第9章 東下り
奥大道、白河の関を越えたばかりの街道を、少し下った沢のほとりで、一組の男女が一休みしていた。
一人は大分年老いた僧侶、もう一人は女盛りは過ぎたものの、僧衣に身を包んでしまうにはまだ惜しいと感じられる見目麗しい尼僧である。
沢の水で濡らした手拭いで顔を拭きながら、尼僧から手渡された竹の水筒を礼を言って受け取り、喉を潤すと、ふう、と大きな溜息を吐く。
「老いぼれにはこたえるわい」
「何を仰る。一番張り切って峠を登っていたではありませぬか」
呆れたように笑う尼僧に、老僧はしみじみと辺りを見渡しながら話しかける。
「麻呂が国司として奥州に下った頃、ここを通ったのを覚えておるが、あの頃は京と平泉を往復する車や商人の列が引きも切らなかったものじゃ。すっかり寂れてしまったのう」
「懐かしゅうございますな」
そう言いながら話に加わってきたのは、初老の隠居然とした優顔の男であった。清水を汲んできたと見え、両手に尼僧が手渡したものと同じような水筒を携えている。
「私が商いをしていた頃は、この関の辺りもまだ栄えておりましたが、いやはや、商売を継いだばかりの娘は苦労しているでしょうな」
「ところで、ハチはどこに行ったのじゃ? 小用にしては聊か長いようじゃが」
「某は握り飯を買いに行っていたのでござる。申し付けられたのは基成様ではござらぬか」
ムッとしながら現れた眼帯の男が竹の皮で包んだおにぎりを皆に差し出した。
「腹が減っては戦はできぬ。まあ、戦はもうこりごりじゃがのう。まだまだ道中は先が長い。腹ごしらえとしようかの」
にこにこ笑う老僧を囲むように、四人の風変わりな旅人たちが揃っておにぎりに手を合わせた。
老僧は、戦に命を散らしていった親しい者達を供養するため、幾年もかけて書き上げた経典を納めに行くのである。
尼僧は、かつて仕えた一門の所縁の者から託された使命を果たしに行くのである。
優顔の御隠居は、道中顔の効く自分が何か役に立てればと、誼半分、遊興半分についていくのである。
眼帯の男は、傷つき倒れていたところが奇遇なことに昔なじみの老僧の庵の近所。御恩返しに用心棒をと、旅のお供を買って出たのである。
彼らが目指すは平泉。
その道中、色々面白きこと多くあれど、残念ながら今日残る正史には記されていない。
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