#7 聖愛

 なぜ私が、夫から離婚を告げられたのか。

 理由は、不倫ではありません。性格の不一致でもなければ、喧嘩でもありません。

 この理由には、どんな名前を付ければ良いのでしょうか?


 あえて名付けるのなら、これは“聖愛”ではないか、と思います。私は聖愛故に、別れを告げられたのです。

 私はただ、愛を注いだだけなのです。溢れんばかりの愛を。ただただ、心から愛しているということを、蓮に伝えただけなのです。




 私は青春時代、大学のミスコンテストでグランプリになったり、ファッション雑誌の読者モデルに選ばれたりしていました。今のようにSNSがあれば、私のフォロワーは結構な数いたのではないか、と思います。娘は父に似ると言いますが、父は町1番の美男でした。アルバムで見た父に、恋をしそうになりました。

 夫は慎重に選びました。父のように、息を飲むほど美しい子どもが欲しかったから。夫は私と同じ大学のミスターコンテストで、準グランプリになった人でした。彼はグランプリ発表の場で、私にアプローチをかけてきました。今まで「変な虫」がつきがちだった私ですが、夫はその中でもマトモだと思いました。彼は私と違ってグランプリではなかったけれど、告白されて嫌な気はしなかったし、当時ミスターコンでグランプリになった人には彼女がいたので、私は夫と付き合い、就職して少しした頃に結婚しました。


 夫のことは愛していたと思います。彼も美男でしたから。結婚までこぎつけて、とても嬉しかったのです。

 ただ、赤ちゃんができたと分かってから、私は変わってしまったのでしょうか。

 息子だと分かり、息子ならば元グランプリの私に似ると分かり、私に似るならあの父に似ると分かり、私は1人舞い上がりました。そして遺伝子の半分は、元準グランプリの夫。美男じゃないわけがなかったのです。

 しかし蓮が生まれたばかりの時は、流石に美男とは思いませんでした。あどけなさすぎる顔は美しさとは程遠くて、子育てに嫌気が差した時もありました。けれど、彼はきっといつか美少年に育つ。そう信じ続けて、子育てを乗り越えました。中学生くらいになるまでは本当に長かった。蓮が大人びてくるのを、今か今かと待っていました。


 そして、ついにその時がやってきました。蓮は筋肉質になり、背が180cmを超えて、顎の輪郭がシャープになり、精悍な顔立ちに変化しました。

 その顔は、若き日の父にそっくりで。それはもう……生き写しかと思うほどに。

私は父に、本気で恋することができなかった。父はもう、老いていたから。初老の美しい男性ではあったけれど、アルバムに残されたような輝きはもう、なかったから。そして何より、母から父を奪ってはいけないと、思ったから。

 でも、蓮は違います。蓮を育てたのは私です。私の努力で蓮はここまで健康に、そして美しく育ってきたのです。美しくて若い蓮が今、私の目の前にいる。私は蓮を手に入れるためだけに、出産してもなお若作りに励んできたのです。父を奪いそうになったあの罪悪感に、苛まれることもありません。



 蓮はとっても良い子でした。彼女ができた時には、ヒヤリとしましたが。

 でも、焦った私が「ママと彼女、どっちが大事?」と聞いたら、表情を変えて即座に「ママ」って答えてくれたのが本当に嬉しくて。蓮はママを選んで、彼女を捨ててくれた。そう、それで良いの。蓮の隣にいるべきはママよ。

 それ以来、蓮は学校からまっすぐ帰ってきて、私と過ごしてくれました。蓮の手は大きく、背中は厚みがあって温かく、唇はとても柔らかかった。夫より何倍も胸がときめきました。随分と低くなった声で「ママ、綺麗だよ」って言ってくれる蓮が、本当に、本当に愛おしくて。

 老いていく夫よりも、大人になっていく蓮の方が魅力的なのは当たり前です。そして、彼が私よりも老いることは決してない。落胆せずに済むのです。こんなに素晴らしいことがあるでしょうか? 蓮は私の人生における、最大の成功です。




 夫は先週突然、離婚届を私に突きつけてきました。


「俺はもう、用無しなんだろう? 蓮さえいれば、良いんだろう?……でも親権は俺だからな」


 そんな、離婚だなんて、と口では言いつつ、私は笑みが零れそうになりました。危ない危ない。もしかしたら多少は笑みが零れていたかもしれません。

 あぁ、やっと気づいてくれたのね、と。夫なんてもう、とっくにいらなかった。蓮を孕むことができたその瞬間から、とっくに。

 私は聖愛を蓮に捧げることに必死だったから、すぐにサインしました。あっけない結婚生活の終止符でした。


 蓮はまだ、完全に離婚したことを知りません。明日、きちんと伝えようと思います。




 明日は待ちに待った、希望に満ちた日。私は今からワクワクしています。

 なぜなら、蓮の18歳の誕生日だからです。

 愛する彼に、私はとっておきのプレゼントを用意しています。


「綺麗なママが、俺は世界で1番好き。俺はママを愛してる」


 私の目を真っ直ぐ見てそう言ってくれる蓮は、もう寝てしまいました。……ふふっ、まだ子どもですね。可愛い。

 夫と使っていた寝室は、今日から私と蓮のものになります。


 寝顔さえも美しい蓮の枕元に、プレゼントを置いておきました。





 ——それは、私との婚姻届。

 旧姓に戻った私と、元夫の姓を持つ蓮が結婚すれば良いのです。そうすれば、より完全な形で永遠の愛を誓える。

 男の子は、18歳になれば結婚ができます。正真正銘、私のものです。私の男です。

 もうママとは呼ばず、下の名前で呼んで欲しい。もっと本気で、愛して欲しい。そんな多少の乙女心も、結婚すれば許されるのではないでしょうか。




 これは決して、“性愛”ではない。“聖愛”なのです。

 親が子どもに全ての愛を注ぐ。それは、当然ですよね? そしてそれはまさに、聖なる愛です。純粋な、穢れのない、神聖な愛です。

 これは18年間彼を育て続けた、私自身へのご褒美でもあるのです。




 これのどこがおかしいのでしょうか? どうして非難されねばならないのでしょうか?

 どうして私を異常者扱いするのでしょうか? 全く意味が分かりません。






 だって、私のお腹から生まれてきたんだもの。共に生きるのは、当たり前ではないですか。

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