鉄道の日


「そこの壁。ガリガリやってるの、カンナじゃねえの?」

「ほんと? ピアノの下?」

「よし……」

「ちょっとそんなことしたらだめよ隼人!」

「いいじゃねえか。板、剥がれかけてるし……、よっと」


 べきん!


「きゃっ! …………ああもう、廊下に出て行っちゃったじゃない」

「違う子だったな。なんてったっけ、あのトラ縞」

「……サバの味噌煮」

「……藍川のネーミングセンス、さすがに信じがたいよな」


 しかし、音楽室の壁の向こうが空洞とか。

 どんな安普請だよ。


「怪我するといけねえな。もっと綺麗に穴あけとこ」

「小さくね! 小さく!」

「ああ。見つかったら塞がれるだろうからな」

「そういうこっちゃなくて……、ああもう! 上の方! もっと丸く削ってあげなさいよ!」

「どっちなんだよ」

「それより、なんでヤスリだのなんだの持ってんのよあんたは」

「…………さっき。階段の途中にも穴開けたから」

「呆れたっ! どこの!?」

「南階段の途中。ほら、俺たちが狙ってたとこの下あたりだ」


 振り向かなくても分かる。

 香澄は今、般若モードで俺を睥睨してる。


 良かったぜ。

 偶然、保険持っといて。


「罰として……、そうね……」

「あ、そうだ。お前が欲しがってたカーディガンな、買っといた」


 ……この空気。


 もう一息って感じか?

 ちょっと足りなかったな。


 さて、どうしたもんか。

 考えながらヤスリかけてたら。


 穴からカンナが飛び出してきて。

 香澄の胸にしがみついた。


「きゃっ!」

「……お前さんには、あとで美味いもん差し入れしてやろう」

「まったくもう……。困った人たちね」


 ようやく笑ってくれた香澄は。


 嬉しそうに。

 カンナの頭を撫でていた。




 ~ 十月十四日(水) 鉄道の日 ~

 ※守株待兎しゅしゅたいと

  偶然の幸運を、ぼーっと待つのは愚かだ




 ようやく終わった中間試験。

 多少、羽目を外したくなる気持ちは分かる。


 が。


「外し過ぎ。馬、暴走するわ」

「馬?」

「羽目の語源は、馬に噛ませる馬銜はみ

「…………ふうん」

「あっは! 姫様にはまったく興味ない話だったみたいだね!」

「もう俺は、一生うんちくとか語るのやめた」

「そうか? 俺は保坂のうんちく、面白いと思うが。芝居の参考になる」

「おお。こっちの姫にはささったみたいだぞ?」

「姫って呼ぶんじゃねえ!」

「いてっ!!!」


 ごくごく一般的な。

 試験終わりの、全能感に満たされた高校生。


 ごくごく普通に。

 遠出して遊んで帰ろうと電車に乗って。


 ごくごく普通に。

 ボックスシートに座ってる。


 そんな、ごくごく普通の景色の中に。



 ごくごく異常な。


 学校から持ってきちまった椅子。



「……外し過ぎ」

「羽目?」

「足」


 滑り止めのキャップを取って。

 代わりに装着されたごつい車輪。


 勉強ばかりしていたストレスを。

 俺の椅子に向けるんじゃねえ。


「……座面の裏に付けたそいつは何」

「モ、モーター、よ?」

「自動走行装置なんていらねえぞ」

「でも、今日は丸一日、立ったままテスト受けてたから……」

「お前が教科書を超縮小コピーして張り合わせた下敷きとか作ったせいだろうが」

「た、大変だったのに……。窓から投げ捨てるなんてひどい……」


 酷いのはお前の悪知恵。

 どうしてそういうことばっかり思い付くんだお前は。


「なあ、保坂。俺には、椅子を持ち出した罰で明日も立たされるお前の後姿が容易に目に浮かぶんだが」

「いや? 俺にはそんな姿想像つかねえな」

「そうなのか?」

「だって、俺が廊下に出ていく後姿なんて自分じゃ見れねえから目に浮かばん」

「あっは! そりゃそうだ!」


 楽しそうに笑う王子くんが。

 向かいに座った俺の膝をバシバシ叩く。


 そんな膝の上に。

 よいしょとお隣りから椅子を乗せられた。


「……すげえな、ひじ掛けにジョイスティックまで付けたのかよ」

「衝突アシスト付き走行装置……」

「へえ。そりゃ最先端」


 ……ん?


「逆だろ。衝突をアシストしてどうする」

「パ、パンを咥えると同時に綺麗な女性をサーチして自動で走り出す……」

「すぐ外せその機能!」


 早弁気分で、授業中にパン食った日にゃ。

 誰彼構わず衝突し始めるのかよ。


「あれは通学中に角でぶつかることに意味があるんだ!」

「そこか?」

「そこなの?」

「…………ほんと、だ」

「え?」

「え?」


 なんだお前ら、そのきょとん顔。

 当然の様式美だろうが。

 なあ秋乃。


「す、すぐ作り変えなきゃ……。でも、角をどう認識させれば……?」

守株待兎しゅしゅたいとじゃなく、積極的に攻める姿勢は評価するがな。実現は不可能だ」


 ムリだろうに。

 どうやって角の向こうに美人がいることを感知する。


 膝の上に、やたら重くされた椅子を抱えたまま。

 秋乃が車載カメラを何やらいじってると。


 ちょっと大きな駅に電車が止まって。

 幾人も、お客が乗り込んで来た。


「ここは、随分人が乗って来るんだな」

「そうだな。…………ん?」


 ドアのそば。

 婆さんが一人、椅子に座れずに立ったまま。


 年寄りに席を譲りたい。

 でも、俺は立ちたくない。


 半々な気持ちは。

 棒になってる足のせい。



 …………あ。



 席なら一つ。

 空いてるじゃねえか。



「ばあさん。これに座るか?」


 俺の声が、ちょっとした人混みを掻き分けて婆さんの元に届くと。


 揺れる電車をよいよいと。

 こっちに向かって歩いて来る。


 そして俺が膝から下ろした椅子に。

 婆さんがよっこら腰かけると。


 同時に。


 衝突アシスト装置、始動。


「ひあああああああ!」

「うおっ! なんて加速! ばあさん! ばあさーーん!!!」


 あっという間に隣の車両へ走り去る椅子と婆さん。


 慌てて俺たちが後を追うと。


 椅子は車輪から火花を散らしながら百八十度スピンターン。

 そしてタイヤを空転させながら運転席の手前ギリギリで停止して……。



 今度は俺たちに向かって急加速。



「こわっ!?」


 でも、避けるわけにゃいかねえ!

 なんとかここで止めねえと!


 みんなから一人飛び出して。

 両手を広げる俺。



 の、手をするりとかいくぐって。


「ぎゃふん!」


 秋乃に体当たりしたところで。

 ようやく暴走椅子は停止した。


「…………正常に働いてるじゃねえか、アシスト機能」

「う、嬉しくない……」

「それよりばあさん、大丈夫か? 済まなかったな……」


 俺は頭を下げながら。

 椅子から立ち上がらせようと、手を差し出したら。


 婆さんは、ふるふると首を横に振る。



 ……まさか。



「気に入っちまったのか?」


 そんな言葉に。

 予想外に過ぎる方向へ首を振って返事をした婆さん。



 そのせいで。


 見た覚えもない。

 自分が廊下へ向かう後姿が。


 目に、くっきりと浮かんだんだ。



「…………どうすんだよ、秋乃」

「あ、あげちゃったのは、た、保坂君……、よ?」

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