スマイルトレーニングの日
~ 十月十三日(火)
スマイルトレーニングの日 ~
※
澱みなくスラスラと
相変わらず。
まるで勉強しようとしやしねえから。
「お、鬼教官……」
「褒め言葉だ。ほれ、きりきり覚えろ」
家まで出張して。
見張ってなきゃならない不肖の弟子。
明日は最終日。
たった一日勉強すれば済むだろうに。
それすらできんのかお前。
「どうして十分おきに集中力切れるんだよ」
「だ、だって。面白くない……」
「お前の好きな化学実験とか工作とかと一緒だろ。求めたい結果にたどり着くための腕を磨いて、課題を出されたら蓄えてた知識で解答を出すんだ」
「違うの……。じ、実験は、その過程が楽しいの……」
「なら英語だって一緒だろう」
蓄えた知識で答えを導く。
何が違うんだと思うんだが。
こいつは、何か言いたげに俺を見つめていたかと思うと。
一つため息をついて。
ノートの上に突っ伏した。
「カンニングする気なら腕に書け。顔に写してどうする」
しかも左右逆だ。
「……立哉さん。相変わらず難儀をかける」
「いや、お互い様だ。いつも凜々花が世話になってるからな」
慇懃なお辞儀と共に。
俺を労ってくれる春姫ちゃんだが。
何を思ったか。
軽くかぶりを振って否定する。
「……私はギブばかりでなく、ちゃんと凜々花からテイクも受けている」
「そうなのか?」
「そだよん! ほら、ハルキー! またサボってる!」
「……うむ。こうか?」
「ううううむ。…………まだ、ちっと怖いかな」
「……そ、そうか。ならば、こんな感じか?」
勉強の合間に。
凜々花が春姫ちゃんへなにやら指導しているようだが。
お前らは。
「一体、何やってんだ?」
「笑う練習!」
「ああ、またか」
なるほどね。
春姫ちゃん、笑顔下手くそだからな。
「前もやってたろ、それ」
「こないだもさ、下校中にはしゃいでたら、お巡りさんに呼び止められてさ! 凜々花だけ許してもらってハルキーだけすっげえ叱られたんだよね!」
「……さすがに不条理を感じてな。こうして日々特訓しているのだが……」
「ハルキー! またサボってる! はい、スマイル!」
「……うむ。……こうか?」
前ほどじゃないものの。
それでもまだ、どこかぎこちない。
そんな、笑顔下手くそな春姫ちゃんが。
「……おお。さすがはお姉様。自然です」
秋乃の得意芸を見て。
しきりに感心する。
「お前は、そればっか得意な」
「しょ、処世術……、かな?」
そしてこっちに向ける仮面の笑顔。
やめねえか、心がこもってねえ笑顔向けられても。
……休憩はちょっとしかやらねえぞ?
俺は、自分のちょろさを自覚しながら席を立って。
ティーポットから二人分。
お茶を注ぎながら考える。
授業中。
こいつのせいで大笑いして。
叱られた時。
俺ばっか立たされるのは。
そのお家芸のせい。
そういった意味じゃ。
俺と春姫ちゃんは。
同類なのかもしれねえな。
「俺も、笑う練習してみようかな?」
「そ、そんなの必要ない……、よ?」
「なんでさ」
「こうすれば笑うから……」
秋乃はそんなこと言いながら。
俺の分の紅茶に。
角砂糖を入れようとするんだが。
そこに書かれた文字。
ノン。
「うはははははははははははは!!! ノンシュガー!」
「ノンシュガー、入り」
「うはははははははははははは!!!」
いや、春姫ちゃん。
笑顔になっても叱られるぜ?
こうして笑うと。
一人だけ立たされる。
俺が、その生き証人だ。
「……そういう笑いでなく」
「うはははは……、ああ、そうだったな。凜々花とか秋乃みてえな、俺たちにとっちゃズルい笑顔が出来ねえと」
「ずるいってなんさ! ばかおにい!」
「ひ、ひどい……」
いや、実際。
お前らそれで得し過ぎ。
普段なら、俺を叱るところの春姫ちゃんですら。
二人に同調しかねて。
視線をすいーっと泳がせる。
「た、保坂君は、罰として、覚えやすく英語を教える……」
「それは自分で考える事だろうが。勉強し始め、慣れるまでの苦労は買ってでもするべきだ」
「でも、ちょっとは楽に……、ね?」
そう言いながら。
秋乃が作った笑顔。
だから。
それ、ずるいっての。
心が揺らぐんだよ。
「美人って得な」
「そう?」
「それじゃあまず、テストに出そうなパターンってやつを……」
俺が、笑顔の効果に騙されてるのを自覚しながら。
ヤマを教え始めると。
どういう訳か。
いつもより柔らかい。
ちょっとドキリとする笑顔を向けられた。
「いつも……、ありがとね?」
「な、なんだよ。調子狂うからやめねえか」
「じゃあそれ、ノートの隅に小さく書いて?」
「ん? こうか?」
「そしたら、破いて切り取って?」
「注文が多いな。……できたぞ?」
「それをペンケースの裏にテープで止めて?」
「よしきた」
「……立哉さん」
声をかけられて。
顔をあげると。
目の前には。
優しく、自然な笑みを浮かべた春姫ちゃん。
なんだよ。
お前もできるじゃねえか。
そう思っていたんだが。
「……お姉様」
「ひうっ!? ……な、なんにゃにょ?」
「……はい、スマイル」
「こ、こう?」
春姫ちゃんに言われるがまま。
浮かべた秋乃の笑顔。
メッキがベロっと剥がれて。
ぎくしゃくしてやがる。
それを見て。
ようやく俺も。
我に返って……。
笑顔を浮かべた。
「……はい、お姉様。教科書開く」
「よし秋乃。英単語二十個、五分で全部覚えよう」
「……お姉様? わたわたしていては時間がもったいないですわよ?」
「そうだな。はい、十五秒経過」
「こ、こ、怖い……」
二つの笑顔に挟まれて。
真っ青な顔して単語を暗記し始めた悪童。
せいぜい、必死に勉強するがいい。
「え、笑顔……、二人とも、上手ね?」
笑ってごまかそうとしても。
もう無駄。
「……うふふ。あと三分」
「ふふふ。あと十五個」
うん。
笑顔はやっぱり。
人生に必要不可欠なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます