#12 仏滅の夜に祝杯を

 電話が何度鳴ろうと、メッセージが何度来ようと、俺は頑なに無視した。震え続けるスマホがあまりにうざったくて、丸ごと叩き割ってやろうかとさえ思ったくらいだ。

 やっとバイブレーションの嵐が止み、ポケットからスマホを取り出してみる。……ほらな、やっぱり。それにしても今日は特に通知が多い。

 明るくなったディスプレイは、俺の妹の名前が書かれた通知で埋め尽くされていた。不在着信28件。よくまぁかけ続けられるもんだ。メッセージに至っては42件。懲りない奴。きっと母親も一枚噛んでいる。

 通知を開かないままスマホをポケットに戻そうとしたら、また小刻みに震え出した。なんなんだよ、さっきから。

 舌打ちをして通話ボタンを押す。


「あ?」

『やっと出た……ねぇ、場所も送ってるんだから。早く来てよ、お兄ちゃん』


 んなもん知るか。

 少しの沈黙の後、かすれた妹の声がした。


『バカ……間に合わなかった』

「それはご愁傷様」

『え、ねえお兄ちゃん、それは流石にひどいんじゃな』


 妹の言葉が終わらないうちに電話を切った。

 何がひどいだよ。どっちがひどいんだよ。

 俺がどう感じようと、あいつには全く関係ない。むしろ俺がいなくて、清々しい気持ちで旅立てたんじゃねえか? 逆に感謝して欲しいくらいだ。


 娘がいれば、妻がいれば、それで良かったんだろ。


 何をやっても選ばれて、優秀な成績を修めてしまう妹と、元女優の妻がいれば。


 何をやってもクラス単位ですら最下位になる俺なんか、最初からあいつの眼中にはなかった。きっと血縁があること自体、反吐が出るほど嫌だったに違いない。俺だって、自分を呪った。妹のような才能も、母親のような美貌も、あいつのような尖った知性もなぜか身につけていない自分を。だからあいつは、文字通り俺を追い出した。俺の19歳の誕生日に。


「いいか? 今日を以て、俺の中でお前は死んだんだ…めでたいな」


 母親は、愛情の裏返しだと言った。妹は、お兄ちゃんだけ一人暮らしできてズルいと言った。


 ざまあみろ。溺愛した2人と一緒に暮らせたのは、たったの3年じゃないか。俺と過ごした時間の方がよっぽど長い。残念だったな。


 またスマホが震える。妹から30回目の着信だ。


「んだよ」

『……お父さん、最期になんて言ったか分かる?』


 母親の声だった。あいつが愛した、母親の声。最愛の相手を失った彼女の声は、涙で濡れていた。


「知るかよ」

『あなたに会いたいって。あなたが1人で逞しく育った所を、見たいって』

「逞しく?」

『娘にはつい甘くなっちゃうけど、本当は息子の方が可愛かったって。でも父親が息子を溺愛するのは良くないから、わざと距離を取ったんだって』

「でも、あいつは、死んだって。俺の誕生日に、俺を追い出して、お前は死んだって」


母親は、電話越しに深くため息をついた。


『そうでもしないと、あの人も踏ん切りがつかなかったのよ。それくらい、愛していたの。期待していたの。俺の子だからって。あなたが出て行ってからずっとずっと、心配してたんだから。結局お兄ちゃんのことしか見てないよね、って娘に言われるくらいに』

「俺だけ追い出しといて、何で、何で今更」

『だから、謝りたかったって。一瞬でもいいから、会いたかったって。入院してからあの人、あなたのことしか話さなかった』

「…………」

『ね、聞いてる? お兄ちゃん聞いてるの? お兄ちゃ』


 母親の言葉も途中で切った。

 きっとそうやって、うまいこと俺を丸め込んで巧妙に涙を誘って、後悔させようという魂胆だ。どうせお前らには分かりゃしない。俺の苦労なんて。

 突然で仕送りもないまま、訳も分からずに一人暮らしを始めて、必死こいて稼いで、でも稼いだ金はすぐ家賃に消えて、何のために生きてるのかさえ分からなくなっていた俺のことなんか、分かりゃしない。父親の安定した給料と、女優時代のギャラに守られて生きてきた妹なんかには特に、分かるわけがない。


 今度こそポケットにスマホをしまった俺は、商店街へと向かった。

 普段立ち止まったこともない店に入って、5号サイズのショートケーキを買う。適当にろうそくをもらって、適当に保冷剤をもらって、プレートはいらないですと言った。ケーキを買うのには、コンビニよりも倍以上の言葉を使わなくてはならない。多くの酸素を消費しないとケーキ1つも買えないことを知って、うんざりする。ケーキ屋に溜まった客の二酸化炭素がショーケースを侵食するように見えて、またイライラする。周りの客がみんな目をキラキラさせて私たち希望に満ちてますみたいな顔をして、反吐が出そうな思いになる。多くの二酸化炭素を含んだケーキを持ち帰るのにも手間がかかって、全て投げ飛ばしてやりたい気分になる。


 負の気持ちを何とか抑え込んで、誰もいない家に帰ってきた。おかえり、の言葉がない家。3年も住めば慣れる。今ならきっと、おかえり、がある生活の方が気持ち悪く感じるんじゃないかと思う。


 丁寧に包まれた箱を乱暴に開けて、保冷剤を乱暴に外して、ガスコンロの火を1本のろうそくにつけて、全てのろうそくをケーキに差し、火をつけた。真っ暗な部屋に、ろうそくの火がゆらゆらと揺れる。客の二酸化炭素のせいか、燃え方が少々頼りないけど、まぁよしとしといてやろう。

 もしそんなに俺と会いたかったのなら、祝ってやるよ。

 お前がいなくなったことを、俺が祝ってやる。最愛の息子の俺が、心から。

 俺の中でお前は死んだんだ。めでたいな。


 Happy death day to you.


 冷蔵庫から缶ビールを取り出し、珍しくコップに注いでみた。

 ろうそくの炎と相まって、黄金色がよく映える。綺麗だ。


 仏滅の夜に祝杯を。


 俺がわずかに息を吹きかけると、ケーキの上の灯は簡単に姿を消した。

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