4 お任せのお客さん
メダカたちは四人用テーブル席に座って、ムギがクレープと飲み物を運んだ。
ひいろは質問の答えをくわしく聞きたかったが、ハツユキはなかなか厨房から出てこない。他の動物も客として現れたので、クレープを次々焼いているのかもしれない。
ひいろは待たされても暇と思わなかった。食べに来た動物たちを見るのが楽しい。
またドアが開いて、新しい客が来た。その姿を目にしたひいろは不思議に感じた。
白いプードルで、全身にリボンをいくつも付けられている。あれほどリボンまみれの犬は一匹しか知らない。
(バネバネバに飼われてるピピ君?)
頭の上に浮かんで見えるものも、車で去っていったときと同じ。白いアサガオがツルにいくつも咲いている。
(ピピ君にしては様子がおかしいような)
ひいろが知っているピピは、バネバネバのそばでキャンキャンはしゃぐばかり。今のピピは、ため息をつきながらレジの前に立つ。ムギは明るく対応した。
「こんにちは! 何にしましょう!」
ピピは落ち込んだ様子のまま。差し出されたメニュー表を見もしない。
「お任せで、お願いします」
高めの声で答えて、ポシェットからピンク色の玉を出す。辺りの話し声が小さくなった。
「少々お待ちください」
ムギは声のトーンを落としながら玉を受け取って、インカムのマイク部分にささやく。
「お任せよろしく」
すぐにハツユキが厨房から現れた。ひいろに近づいて、耳もとにささやきかけてくる。
「少し頼まれてくれ。俺は料理、スミは皿洗い、ムギはレジで忙しいから、今来た犬の話を聞いてやるんだ」
「話って?」
「ケモノビトの店でお任せと頼んでカウンター席に座るのは、店員に相談したいことがあるって意味でな」
店内を見渡すと、ピピはカウンター席に腰かけてうなだれていた。
「どうしてお客さんが店員さんに相談を?」
というかあたしは店員じゃないだろうと、ひいろはいいたかった。ハツユキはそんな疑問すら持っていない様子。
「俺たちケモノビトは人間と動物の中間っぽい姿をしているから、人間に関する相談をされる場合がある。それもケモノ界に来ないとできないことの一つだ」
ひいろは納得できない部分もあったが、断わる気は起きなかった。
(犬と話せるなんて、普通じゃありえない)
動物好きとしては逃せない機会だ。
(第一、いつもはしゃいでるピピ君が落ち込んでるなんて心配だ。腹が立つバネバネバのペットでも、バネバネバ本人じゃないんだし)
それにレジからムギが、厨房からスミがこちらをじっと見ている。特にムギは期待のこもった視線なので、余計に断わりにくい。だからひいろはハツユキにうなずいた。
「相談ってほどのことができるとは思えないけど、とりあえず話を聞くだけなら」
「じゃあ、こっちに来てくれ」
ハツユキは嬉しそうに笑って、ひいろをカウンターの内側へ連れていった。自分だけ厨房に入り、お盆に乗せたティーカップを持ってきた。
「まず、これを出してやってくれ。ジャスミンティーだ。気分が落ち着くといってあげながらな」
たしかに、カップに注がれたお茶はいい香りの湯気を漂わせている。
「う、うん」
ひいろはお盆ごと受け取った。お盆でお茶を運んだことくらいあるのに緊張する。心の中でやり過ごしながら、悲しげなピピの前にカップを運んだ。
「ど、どうぞ。ジャスミンティーです。えっと、気分が落ち着きます」
「ありがとうございます」
ピピはカップを手に取り、静かに一口飲んだ。ため息をつきながらソーサーへ戻す途中で顔を上げて、目を見開く。
「え……ひいろちゃん?」
ずっとテーブルを見つめていたせいで、カウンターの先にいるのがひいろだと気づいていなかったようだ。
「ひいろちゃんがここに来られるとは思いませんでした」
(あたしだって、こんなことができるとは思ってなかったよ)
ひいろはその言葉をこらえた。相談相手が「たまたまいただけの人」だと知ったら不安になりそう。ただでさえピピはひいろを見てから視線をあちこちに落ち着きなくさまよわせているのだから、動揺させればもっとひどくなるはず。
「あの……いつもネネちゃんがご迷惑をおかけしてすみません」
『ネネちゃん』といわれたひいろは、バネバネバのことだと気づくのに時間がかかった。ここのところずっとあだ名の方で考えているせいだ。
「だ、大丈夫。もう慣れてるし」
かなり怒っているが、ピピがあまりにも落ち込んでいるのでそう答えざるをえなかった。
「そんなことより、悩みがあるんだって?」
「はい……そのネネちゃんのことで」
(もしかして、ピピ君もバネバネバに怒ってるとか?)
ピピがいつもどおりにリボンまみれなので、ひいろはそう思わずにいられなかった。しかしピピは怒った顔などしない。
「実は、ネネちゃんってすごく寂しがり屋なんです。なのに、友達ができなくて」
「そうなの?」
ひいろから見れば、バネバネバはいつも好き放題にしゃべって高笑いしている子。あまりにも偉そうで、友達を必要としているように思えない。ひいろがそういう気持ちを顔に出してしまったのか、ピピはうつむいた。
「ネネちゃん、みんなと仲よくするきっかけをつかめないんです」
「いつもの態度は空威張りだっていうの?」
ひいろは鼻で笑いたいのを我慢した。いわれたとおりだとしても、毎日つつかれている側からすればいい迷惑だ。ピピは申し訳なさそうな顔をして、寂しげにうつむく。
「僕がもっとネネちゃんと一緒にいて、寂しくないようにしてあげられたらいいんです。でも、犬の僕じゃ限界があります。せめて、はげますだけでもできたら……」
「どうして、そこまで思うの?」
ひいろはピピの体を見つめた。きれいな蝶結びのリボンなら、すぐほどける。しかし固結びのリボンを外すには毛ごと切るしかない。ピピは自分のリボンを見て悲しげに笑った。
「これですか? ひいろちゃんも気づいているかもしれませんけど、毛が引っ張られた感じで動きにくいです。木の枝とかに引っかかってブチッと痛いときもあります」
何度目かのため息。やっぱり苦労はしている。
「僕がそういう目にあうのはいいんです。ネネちゃんが楽しんでくれるなら……それが僕の、飼い犬としての役目ですから」
「ピピ君は、自分よりもバ……ネネちゃんの方が心配なの?」
ピピは真剣そうにうなずいた。ひいろは感心しながらピピを眺めて、目を見張った。
頭の上に浮かんだアサガオが、変化し始めている。
花びらがしぼんで、緑色のかたまりが残る。ひいろは茶色くなってタネをこぼし始めると想像したが、全然違った。
ふくらみながら白く染まる。ヘタの周りだけは赤く、ひいろは変なメロンだと思った。
(たしかにアサガオもメロンもツルがあるけど、アサガオからメロンになるなんて変すぎ……おかしいのは前からか。それにしても、上に見えるものがこんなふうになるなんて今までなかった)
「ひいろちゃん、どうにかならないでしょうか」
話しかけられたひいろは、慌ててピピ自身に顔を戻した。
(ピピ君がいったとおり、犬じゃはげますのに限界がある。どうにかっていわれても)
背中をつつかれた。振り返ると、ハツユキが厨房から手招きしていた。
ひいろはピピに「ちょっと待ってて」と断わってから厨房に入った。中ではスミが無言で皿を一枚一枚ふいていて、ムギがわくわくした目でひいろを眺めている。
(忙しいっていってた割りに、のんびりしてるような)
「どんな相談だった?」
ハツユキはひいろの疑問など考えてもいない顔で問いかけてきた。ひいろはピピの話を振り返ってみた。
「飼い主が寂しがり屋だからはげましたいとか。でも犬だからそこまでできなくて……今みたいな感じで飼い主に話しかけられたらいいのに」
「残念だが、動物が自力で魂を実体化させたりしゃべったり読み書きしたりできるのはケモノ界にいるときだけだ。それで、あの犬の上に何が見える?」
ひいろは、ハツユキに何を尋ねられたのか理解できなかった。
「何、って……?」
「何が浮かんでいるのかと聞いたんだ。スズメの話だと、見えるものがあるんだろう」
ハツユキが語り始めて、ひいろはドキリとせずにいられなかった。
「学校帰りのお前を見ていたスズメがいてな。そのスズメは俺たちが前の場所でやっていた店によく来ていて、ひいろは俺たちがずっと探していた人間だと気づいた。だから仲間と協力してお前の家がここだと調べてくれて、俺たちは引っ越してきた。ちょうどケモノ界側では店を誰も使っていなく、二階に空き部屋があって住みやすかったしな」
(あたしをずっと探してた?)
