3 まじしゃんずきゃっと
店内には、五人まで座れるカウンター席と二人・四人用テーブル席が数脚。流れているものは明るい音楽。入り口のそばにはレジと観葉植物が、片隅にはマガジンラックがある。天井ではヘリコプターのプロペラに似た換気扇が回っている。
そういった風景は〈ビューティフルスカイ〉と変わらないのに、客がおかしい。
まず、犬。シェパードとチワワが二人用テーブル席に座っている。シェパードはひいろよりも随分大きく、チワワは小学生の低学年くらい。それぞれの前にはコップが二つ並んでいて、一つはアイスコーヒー入り。もう一つはクレープが挿してある。
四人用テーブル席にいるのは猫四匹。ひいろと同じくらいの大きさで、オレンジジュースやコーラの入ったコップを持っている。
二人用テーブル席のハトたちは猫よりも一回り小さい。翼を大きな手のように使ってクレープをつかんでいた。
「人間だ……」
チワワがひいろを見ながらつぶやいて、他の動物もざわつき始めた。
「本当にこっちへ来られる人間がいたのか!」
「私、初めて見たわ!」
しゃべっているのは、間違いなくひいろがわかる言葉。
「……一体、何なの?」
ひいろがようやくつぶやいたとき、カウンターの内側にある厨房から出てきたものたちがいた。動物たちと違い、人間の目鼻だ。
「〈まじしゃんずきゃっと〉へようこそ!」
話しかけてきたのは先頭の青年。年ごろは店の前をよく通る高校生くらい。瞳は活力にあふれ、背はひいろよりもずっと高い。デニムとシャツの上にエプロンを付けている。
「普通の人がいたの? いや……」
ひいろは自分と違うところに気づいた。長い髪から飛び出した耳も長い。白く、学校の飼育小屋にいる動物と同じ。
青年の耳はウサギのそれだった。よく見ると、目もルビーのように赤い。ウサギ青年はひいろが驚いていることに構わず話し続ける。
「お前はひいろだな? 俺はこっち側で店長をすることになったハツユキ。ウサギ男だ」
ひいろは何から突っ込んでいいかわからず、口をぱくぱくさせてしまった。ハツユキとやらは、ひいろがそんな状態でも堂々とした様子を崩さない。
「心配しなくても、そっち側で働いている親には迷惑をかけないぞ」
「そうじゃなくて、ウサギ男って……?」
ひいろはそう問いかけるので精一杯だった。ハツユキは笑いながらうなずく。
「人間にもオオカミ男の伝説があるだろう。満月を見てオオカミに変身する男のことだ。俺たちはそうやってころころ姿を変えたりせず、いつも人間と動物を混ぜ合わせた姿でな」
身を返して、背中を見せる。正確には腰を見せたのだとひいろは気づいた。
青いデニムから綿のようなものが出ている。ウサギのしっぽだ。
「あっちは俺の仲間だ。ここで働いてくれている」
ハツユキはまたひいろに身を向けて、立てた親指で後ろの二人を示した。
片方は、ひいろよりも頭一つ分近く背が高い少年。感情に欠けた目をしていて、短く切った髪から飛び出しているのは黒く三角の耳。腰の後ろにはカールしたしっぽ。ひいろは動物雑誌で見た秋田犬を思い出した。
「そいつは犬男のスミ」
「初めまして」
スミという少年はきれいな動きで頭を下げた。ひいろは同じようにして返した。
その隣にいる少年は背がひいろよりもいくらか小さく、顔立ちも幼げ。興味津々のまなざしをひいろに結びつけている。
「僕、タヌキ男のムギだよ! よろしくね!」
たしかに耳やしっぽが茶色っぽく、丸みを帯びている。動物園にいるタヌキと同じだ。
「人間のことを教えてよ! 人間って耳がモコモコしてないけど、冬は寒くないの?」
「え、えっと……そういうこともあるけど……」
「やっぱり! じゃあ、夏は涼しいの?」
ひいろは耳をモコモコさせたことがないのでどうともいえない。困っていると、スミが間に入った。
「趣味が人間観察なのでいろいろ質問したいのはわかりますが、そのくらいにしておくべきです。困らせているでしょう」
「ちぇっ。ひいろ、また教えてね!」
ムギは残念そうに引き下がった。ハツユキは快活な笑みでひいろを見ていた。
「俺たちはケモノビト。よろしく頼むぞ」
獣と人を混ぜ合わせたような生き物なので、ケモノビト。ひいろは戸惑うことしかできないままで三人を眺めた。
姿も様子も違う三人だが、同じものを身に付けていた。右耳にイヤホンのようなもの、そして口のそばに伸びた小型マイク。ファーストフード店などで使われるインカムだ。エプロンもおそろいで、マークはしっぽの長い猫。
(店の名前が『まじしゃんずきゃっと』でマークも猫なのに、猫はいないんだ)
見たことのある印だということにも、ひいろは気づいた。ハツユキはひいろがあれこれ考えていることに構わず、肩を押して二人用テーブル席に進ませる。
「あっち側の持ち主の娘なら、ここの持ち主も同然だ。お金はいらないから何でも食ってくつろいでくれ」
そのままの勢いでひいろをイスに座らせ、メニュー表まで差し出してきた。
たくさんのクレープが写真付きで載っていた。果物や生クリームが入ったものも、ツナサラダやウインナーが入ったものもある。ジュースやコーヒーも種類が多く、アイスクリームも何種類か注文できるようだった。
写真や名前はひいろが知っている食べ物と同じだが、数字の辺りがおかしかった。イチゴ&生クリームは三百九十KB、コーラは二百五十KB、という具合。壁にも〈クレープとセットの場合、飲み物が百五十KB!〉というはり紙がある。
(KBって何? カバ? 円みたいな、お金の単位?)
ひいろが悩んでいると、ハツユキはおどけるような顔をした。
「クレープは嫌いか?」
「そうじゃなくて……じゃあ、このバナナ&生クリームを」
「飲み物はどうする?」
「えっと、コーラを」
「かしこまりました」
ハツユキたちが厨房に引っ込んでいって、ひいろはまた店内を見渡してみた。犬や猫は、今もちらちらとひいろを眺めている。
「あの人間、どうして笛を持っているんだろう」
「芸として演奏するつもりなのかも」
ひいろは自分がリコーダーを握りっぱなしだったと気づき、腰と背もたれの間にそれとなく置いた。
「バナナ&生クリームとコーラお待たせ!」
やけに明るい声が聞こえて、ひいろは驚いた。厨房から出てきたムギが、クレープとコーラ入りのコップをひいろの前に並べる。
「食べてみてよ。ハツユキのクレープは、僕たちが住んでた村でも最高だったんだから」
「う、うん」
ひいろはどうにか返事をして、厨房に戻っていくムギを見送った。何やら喜んでいるようで、しっぽを犬のごとくバタバタ動かしていた。
(クレープもらっちゃったけど、大丈夫なのかな)
ひいろはクレープを手に取って、まじまじと見つめた。黄色い生地と、白い生クリーム。中からのぞくバナナ。見た目は普通のクレープと変わらない。
巻いてある紙は、エプロンと同じマーク入り。先の辺りをビニールで二重にしているのは、クレープの中身がもれても垂れたりしないようにするためだろう。
ひいろはクレープの端にかじりついてみた。もぐもぐとかんで――
「おいしい!」
生クリームは甘すぎず、生地にも甘味があるのでちょうどいい。バナナもとろりとして生クリームや生地とよく合う。ひいろは巻いてある紙を破きながら食べ進めた。店によっては生クリームが少しだけだったりするが、このクレープは先まで生クリームぱんぱん。
ひいろはあっという間に一本食べ終えた。ハッとして辺りを見ると、犬たちが「いい食べっぷりだったな」と話していたので恥ずかしくなった。
(だっておいしかったんだし!)
ごまかしながら、コーラをストローで飲んでみる。こちらは普通の味だった。
ドアがチリンチリンと鳴りながら開いた。ひいろは入ってきたものたちを見て、コーラをぴゅうっと吹きそうになった。
スズメ数羽。ひいろが普段見ているものよりずっと大きく、幼稚園児くらい。こちらを見て「お、来てる」とつぶやくスズメもいて、ひいろは聞いたことがある声だと気づいた。
(ベランダにいた鳥? 夜でもこうしてるってことは、鳥目とか関係ないんだ)
スズメたちがレジの前に並んで、ムギが厨房から出てきた。
「今行きます!」
ひいろをちらちら見ながらレジの内側に入る。やっぱり嬉しそう。
(あ、踏み台使ってる。気づかなかったことにしてあげた方がいいかな)
「何にしましょう!」
ムギが先頭のスズメにメニュー表を渡しながら問うと、答えはすぐにあった。
「イチゴ&カスタードを、ブレンドコーヒーのホットとセットで」
「かしこまりました!」
よく見ると、ムギが操作し始めたレジは〈ビューティフルスカイ〉で使われている新品レジと違う。もっと使い込まれているようだ。
「二点で五百四十
金額が表示されるところに〈-540〉と映った。
スズメが手というか翼を動かしたものは、たすきがけにしているポシェット。羽を指のように使って開けて、ビー玉と似たものを取り出す。ピンク色でキラキラしていた。
ムギはそれを受け取って、レジのお金入れに落とした。表示されていた〈-540〉が〈0〉に変わる。
「たしかに五百四十KBいただきました! ありがとうございます!」
インカムのマイク部分を口に近づける。
「イチゴ&カスタードとブレンドのホットをよろしく!」
最後にスズメへもう一言。
「お持ちしますので、お好きなお席でお待ちください!」
そのスズメは四人用テーブル席へ歩いていった。普通のスズメのように跳ねるのではなく、足を一本ずつ前に出しながらだ。
次のスズメもムギに注文して、ピンク色の玉をポシェットから取り出す。ひいろはコーラを飲みながら観察していた。
(あれ、『ケービー』って読むんだ。お金っぽくないな)
よく見ると他の客もポシェットを身に付けていた。服は着ていないが、それだけはある。
注文を一羽ずつ聞いていくなか、席を立つ客もいた。シェパードとチワワが「そろそろ行くか」といいながら腰を上げて、後ろ足だけで歩いていく。ムギは「ありがとうございました!」と声をかけた。
注文を聞き終えたムギは、犬たちが使っていた食器をお盆にまとめて厨房へ運ぶ。
ハツユキがスズメたちにクレープと飲み物を持っていったところで、ひいろはコップからガラガラと音を立ててしまった。いつの間にか飲み終えていたようだ。
「くつろいでいるか?」
ハツユキがひいろに近づいてきた。ひいろは慌ててうなずく。
「は、はい。クレープおいしかったです」
「硬くならなくていいぞ。普通にしゃべってくれ」
ハツユキは余裕にあふれた物腰で、面と向かっているひいろも安心できた。
「……これ、何なの? あたし、夢でも見てるの?」
「夢じゃない。ここはケモノ
ひいろが耳にしたことのない名前だった。
「お前たちが暮らしている人間界のすぐ隣にあって、人間界からは見えない世界。俺たちケモノビトの世界だ」
「そんなのがあるなんて……」
「俺たちは人間たちから気づかれないように暮らしているんでな。さっきいったオオカミ男も、何百年も前にケモノビトを見た人間が考えたものだ。今はともかく昔は人間に見つかるやつもいた。今も昔もケモノ界からは人間界が丸見えだけどな!」
ハツユキは大きな声で笑う。ひいろはゾッとした。
「ここからだと、あたしたちをいくらでものぞけるの? 着替えとか……」
「できるが、しない。それがマナーってものだ」
ハツユキに嘘をついている様子はない。安心したひいろは他のことが気になってきた。
「クレープを食べに来てるのも、ケモノビトなの?」
「そっちは人間界から来た動物。お前が毎日見ているやつらだ」
ひいろは目を見開いたものの、疑う気にはなれなかった。
「動物がイスに座って食事やおしゃべり」という点が奇妙すぎるせいで気にしていなかったが、猫やスズメの上には変な花や葉が浮かんで見える。ひいろにとってはいつものことだ。
一方、ハツユキたちの上には何もない。だからケモノビトが人間寄りのもので食べている動物たちがいつもの動物だと理解できた。
「動物たちは、どうしてここに来てるの?」
「人間界でできないことができるようになるからだ。人間の料理を食うこともそう。動物は人間がうまそうに食うところを見るから、自分も食いたくなる」
ひいろも聞いたことがあった。犬の前でケーキを食べたり猫の前で刺身を食べたりすると、欲しがられるとか。
「そんな動物に食い物を出す店は、ケモノ界にたくさんある。俺たちの店もそうだ」
「動物に人間の食べ物をあげたら駄目なんじゃない? 動物園のサルがお客さんにお菓子をもらって虫歯になったりするし」
「他にも、塩分や糖分が多すぎて病気になるとかな。だが、それは体で食うせいだ」
ハツユキは焦る様子など見せない。
「動物は体から魂だけ抜け出して来ているんだ。魂を実体化させて作った体だから、病気なんかない。一時的な幽霊になっているから病気にならない、といった方がわかりやすいか」
幽霊と聞いたひいろは寒気がした。しかし一瞬だけのこと。ここにいる動物たちは楽しそうに食べたり笑い合ったりしていて、おどろおどろしくない。漫画やアニメの動物キャラのようだ。
「こんなことをできる動物がいたなんて」
「人間はともかく、動物はみんなできるぞ」
ひいろは耳を疑ったが、ハツユキは平然としていた。
「一番よく来るのはほ乳類。次に多いのは鳥類。は虫類や両生類は少ないな。魚類が来ることもたまにある。虫は来ない。頭の中身が俺たちと違うのかもな」
(そういえば、あたしは鳥や魚ならともかく虫だと頭の上に何も見えない。魚も来るっていったけど、どうやって来るんだろう。歩けるの?)
ドアがチリンチリンと鳴りながら開いて、ひいろは疑問の答えを知った。
次の客はメダカ。三匹組で、大きさは幼稚園児くらい。胴を縦向きにして、頭を前に曲げて、尾びれを後ろに曲げて、S字状になっている。ノブは伸ばした胸びれを巻きつけることで握っていて、ふわふわ浮かびながらレジに近づいた。
「動物たちが、こんなことをしてたなんて」
ふと気づいた。
「じゃあ、あたしは? やっぱり魂だけで来てるの?」
今思えば、ベッドで横になっていたひいろは抜け殻のひいろだったということ。
「でも、さっき『人間はともかく動物はみんなできる』っていってたよね」
「お前は特別だからな」
ハツユキは楽しそうに笑い、ひいろに背を向けた。
「ごゆっくり。クレープやジュースのお代わりが必要ならいってくれ。俺は次の客に出すクレープを作っているからな」
ひいろが口をあんぐりと開けているうちに、ハツユキは厨房へ戻っていった。レジではもうムギがメダカたちから注文を聞いていた。
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