第7章 蒼旗翻天 9


「いざ行くぞごらああああああ――っ!」

 高らかに雄叫びを上げながら重親が高衡に打ち掛かった。

 素で受けきろうとした高衡が相手の刃の神速に堪らず数歩退いた。

 馬が鋭い嘶きを上げる。

(この太刀筋、……まさか!)

「『血煙』、鞍馬の秘剣とやらを会得したのは俺も同じよ」

 重親が不敵に唇を吊り上げる。

「……『鞍馬六韜』か。どこで手に入れた?」

 静かに重親を見据えて高衡が問う。

「生前、義経殿を拝み倒してな。書写を頼んだのじゃ。あの虚け者は書の指南を履き違えて用いたようだが、俺と貴公のように己を高めるために正しく用いれば、無双の剣術に応用できる」

 自慢気にぶんぶんと薙刀を振り回し、更にもう一撃と繰り出してくる。

「どうした『血煙』よ躱すだけでは勝負にならぬぞ俺をバラバラにしてみろ先程の騎馬の骸はどうしてこさえた! ハァっ‼」

 二撃目、三撃目と切り出される中には四も五もそれに掛ける刃が織り込まれている。『鞍馬六韜』を直接目にしたこともない、ほんの短い期間に皆鶴の剣の教授があったのみの高衡には避けるのが精一杯だった。

 紙一重で躱した先の白樺の幹がパっと弾け飛び、煙のように木片が舞い上がり、周りの軍勢がどよめいた。躱す手綱捌きに追いつけず高衡の馬が足を縺れさせ苦しい嘶きを上げる。恐らく兵達には斬撃の白刃すら、二騎の間で何かがチカチカ瞬いているようにしか見えぬであろう。


 重親の渾身の一撃を薙ぎ躱したところで、高衡の薙刀の柄が四つに断ち切られ手から落ちた。一薙ぎの中に三度の斬撃が込められていたことになる。

 高衡が太刀を抜いた。角から授かった、もうぼろぼろに欠けてしまった太刀である。

(これで受け止めても、一撃か。いや、一撃も持たぬ。受けたところで剣を絶ち折られ、そのまま身も切り裂かれるだろう)

 防戦一方の高衡は、ここに逃げ場を失った。

 