ひいろは胸を高鳴らせ、反射的に追い払った。
「えっと……上に何があるかだっけ? あの子の上には、白くて縁の赤いアサガオが見えてた。でも今は、変なメロンになった。白くて、ヘタの周りだけ赤くて……」
「そこまでくわしくわかるとはな」
ハツユキは感心し、ムギは「本当に見えるんだ!」とはしゃいでいた。無表情だったスミですら、驚きを瞳に映す。ひいろは動揺をごまかすように厨房を眺め――棚が視界に入るなり目を見開いた。
「そこにあるのと同じ!」
「オンガエシツルクサの実のことだったか」
ハツユキは棚に置いてあったメロンを手に取った。そう大きくなく、リンゴくらい。大事なものなのか、わざわざクッションに乗せていた。
「あたし、物心ついたころからからずっとそういうのが見えてて……どうしてなのかわからなくて……」
「百聞は一見にしかずだ」
ハツユキはオンガエシツルクサの実を洗ってからまな板に乗せた。
「これを取るのには苦労した。縁起担ぎのためだったが、もう十分だ」
包丁で切る。食べる部分は白く、ハツユキはそのいくらかを細かくきざむ。
「お前が動物の上に見ているものは、動物それぞれが求めているものに関係している」
「食べたいものってこと?」
「いや、悩みを解決させるために必要なものだ。カゼを治したい動物がカゼ薬を欲しがっているとしたら、カゼ薬の材料だな」
ハツユキは、大きなナベに入れていたものを丸くて平たい金属板にお玉一杯分出した。黄色くどろどろしていて、竹トンボに似た道具で丸く薄く広げる。
「クレープの生地を焼くの?」
「正解だ」
薄いお陰で焼けるのは早かった。ハツユキはヘラで生地を裏返して、上になっていた面を手早く焼いてから調理台へ移した。軽やかで流れるような手つきに、ひいろは見入ってしまった。
ハツユキは、生地が焼けるまでの間に冷蔵庫から取り出していた生クリームをマヨネーズのようにチューブから出した。7の字に似た形を描く。
次にいくつかのイチゴを薄く切って、生クリームの上に並べる。きざんだオンガエシツルクサの実も、イチゴの隣に配置。
最後にくるくるとまとめる。生クリームの7に沿って生地を折り曲げていた。最後に下部分をロゴ入りの紙とビニールで包んで、コップに挿す。
「さあ、持っていってやれ」
ハツユキは完成したクレープをコップごとひいろに差し出した。ひいろは受け取って眺めてみたが、自分が食べたクレープと変わりないように思える。コップはジュースや牛乳を飲むときに使うものよりどっしりしていた。軽いとクレープの重さで倒れてしまうからだろう。
「とりあえず、持ってくね」
ひいろが厨房から出たとき、カウンター席に座ったピピは最初と同じようにうつむいていた。しかしひいろがクレープをそっと置くと、少しだけ明るい顔になった。
「おいしそう……いただきます!」
他の動物と同じく、前足で器用に持って食べ始めた。
「土地から土地へ移りながら営業する〈まじしゃんずきゃっと〉のクレープはおいしいと聞いていましたけど、噂以上ですね!」
ピピは一口食べるごとに笑顔を強くして、クレープがなくなったときには最初よりもずっとまともな顔だった。
「ごちそうさまでした。これはクレープ代です」
ポシェットに手を入れて、小さな玉をひいろに差し出す。ひいろは受け取りながらそれとなく観察した。これもピンク色で、つやつやしている。重さはほとんど感じない。
(やっぱりお金なのかな)
「ありがとうございます、ひいろちゃん。それで、ネネちゃんのことは……」
すぐさまハツユキが厨房から出てきて、ピピにカードを手渡した。
「ご主人様と一緒のとき、この念話番号に連絡してください。そうすれば大丈夫です」
(電話番号? ネンワっていったような)
ひいろがカードを見ると、〈01419※※〉と印刷されていた。
「よくわかりませんけど、連絡させていただきます」
ピピがお辞儀しながら帰っていって、ハツユキとムギは「ありがとうございました!」といいながら見送った。ひいろはつられて「ありがとうございました!」といってしまってから、ピンク色の玉をハツユキに渡した。
「クレープ代らしいんだけど。これ、最初にレジでもらってなかった?」
「あっちはお茶代だ。お任せは飲み物とクレープのセットで、クレープを食べてから残りを払うことになっている」
カウンターを出たハツユキはレジのお金入れを開けて、玉を落とした。金額が表示されるところに〈500〉と映る。
「先にまとめて払ったら駄目なの?」
ひいろには、ファーストフード店のハンバーガーセット代を二回に分けて出すような面倒臭いことにしか思えない。カウンターに戻ってきたハツユキは、少しだけばつが悪そうな顔をした。
「習慣的に分けている、という部分もある。後から払う分は相談に答えたことへのお礼の意味も含む、といっておくか」
「あたし、どうしたらいいか答えてないよ?」
「そうだな。とりあえず今は連絡を待っていてくれ」
ハツユキが店内を見渡して、ひいろも同じようにしてみた。客はピピと話している間に減っていて、年寄りっぽい物腰のテリアが二人用テーブル席でくつろいでいるだけ。
そう間を開けず、厨房から電話の鳴る音が聞こえてきた。
ひいろはとっさに厨房をのぞいた。〈ビューティフルスカイ〉に元からあるファンシーな電話は着信があるとあちこち光るが、今は何も起きていない。
その代わり、電話の隣にあるものが点滅していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます