第8話「やきもちと主張」

「――須山さんのお兄さんだったのですか。かわいい妹さんがいて幸せ者ですね」


 佐奈がいなくなった後、先程まで纏っていた堅苦しい雰囲気がなくなった神楽坂さんが声を掛けてきた。

 どうやらこの子は、佐奈の前では少し猫を被っていたようだ。


「確かに、本当にかわいい妹だと思うよ」

「シスコンですか」

「よく言われる」


 小学校、中学、高校、大学と俺は友達と遊びに行くよりも佐奈の事を優先してきた。

 もし友達と遊びに行く事になったとしても、佐奈が行きたがれば一緒に連れて行っていたくらいだ。

 だからシスコンという言葉は言われ慣れているし、今更否定するつもりもない。


 しかし、神楽坂さんは少し納得がいかなかったようだ。

 頬をプクッと膨らませ、不満げに俺の顔を見つめてくる。


「どうかした?」

「お兄さんって、その……あんな事、いつも須山さんにされていたんですか?」


 あんな事?

 うん、どの事を言われているのかわからないな。


「あんな事って、どんな事?」

「その……一緒に寝たりとか、頭なでなでとか、抱き締めたりとか……」


 どうやら、『あんな事』とは俺が寝ぼけて神楽坂さんにしてしまった事を言っているらしい。

 例え妹であれ、女の子相手にあんな事をするのは許せないとか、そんな事を思って聞いてきているのだろうか……?

 そうなると正直に答えるのはまずい気がするが、ここで嘘を付いても後で佐奈に確認を取られたらすぐにバレてしまう。

 それよりは、今正直に言っておくほうがいいよな……。


「ま、まぁ、そうだね。だ、だけどさ、昔の事だよ! 最近はしていないから!」

「たった今頭を撫でられてたような……?」

「あっ……いや、ほら、一緒に寝たりとか、抱き締めたりのほうの話だよ!」


 確かに頭を撫でる事は会うたびにしているけど、一緒に寝たりとか抱き締めたりとかはもうしていない。

 佐奈も高校生になっているのだから、ちゃんと線引きはしているのだ。


「昔ってどれくらいの時の話です?」

「佐奈が高校に入る前かな」

「…………」


 な、なぜだろう?

 佐奈が中学生の時にしていた事だと言うと冷たい目を向けられてしまった。

 文句を言いたいというのがありありと伝わってくる。

 仲のいい兄妹だと普通の事だと思うんだけどな……?


「そ、それよりも、片付けをするんだったよね? もう二日酔いは楽になったから、俺も一緒にするよ! それから、神楽坂さん用の布団とかも買ってこないと!」


 俺は誤魔化すように、別の話題を神楽坂さんに振る。

 なぜか神楽坂さんが不機嫌になってしまったから、話題を変えないとまずいと思ったのだ。


 ――しかし、この話題が思わぬ方向へと行ってしまう事になる。


「布団は……いらないです」

「えっ?」

「ですから、布団はいりません」


 突如、布団はいらないと言い出す神楽坂さん。

 頬を膨らませて不機嫌そうなまま、俺の顔をジッと見つめている。

 何を拗ねているのかわからないけど、どこか意地になっているように見えた。


「布団がいらないって……いったいどうするつもりなんだ? ソファや床で寝させるわけにはいかないよ?」

「もちろん、そんなところに寝たりはしませんよ」

「だったらどうするんだ?」

「お兄さんのベッドで寝ます」

「あぁ、ベッドがいいって事か。もちろん、布団を新調するだけでベッドを使ってくれたらいいよ」


 固い床に布団を引くよりも、柔らかいクッションが入っているベッドのほうがいいという事なのだろう。

 元からベッドを使わせるつもりだったからその事を笑顔で伝えたのだが――なぜか、凄く物言いたげな白い目を返されてしまった。

 その目からは『わざとですか?』という思いが伝わってくる。


 あれ、解釈を間違えた……?


「何が気に入らないの?」

「布団を新調したりせず、二人でお兄さんのベッドに寝たらいいじゃないですか」

「……はい?」

「折角のダブルベッドです。わざわざ新しく布団を買ったりする必要はないですよね?」


 この子はいったい何を言っているのだろう?

 確かに俺の寝室にあるベッドはダブルベッドだ。

 理由はこの部屋を借りる時に、元カノが泊まりにこれるようにダブルベッドがいいと言われて買ったからになる。

 だから神楽坂さんの言う通り、当然二人一緒に寝る事は可能だ。


 だがしかし――付き合ってもいない男女が、一緒に寝る?

 この子には危機感という物がないのか?


「あのさ、一緒に寝るなんて駄目だろ」

「なんでですか?」

「むしろ君はいいのか? 男と一緒に寝るなんて、何をされても文句を言えないぞ?」


 神楽坂さんはなぜか意気地になっているため、彼女が退くように俺は脅しをかけてみた。

 しかし、彼女は首を横に振る。

 その際に顔は真っ赤になっており、なぜか胸を隠すように手で体を押さえていた。


「い、今更何を言うんですか、ひ、ひひ、人の体を散々好きにしておいて。わ、私なら平気です」


 うん、この子は顔を真っ赤にしておいて何を言ってるんだ?

 しかも噛み噛みだし、全然平気じゃないだろ。

 今朝目を覚ました時に隣にいた少女とは別人と思えるくらいの動揺具合だぞ。


「いや、どう考えても大丈夫じゃないよね?」

「だ、大丈夫です! もし買うって言うのでしたら、須山さんに私たちは付き合ってなくて、養ってもらっているだけですって打ち明けます!」

「なっ!? それだけは絶対に駄目だろ!?」


 いったい何を意気地になっているのかは知らないけど、ここで佐奈の事を持ち出すのは卑怯だ。

 もし佐奈に神楽坂さんとの本当の関係を知られてしまったら、完全に嫌われてしまうし、軽蔑をされてしまう。

 そんな事俺が耐えられるはずがないし、神楽坂さんもその事を理解して言ってきているようだった。


「わ、私は本気です! 無駄遣いは敵なのですよ!」

「無駄遣いなのか!? 必要な出費だろ!?」

「私にとっては無駄遣いです!」


 二人が別々に寝るために買う布団を無駄遣いだと言う神楽坂さん。

 もしかしたら彼女はとても貧乏な家の子なのかもしれない。


 育ってきた環境の違いでこうも考え方が変わるものなのか?

 男の俺と一緒に寝るよりもお金を取るなんて、俺には信じられない。

 しかし、神楽坂さんがそう主張する以上彼女はそういう考え方なのだろう。

 もう一度一緒に寝た相手だから変わらないと思っているのかもしれない。

 

 結局この後も少し言い合いをしたが、ずっと佐奈の事を人質に取られていた俺は渋々彼女の主張を認めるしかないのだった。


「――や、やっちゃったぁ……。寝ぼけているお兄さんは獣なのに、やきもちをやいた挙句、意地になって大丈夫って言っちゃったぁ……。あ、あんなの毎日されたら私しんじゃうよぉ……!」


 なんだか俺が別室で着替えている間神楽坂さんはブツブツと独り言を言っていたけど、彼女は本当に変わった子だなと俺は思い気には留めなかった。

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