 ――今の貴方であれば、来たる鎌倉との備えの為、我が一党の秘剣を託すに相応しいお方


「……我は鞍馬の天狗なり」

 高衡が、初めて攻めの構えを取った。

「おお、やっと本気で挑んでくれるか!」

 嬉しそうに重親が笑いかけ、薙刀を放り捨てた。

「貴公が太刀で来るとなれば、俺も太刀で掛からねばな!」

 背中に掛けた、人の背丈はあろうかという大太刀を引き抜いた。人の手を借りずとも鞘から抜けるようにとの作りか、極めて湾曲した太刀である。

「久しぶりにこの太刀を振るえるとは、嬉しいぞ『血煙』よ!」

 狂喜してぶんぶんと頭上で太刀を振り回して見せる重親をよそに、高衡は皆鶴の言葉を何度も暗唱していた。

「宵空を飛ぶは鶫となりて……」


 ――谷を越えるは野猿となりて


 ――山に潜むは大蛇となりて


 ――人を屠るは火焔を吐きて虎とならん


「いざ、最後の一勝負じゃ!」


 ――さて、問わん。我は何者なりや


「うおおおおおおおおっ!!」

 重親が渾身の一撃を振り下ろす。


 ――さても容易い問答かな。我はいずれにもあらず――


 屹と顔を上げた高衡が剣を振り上げる。攻めの為の剣。

 それが、重親の大太刀と激しくぶつかり、真っ二つに弾け飛んだ。

「ひょおおっ! 取ったぞおおおっ! ぃいええあああああ!」

 勝利を確信した重親が歓喜の雄叫びを上げる。

 斬り飛ばされた高衡の右腕が宙に舞い、勢いで切り裂かれた右脇腹から噴水のように血飛沫が迸った。

 高衡は相手を見据えたまま――一声と共に白刃を放った。


「――鵺夜一啼!」


 衝撃に馬上から弾き飛ばされた重親が血反吐を吐いて地面に転がり、馬は泡を吹きながらいきり立ち、肝を潰して腰を抜かす鎌倉の兵達を撥ね飛ばしながら駆け去っていった。


 ――剣を振るうは己自身。剣が人を斬るわけではありませぬ


 ――ならば剣を振るわずとも、己の纏う剣気を以て人を斬ることはできまする


 ――万象に亘り、水月を乱さず、綾目判ぬ新夜の宵に誰ぞ彼ぞと音の聞こゆは、只鵺の一啼


 ……これが我ら鞍馬一党「鵺夜一啼」の奥義。鞍馬の天狗が秘めし、見えぬ咢にございます


「……馬鹿な、太刀は折れ、右手ごと斬り飛ばしたはずじゃ」

 自分が見たものが未だ信じられぬように呆然と呟いた。

「これが、正真正銘の鞍馬の奥義じゃ。……唐渡を模しただけの剣技では、身共に勝てぬ」

馬上で重親を見下ろしながら、高衡が答える。重親から受けた傷は相当深く、左手で抑えた大きな傷口からは腑が覗いていた。背上の主の苦悶に、馬が哀し気な呻きを洩らす。

 立ち上がりかけた重親が呻きながら蹲り、諦めたように大の字に寝転がった。その表情は、今までの闘志がすべて抜け去った、穏やかなものだった。

「はは、――参った」

 笑おうとして、激痛に顔を顰める。少なくとも、右の肋骨全てを損なっているようだ。

「のう、なぜ峰打ちにした? 殺すこともできたはずじゃ」

「其許が兄の仇だからじゃ」

 重親の問いに、苦悶に歪んだ顔に哀しみの色を浮かべた。

「……故に、憎しみで剣を振るいたくはなかった」

 胸に過るのはかの人の最期に見せた笑顔。


 ――私は、……幸せでした。最後に……


 そう微笑みながら腕の中で見送ったあの人は、あの時何と言いかけたのか。


(――皆鶴殿。これで、良かったのだろう? 其許は、今でも身共のすぐ傍らにいてくれているのだろう?)


 長い息を一つ吐いた高衡が、重親に言った。

「写本を焼き、その剣技を封じよ。……身共の最後の頼みじゃ」

そして、自分を遠巻きに取り囲む鎌倉勢を見回した。

 いつの間にか義盛らと一緒に本陣にいたはずの義遠の姿があった。その後ろに控える武将が、二つの生首を薙刀の柄に括り付けぶら下げていた。

 戦いの果てに討ち取られた、資家、資正の首級だった。

 この場で生き残っている味方は、高衡ただ一人である。


(……兄上、身共は最後まで見届けましたぞ。――もう、宜しいか?)


 暫し目を瞑り天を仰いでいた高衡は、顔を下ろすと義遠に目を向け言った。

「……さあ、止めを差すがよい」

「承知した」

 頷くと、義遠は高衡に向けて弓を構えた。

「ま、待て!」

 重親が慌てて声を上げる。

 義遠がぎり、と弓を引き絞る。

「俺は貴公の女を殺めてしまった。……せめてもの償いに、苦しまぬよう送ってやろう」

「感謝いたす」

 最後に、高衡は微笑んだ。


「待て、殺すな! 俺はその男にどうしても勝ちた――」



 建仁元年二月二十九日。

 奥州藤原氏最後の生き残り、藤原本吉四郎高衡、討死。享年推定三十歳。


 城資家、資正兄弟もまた同日討死し、建仁の乱における城長茂の乱は終結した。


 高衡ら追討の顛末は、「吾妻鏡」において、


「城四郎長茂与党城小次郎資家入道。同三郎資正。本吉冠者〔ママ〕衡。以官軍被誅云々」


 と短く記載されているのみである。


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