火曜日 特に何もない日

 お盆休みと言うものは、いささか奇妙な時期ではある。夏休みをとる会社は多いが、一方でとらない会社も少なくはない。駅のホームにはおそらくは働きに出るのであろうスーツ姿の人々と、休日の弛緩した空気を帯びた人々が混在している。街にはシャッターを下ろし休みを知らせる張り紙を張った店がちらほらある一方で、コンビニやスーパー、百貨店は当たり前に営業している。平日と休日が中途半端に折り重なり、どのような態度をとればいいのかわからなくなる奇妙な情景だった。

 白百合は当たり前のように営業している。僕は、正月休みを除き白百合が休みであったことを見たことがない。一体、マスターはいつ休んでいるのだろう。

白百合に顔を出すと江口が先に来ており、テーブルには既に食べかけのチョコパフェの容器が置かれている。

「昨日は来なかったな。」

 僕は言った。別に僕らは約束して店に来ているわけではない。お互い気が向いたら来るし、そうでなければ行かない。けれども、過去のデータから推測するに、ことお盆休みという期間において彼はかなりの時間を店に入り浸っているし、僕にしたって手持無沙汰で特にやることがないとき、どこに行くかと言われればこの店以外に選択肢がなかった。彼が来ないのは何かがあった場合が多い。親戚が死んだとか、入院していたとか、かなり緊急の用事がある場合に限られる。

「野暮用があってね。」

「そうかい。」

「少し真面目な話をしていいかい。」

 彼は言った。

「俺はいつだって真面目だよ。真面目すぎて話がつまらないってよく言われる。」

「本当に真面目な話なんだ。」

 彼は少し苛立たしげに言った。彼にしては珍しく本当に真剣な表情だった。

「わかった。」

 僕は少し椅子に深く掛け直した。

「人にとても丁重にお詫びをするにはどうすればいいと思う?例えば冷蔵庫のプリンを食べたとかデートに遅れたとかそういうレベルではない、かなりに迷惑をかけてしまって、それを謝る必要がある。」

「人でも殺したのか。」

「そういうわけではないけれども、ちょっと言いづらい個人的なことなんだ。」

「それじゃあ、何も言えない。」

「一般論でも、哲学的な見解でもいい。とにかく何か意見をくれないか。」

「相手とよく話し合って決めればいい。良い悪いなんて結局当事者同士で決めることさ。十字軍から見ればイスラム教徒は悪魔だし、イスラム過激派から見れば、毎週日曜に教会に行くだけ死に値する。そういう考え方をバカバカしいと思う人もいるし、逆に賛成する人もいる。人によって大事にしていることは違うんだから、ちゃんと話をしたほうがいい。それができないなら、弁護士に仲裁してもらえ。」

「本当にそう思う?」

「大真面目さ。」

「無理さ。会ってもくれない。」

「相手がそう望んでいるならそうするしかない。嫌がっている相手に無理に謝罪するのは、結局お前がすっきりしたいだけの、自己満足さ。」

「悪いことをしたのに謝らないって、不誠実じゃないか?」

「誠実さって何だろうね。」

 僕は言った。本当にわからなかった。


 僕にはとても羨ましいことだけれども、世の中には放っておいてももてる男というのは存在する。そして江口はそういう男だった。ある種の才能だと思う。少なくとも高校生のときからガールフレンドを欠かしたことがない。気が付けば女の子と何かしている。そして不特定多数の女の子と付き合うことに何の抵抗もない。

「自然とそういうシチュエーションに巻き込まれるんだ。小説の探偵が必ず事件に巻き込まれるようなものさ。勝手にやってくるものを拒むことはできない。俺のせいじゃないさ。」

 僕が江口の女性関係を揶揄すると、彼は極めて真面目な顔つきでこう反論した。彼の真意がどこにあるにせよ、彼が女性と接する態度を見るにつけ、僕は誠実さが必ずしも女性に対する男の魅力とならないことを思い知らされる。彼の態度は誠実さとはかけ離れているからだ。

 女の子が何かを話す。江口は、絶妙なタイミングで、「ああ」とか「うん」とか「そうだね」とか相槌をうつ。女の子がまた話す。絶妙なタイミングで相槌をうつ。これの繰り返しだ。女の子はいつまでも、好きなように話をする。やがて女の子が話すことに飽きるまで、それが続く。会話が終わる頃には彼女は話したいことを話したいだけ話してとてもよい気持ちになっている。江口はまるで会話の内容を覚えていない。とにかく江口は話を聞くふりがうまい。

 あるとき僕らが大学のラウンジで雑談をしていたとき、女の子が一人、物凄い剣幕でやってきたことがある。彼を殺しかねない雰囲気だ。僕はたまたま用事があったので席を離れたが、三十分後に戻ってきたときには、例の女の子は清々しい満足げな表情で去っていくところだった。

「何だったんだい。あの子?」

「さあね。」

「なんで、あんなに怒っていたんだ?」

「俺が冷蔵庫のプリンでも食べたのかな。」

 彼は澄まし顔で言った。彼が本気で言っているのか、冗談で言っているのかわからなかったが、彼の美徳の一つはあまり上手に嘘をつけないことだった。

「三十分も話していてわからないのか?」

「なあ、人間なんて皆話したがりなんだよ。言いたいこと言わせちまえばとりあえず満足する。問題が解決しようがしまいがね。」

 そんな調子だった。過程よりも結果が全てである、という観点に立つならば、江口の態度や真意がどうあれ、彼女らが満足するのであれば何も問題はない。江口がいなければ、彼女らはきっと、別に誰かに同じように一方的な会話をまくしたてるだけなのだろう。王様の耳はロバの耳。

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