法の効果を発揮するためのものだ」

 漫画やアニメに出てくる不思議な食べ物が、ひいろの頭に浮かんだ。食べることで暗記ができるパンとか、猛獣でもなつかせるキビダンゴとか。

「あのクレープも不思議な力を持ってたってこと? どういう魔法なの?」

「いっただろ、百聞は一見にしかずと。まず、そのブレスレットを両腕にはめるんだ」

 ひいろはいわれたとおりに付けてみて――その途端に、ブレスレットが姿を変えた。

 厚手の手袋ができあがった。デザインは普通でなく、猫の手だ。肉球まで付いている。銀を思わせる灰色の毛並みで、ひいろは外国の猫を想像した。

 眺めているうちに別の感覚が生まれた。耳と腰がムズムズする。手で触ってみると、顔の横にモコモコしたもの。腰には細長いもの。ひいろは腰のものをたぐり寄せてみて、声を上げずにいられなかった。

「しっぽ?」

 ハツユキが鏡を向けていて、顔の横に付いたものを見るなりまた驚いた。

「灰色で三角で……耳まで猫に?」

 ハツユキは水晶玉を指先でコツコツつつく。

「魔法のクレープを食ったもの……今は目の前にいないから本人の映像でいい。それに右手を向けて、唱えるんだ。『目覚めよ魔力』と」

 ひいろが聞いたこともない言葉だった。何語なのかもわからない。

「それで、あの犬の悩みが解決に近づく」

 ハツユキのいっていることは、相変わらず意味がつかめない。それでもひいろは教えられたことをやらないでおこうと思わなかった。

(どうして猫なのか、わかるかもしれない)

 ひいろは水晶玉に右手を向けた。ムギはわくわくした顔で見つめてきていて、スミもじっと様子を見ている。

「さあ、『目覚めよ魔力』だ!」

 ひいろはハツユキがもう一度発した言葉を頭の中で繰り返し、口を開いた。

「目覚めよ……魔力!」

 途端に、ひいろは体から力が抜けたように感じた。満腹の状態からいきなり空腹になったらこういう気分かもしれない。

(そういえば、漫画とかに出てくる魔法使いは魔法を繰り返し使うと精神力がなくなって疲れてるな)

 いろいろと考えていられなくなった。ひいろの手袋から光があふれ、水晶玉に移った。

 光が消えると、水晶玉の中でピピが身を伏せた。ぶるぶると震え、光に包まれる。

『どうしたのピピ君?』

 バネバネバは腰を抜かした。光がふくらみ、静まったときには人の姿があったからだ。

 優しげな少年。中学生くらいの背丈で、白い服をゆったりとまとっている。

『誰? あなた……ぷ、あははは!』

 バネバネバが笑ったのも仕方ない。現れた少年は頭にいくつものリボンを付けていた。アニメのクールキャラのごとくきれいな銀髪なのに台なしだ。

『それ、変!』

『もう、ネネちゃんが付けたんですよ?』

 少年が頬をふくらませると、バネバネバは少しずつ笑いを静めていった。

『そんなのを付けているのは、ピピ君だけ……あなたはピピ君なんですね』

 呼吸を整えながら、少年の姿になったピピを見つめる。

『でも、どうしてこんなふうに。普通の犬だと思っていましたけど』

『普通の犬です。きっと優しい魔法使いさんがこうしてくれたんです』

 バネバネバは、ぽかんとした。そうしているのは魔法をかけたひいろも同じ。

「ああいう姿になる魔法だったの? もっとはげませたら、犬じゃ限界があるから、って思ってたから?」

 ハツユキは楽しそうにうなずく。

「正確には『人間の姿で誰かへ会いに行かせる』という効果。それがオンガエシツルクサの中にあった力だ。会う相手がすぐそばにいたから、会いに必要はなかったが」

 ピピは、驚いて座り込んでいるバネバネバのそばにひざを下ろした。

『ずっとこうしていられるわけじゃないはずです。だから今のうちに話しておきます』

 寂しげに告げて、バネバネバに息をのませる。

『ネネちゃんは一人じゃありません。僕だって一緒にいます』

『あなたは知らないかもしれませんけど、学校でのわたくしは……』

『ひいろちゃんだって、もっと優しくしてあげれば仲よくしてくれるかもしれません』

 もしかすると、迎えに来たピピがバネバネバにキャンキャンいっていたのも空気を読みながら話すように伝えたかったからではないのか。ひいろはそんな気がしてきた。

 バネバネバは、おびえた顔をする。

『わたくし、いつもあの子にさけられているんですよ? きっと嫌われています』

『じゃあ、どうすれば好きになってもらえるか考えるんです。ネネちゃんにもできます』

 ピピは飼い主の頭を胸に抱き入れた。

『だから、勇気を出して』

『ピピ君……!』

 バネバネバはピピに抱きしめられながら涙ぐんだ。すすり泣きを少しずつ高めて、しゃくり上げるほどになる。ひいろはバネバネバのこういう姿も見たことがなかった。

 ピピはバネバネバの頭をなでてから顔を上げた。水晶玉の前にいるひいろと目を合わせる。動物には見られているのがわかるのだろう。

『ありがとうございます』

 ひいろはその言葉が自分に向けられたものだと気づいて、鼓動を高めた。

 今まで、できるだけ目立たないように暮らしてきた。だから人と関わるのも最低限度で、誰かに感謝されることもあまりなかった。

 それなのに、ピピからお礼をいわれた。たかが犬、などとひいろには思えなかった。嬉しさがふくらんでいく。

「喜んでもらえてよかった」

 いつの間にか肉球手袋はブレスレットに戻っていた。猫耳しっぽもなく、辺りを見るとムギが興奮してしっぽを振っていた。

「すごいよひいろ! あんな魔法を使うなんて!」

 スミは黙ったままだが、驚いているのは顔を見ればわかる。ハツユキは強気そうな笑みを浮かべていた。

「あの調子だと、飼い主の子は泣き疲れて寝そうだ。起きたころには魔法が切れていて、夢を見たと思うだろうな」

 犬が人間になるなど、普通はありえない。魔法が切れた後で夢だと疑うのは当たり前。

 しかし、魔法の効果と共に何もかも消えてしまうのではない。ひいろはそう感じていた。

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