#15 笑顔と絆創膏と
私は、ある生徒に恋をした。
学年イチの、とか、ファンクラブができるほどの、っていうモテキャラではないけれど、一定数から安定的な人気のある生徒。サッカー部とかバスケ部でバリバリ運動してます! マネージャーからも告られてます! みたいな王道のキャラではないけれど、吹奏楽部で技術的に結構尊敬されてて、女子にすごく優しい生徒。
身長や体格だけを見たら、バスケ部やバレー部所属だと思われるかもしれない。でも顔立ちは柔和で、凛々しさとか男臭さみたいなのは全くと言って良いほどなくて。ちょっとだけ垂れ気味の一重と、くっきりとした輪郭が程良いコントラストを描いている。彼は男子にしてはちょっと高めの声を持っていて、文化祭のためだけに結成したバンドでは綺麗な歌声を披露していた。女性ボーカルの歌が似合うのも、彼の魅力の1つ。
高一の時から好きだった、多分。
名簿順に座ると、ちょうどお隣さんになって。
部活も委員会も所属グループも全然違うけど、挨拶とか他愛もない会話くらいはする間柄で。
忘れ物の多い彼にシャーペンを貸す時。消しゴムを貸す時。すごく胸がドキドキした。
教科書を忘れた彼と机をくっつけて一緒に見る時は、永遠に授業が続いて欲しいと思った。
けどすぐ緊張しちゃう私は、想いを伝えるどころか日々の会話を続けるのにも精一杯で。
彼の姿を見るだけで、彼の顔を見るだけで、彼の声を聞くだけで、身体中が熱くなった。今日もあなたと同じ世界にいる。そう思うと、すごく幸せで。その幸せだけをじっくり噛みしめていたら、いつの間にか高二になってしまって。
すごくすごくラッキーだったのは、高二になっても彼と同じクラスだったこと。そして、名簿順に座った時に、またお隣さんになれたこと。
挨拶とか他愛のない会話も2年目に入って、やっと少しずつ慣れてきた。未だに教科書を一緒に見る時のドキドキは止まらないけれど。彼にちょっとバレてるんじゃないかなって思う時もあるけれど。
去年から1つ新たに年を重ねたあなたと、今年も同じ世界にいる。同じ教室にいる。そして隣の席に座れば、彼の声と視線は私だけに向けられて。去年よりももっと砕けた感じで、多く話してくれるようになって。永遠に高校生活が続けば良いのにと思った。
けどやっぱり緊張しちゃう私は、バレンタインに勇気を振り絞ることなんかできなくて。彼は安定的な人気があるから、バレンタインには必ずチョコをもらう。私はお菓子作りなんてしたことないから、慣れない手作りチョコを渡して幻滅されたら、もう生きていけないって思った。それに、いろんな女の子のプレゼントの中に私のチョコが紛れちゃうのは、ちょっぴり悔しいと思った。2年間片想いしてきたんだもの。やっぱり私を見て欲しい。そう思っちゃ、いけないのかな。わがままなのかな。
でも私は、彼の笑顔を信じた。挨拶する時の笑顔。他愛もない話をする時の笑顔。物を貸してあげた後に、ありがとっ! って言う時の笑顔。私が珍しく忘れ物をすると、誰よりも早く貸してくれる時の笑顔。
きっとあの笑顔は本物。2年間私に見せてくれた、かけがえのない笑顔。大好きな笑顔。ちょっとくらい私がわがままになっても、いいんじゃないかな。
だから私は、バレンタインの翌日に勇気を振り絞った。昼休みの屋上に彼を呼び出して、想いを伝えようと思った。話があるって言ったら、彼は一瞬びっくりしたような顔をしたけれど、すぐにうんと言ってくれた。
一足先に着いて待っていたら、彼がやってきた。私とあなただけの時間が、今から屋上で紡ぎ出されるのだということを急に意識してしまって、身体が熱を帯びる。けれど、私から誘ったのだから伝えなくてはいけない。お待たせ! と笑顔で言う彼を見て、私は腹を括った。
「どうしたの、話って」
「あ……ごめん。あの、さ……」
「うん。どした?」
こうやって待ってくれる所も優しい。本当に好き。好きなんだよ。
「実は、す……好きなの」
「え?」
「す、好きですっ! 好きなの。……高一の時からずっと、好きなんだ」
人生史上最大の勇気を振り絞って出した言葉は、しかし、行き着く先を失っていた。
彼の顔から笑顔は消えていた。
驚愕、動揺、恐怖、不安、嫌悪。
そんなような感情が次々と彼の瞳を支配するのが見えた。
「あ、や、ちょ、ちょっと待って……そ、それは流石に……」
「あ、わ、私も、つ、付き合って欲しいとかは、求めてなくて……」
「え、待って、付き合う?……そんなん無理に決まってんじゃん無理だよそれは。結構ヤバいよ……てか、え、そんな風に俺のこと思ってたの? それはちょっと……引くわ。いや無理無理」
隠すこともなく嫌悪を口にする彼は、私が今まで見ていた彼とは思いっきりかけ離れていた。なんで。あんなに楽しそうに話してくれたのは、嘘だったの? 笑顔は偽りだったの?
そりゃ、期待はしてないよ。でも受け止めて欲しかった。あなたを想う人がここにもいるんだよって、知って欲しかった。
次の言葉を聞くまでは。
「いやぁ、俺さ、流石に男と付き合う趣味はねぇから……」
私が黙っていると、彼は苦笑いをしながら言葉を続けた。
「びっくりした……。お前オカマだったんだな。なになに、乙女心持って俺に恋しちゃったみたいな? 勘弁してよ。俺何人かから告られたことあるけど、お前は流石にノーカンだわ。恥ずかしすぎるもん、男から告られるなんて。お前がそういう目で俺のこと見てたんだって思うだけで、うわ、なんか鳥肌っていうか、寒気がするっていうか……しかも『私』とか言ってるじゃん……ヤバすぎる……」
私はずっと隠してきた。クラスメイトにはもちろん、家族にも隠してきた。
男の自分が女性でありたいと思っていること。男性が好きであること。
姉のコスメポーチから盗んだ真っ赤なリップを、毎日持ち歩いていること。
毎日我慢して、ズボンを履き続けてきた。ネクタイを締め続けてきた。髪の毛は、前髪や襟足だけでもなるべく長くした。教師に注意されるまでは絶対に切らなかった。
言葉遣いだって、ずっと気をつけてきた。うっかり「私」なんて言わないように。
でも、このままじゃいけないと思った。私と同じ考えを持つ人が世の中には結構たくさんいて、そうした人たちがちゃんと恋してることも知って。彼には私のことを知って欲しいって思った。優しい彼なら、最初驚きはしても、受け止めてくれると思っていた。軽蔑とか差別とか、しないって思っていた。
けれど、目の前の彼は本当に鳥肌を立てていて。私が近づくたびに後ずさりをして。これはきっと寒さのせいなんかじゃなくて、嫌悪のせいだ。それがはっきりと分かるような鳥肌だった。
許せなくなった。泣きたくなった。
彼が私を嘲笑し、同時に恐れていることに猛烈に腹が立った。
気づけば、私は彼の胸板を思いっきり押していた。
ガシャン! と音がして、屋上のフェンスは突き破られ、バランスを崩した彼はかろうじて屋上の端っこの部分に両手をかけていた。身体は外に投げ出されている。
「あっぶね……いや、さすが男だな。俺を押すだけでフェンスぶっ壊すってなかなかだぞ」
彼を押した直後は、しまった! って思ったけれど、後悔して損をした。この期に及んでも彼は、ナイフのような言葉を次々と紡ぎ出す。私の心を、これでもかというほどに
あなたなら、私の生きづらさに絆創膏を貼ってくれると思っていた。でもあなたは、鋭利な刃を振り下ろすだけだった。
聞くたびに耳が幸せになっていた少し高めの声も、今はただただ煩わしい。
「ねぇ、引っ張り上げてよ。俺のこと好きなら助けてくれるよな? ずっと好きだったんでしょ? 俺に死なれちゃ困るでしょ? この体勢、結構疲れんだよ。早くしてよ」
私はくるりと背を向けて、制服のズボンのポケットから魔法のアイテムを取り出した。スマホも使って、準備を整える。
「おーい。まさかこのまま放置とか言わないよな?」
「うん。ちょっと待って」
準備ができた私は、宙ぶらりんの彼に再び近づいた。
真っ赤なリップを唇につけて。
「……は? 待って。れ、冷静にキモいんだけど」
「黙って。じゃないと助けない」
自分の劣勢を意識したらしく、彼は素直に黙った。私は彼の片手を取った。その瞬間、彼のもう片方の手がギュッと屋上の端っこを握り締め直す。
愛おしいと思っていた彼の手をそっと握って、彼の手の甲に私の唇を重ねた。ゆっくりと離すと、真っ赤な唇の跡がついた。
「お、おい、やめろって! 俺キスしろなんて頼んでねえぞっ」
「私が、したかったの」
理想の形ではなかったし、本当なら手の甲じゃ満足できなかった。でももう彼を知ってしまった以上、引き返すことはできない。
あなたと同じ世界で、私は生きていくことができない。
だから。
「大好きだったよ」
私は握っていた彼の手を離し、ぶら下がっていた身体を強めに下に押した。頑張って掴まっていた彼の手はあっさりと空中に投げ出され、瞬く間に遠くなっていく。
私の真っ赤な唇の形がついた彼の手が、ひらりと見えた。きっとあなたはこの直後、もっと真っ赤に染まる。
今、あなたは何を思う?
世界は優しくなくてはならない。みんなを包み込むものではなくてはならないから。
だから
あなたみたいな偽りの優しさを纏った人間なんか、
この世界には必要ない。
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