月曜日 誰かに助言をするということ

 白百合には僕しか客がいなかった。その日は江口もやってこなかったので、僕は実家の本棚から持ってきた小説を読むことにした。考えてみると、僕には友達と呼ぶことができる人間は片手で数えられるくらいしかない。もっとも僕が勝手に彼らを友人であると思っているだけで、彼らが僕のことを友達として認識しているかどうかはわからない。そのうち一人はもう死んでいるし、一人は太平洋の向こう側にいる。すぐに顔を合わせられるのは江口とマスターだけだ。彼らに見放されてしまえば、僕は今後私的な生活の中で一言もしゃべらずに生きていくしかなくなる。

 何気なく顔をあげると、たまたま近くを通ったアルバイトの女の子と目があった。マスターの親戚の子だ。彼女は義務的に、小さくにこりと笑い、そのまま通り過ぎていった。僕はすぐに手元の本に目を戻したが、なぜか言いようのない違和感が残った。何かを誰かに言おうとして声をかけたのだけれども、その肝心な何かを忘れしまったときのような気持ちの悪さだ。なぜそのように感じたか、僕には全くわからずどうすることもできないので、そのまま読書を続けた。

「お待たせいたしました。」

 二杯目のコーヒーを、先ほどの女の子が運んできた。

「久しぶりですね。」

 コーヒーカップをテーブルに置いてから女の子は言った。僕は視線を上げてちらりと彼女を見た。女性をじっくりと眺めるという行為が苦手なので、僕はすぐに視線を外した。僕以外近くに客はおらず、彼女は間違いなく僕に話しかけていた。女子大生という人種が普段の僕の生活とは縁遠いものだから、本当に僕に話しかけているのか疑わしく感じてしまう。長い髪を後手にまとめ、白いTシャツにジーパン、その上に茶色のエプロンというとてもラフな格好は、若々しくて、ほんの少し眩しかった。黒縁眼鏡の奥から利発そうな瞳が僕の手元の小説を覗いている。

「一昨日戻ってきたんだ。夏休みでね。」

「そうなんですね。ゴールデンウィーク以来かしら。」

 客もほとんどいなかったので、僕らは簡単に近況を報告しあった。彼女は昔僕が通っていた大学の三年生で、おまけに学部も学科も同じだった。就職活動をするか、大学院に行くか悩んでいるということだった。成績は悪くないので、希望さえすれば推薦で大学院には入ることはできるらしい。僕と大違いだ。僕は成績がよくなかったので、希望の研究室に入るには試験を受ける必要があった。その試験にしてもぎりぎりの点数だった。

「理系なら、大学院に行ったほうがいいと思うな。」

「どうしてですか?」

「学卒の理系は、文系と大して変わらない就職先しかないんだ。大学四年間遊びもせずに朝から晩まで実験して、徹夜でレポートを書きまくったあげく、事務職なんてやりたくないだろう。給料だって特別良くはない。逆に理系の修士で卒業すれば、研究職だとかの就職もぐっと簡単になるし、いいところにいける。成績が良ければ教授が推薦を出してくれる。だから多少無理してでも院は行った方がいいと思う。たった二年の差だし、たった二年で人間がそれほど成長するかはわからないけど、企業側はその二年をだいぶ大きな違いと見る。」

「そういうものですか。」

「ほかにやりたいことがあるわけでもないなら、行ったほうがいい。」

 彼女は、どこかで時間をとってもう少しアドバイスを貰えないだろうか、と言った。僕が1週間は暇であることを伝えると、あとで彼女から連絡するということになった。


 僕は、誰かに助言をするということがとても苦手だ。そもそも僕の人生が誰かのお手本になるほど成功しているとは言い難いし、僕にとって正解であることが、他の誰かの生き方において正解とは言い切れない。僕と全く同じ少年期を過ごし、僕と同じ青年期を経て、その後も僕と同じ壮年期を志向する人がこの世の中にいるのであれば、多少は何かを言えるかもしれない。けれども現実的に考えてそんなことをあり得ないだろう。

 同じ理由で、僕は人からの個人的な助言と言うものを基本的には聞かないことにしている。もちろん技術的、科学的なアドバイスは聞く。一+一は誰がやっても二である。しかし多くの場合、アドバイスしたがる人々がけちをつけるのは、僕が休日どう過ごすとか、どういう趣味だとかの生き方についてだ。彼らの目指している場所と、僕が目指している場所は多くの場合まるで違っている。もちろん生まれも違うし、これまでの生き方も違う。スタートもゴールも、道筋も違っている人からアドバイスをされたところで、得るものはないだろう。よく考えればわかる。

 けれどもときおり、どういった精神構造からかはわからないけれど、頼んでもいないのにわざわざやってきて、僕の首根っこを捕まえて、

「お前は間違っている」

とか、

「あなたはこうしたほうがいい」

と言いに来る人々がいる。いったい僕が彼らに何をしたのだろうか。あるいは彼らは、僕の生き方を変えたところで、何か得られるのだろうか。僕には皆目見当がつかない。特にそれが身近な人間だとやっかいだ。仕事の上司、親戚、クラスメイト等々。あまり無碍な対応をすると、彼らが何をしでかすかわからない。そういう人々は多くの場合、自分が正しいと信じ込んでいる。自分が正しいのだから間違っている人間には何をしても良いと思っているふしがある。想像力が欠如しているのだろう。僕が何かされるのならともかく、別の誰かに害が及ぶかもしれない。

「そういう考え方もありますね。」

 そんなとき僕はできる限り穏やかな口調でこう言って、争わず肯定も否定もせず、ただ立ち去ることにしている。全く意見が異なる二人がお互い気持ちよく生きていくには、両者が距離を置いて出会わないようにするのが一番良いと思う。誰も不幸にならないし、ストレスもない。この世界は広いのだから、わざわざ近づく必要なんてないはずだ。そして僕はほとんどの人と意見が会わないので、仕事等でどうしても付き合う必要がある人間を除き、いつも誰とでも距離を置いて生きていくことにしている。

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