第4章 前夜 4

 四、


 皆鶴が語り終えるまで、途中で口を挟む者はいなかった。

 誰一人、娘の話を疑う者はいなかった。それぞれの胸の内に様々な心当たりが過った。

「……はは、次は某が御館様を攻める番になっていたか」

 乾いた笑いを含ませながら、ちらりと国衡が上座に目を向ける。

「確かに、九郎殿が平泉を再訪する少し前の我らなら、互いに斬り合うていたかも知れませぬしな」

「然り。だが父上の御遺言、三人一味の起請が我ら兄弟の絆を永劫不破のものとした」

 泰衡が頷く。

「……信じられぬ」

 高衡がぶるぶると肩を震わせる。

「信じられぬ……矢張り源氏は信用おけぬ。血は水より濃いとは申せ、九郎殿もやはり頼朝の身内だったか!」

 きっ、と吉次を睨みつけて問う。

「吉次殿、義経の言っておった宋の援軍の話は進展しておるのか?」

 吉次は困ったように高衡に答える。

「それが……昨年九郎様が御所にて皆さまにご提案されて以来、御相談はおろか一度も某の前でその企てを口にされたことがないのです。忠衡様達とは随分仔細を打合せしておられたようですが」

「やはり、それも謀り事か!」

 吐き捨てるように高衡が言った。あの評議の場にて威勢よく義経の計画に賛同した者達は一人残らず忠衡について行ってしまった。

「忠衡や通衡をはじめ、あの場にいた我が家人たちの多くは、亡き秀衡公が俺と兄上、そして九郎殿に固く誓わせた三人一味の起請を、いずれ俺が反故にするものと疑っていたらしい。確かに、九郎殿を擁護していた祖母様と対立し、度々義経捕縛を求める院宣が届こうともまるで御遺言の通り動く素振りもなく、家人達からすれば、俺の様子は恰も鎌倉殿の顔色を窺っているようにさえ見えただろう。このままでは今に泰衡は鎌倉に帰順するかもしれぬ。そう思えたとて無理もなるまい」

 自嘲するように泰衡は顔を伏せた。

「一方、兄国衡は庶子の身分とはいえ長兄であり、皆の前では常に中立を守り、一門を上手く纏めておった。大それた真似は致さぬはず。ましてや、匿われている立場の九郎殿が間違うても自らの隠れ蓑に火を点けるような愚に走るはずがない。まさにそこへ頼朝の目がつけ込んできた。異国の兵団を味方につけ、海路を伝って鎌倉を攻め落とすなどという夢語りで皆の心を逸らせてな。まさか九郎殿が自らの後ろ盾に等しい三人一味の起請を破るとは、忠衡達は泉館で弓に矢を番える時まで思いもよらなかっただろう」

 泰衡が小さく息を吐く。

「まさか、先の毛越寺の一件よりも前、父上が御健在の頃から既に頼朝の謀事はこの平泉に忍び込んでいたとは」

 そう呟いて項垂れる国衡を慰めるように頷きかけると、泰衡は正面に控える皆鶴に顔を向けた。

「皆鶴よ」

 毅然と構える皆鶴に語り掛ける。

「そなたを我が一門に迎えた理由はいくつかあってな。その一つは、そなたに九郎殿を斬ってほしくなかったからじゃ」

 その言葉に何か問いた気な顔で見つめる娘の眼差しを受けながら泰衡は続ける。

「朝廷からの命令はあくまで捕縛。生かしたまま捕らえ、鎌倉へ送るようにというものじゃった。それを我ら奥州の客分たるそなたが討ち取り、首級を挙げたとあっては、頼朝に奥州を攻める口実を与えかねぬ。そこで、そなたを我が家人とし、勝手に動くことが出来ぬよう予防線を張ったつもりじゃった。だが、今となっては、それはもうどうでも良い」

 ふ、と泰衡が笑いかける。

「もう一つはの、この場にいる藤原家の者が皆、そなたの涼しき人柄を認め、是非一門に迎えたいと真から願ったからじゃ。ここには居らぬが、忠衡や通衡もな」

 皆鶴は目を見開き、一同を見回す。

 皆が微笑を浮かべ、頷いて見せる。

「そなたが初めて最初院阿弥陀堂を目の当たりにしたとき、これほど美しいものは見たこともないと涙を浮かべながら申しておったな? ならば、そなたはこの美しい平泉の地に骨を埋めよ。そなたが味わった幾多の辛苦、この終着の都で報われねばならぬ。そなた自身の見極めに従い、見事宿命を果たした後は、この奥州百歳の平安を千歳の彼方まで我らと共に見護り、我らとともに生きよ」

 泰衡の言葉に、じわりと双眸を潤ませる。

 穏やかに笑いかけた後、普段の藤原棟梁としての厳しい顔に戻った泰衡は一同を見回し、口を開いた。

「各々に告げる。源九郎義経。藤原家の庇護下にありながら鎌倉方と通じ、亡き秀衡公の下交わされた三人一味の誓を破った上、あまつさえ様々の奸計を用い我が一門を二つに割り内紛を誘いし所業、断じて許すことは出来ぬ」

 一同が厳かに注目する中、泰衡は宣言した。


「――義経を討たねばならぬ!」


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