017 重ねて死を演じる
「ずぁ……っ!?」
二拍、三拍と、ようやく迫り来る衝撃波に巻き込まれて吹き飛ばされながら、永絆はただ、愛剣の上で蓮花を強く抱き締めていた。
純白に煌めく大輪と漆黒に唸る無数の氷雨。それが音すら置き去りにし、一瞬のうちに激突していた光景は、永絆の脳裏にこれでもかと言う程に強く焼き付いている。
圧倒的過ぎる実力差。スケールの違いを見せつけられて、嘆かずにはいられなかった。
しかし、二体の怪物は、常人に対してそのような暇すら与えず。
「——ねえ、ルメリア。やはり貴女は一度、身を滅ぼす程の調教を受けて更生すべきだと思うの。その重過ぎる狂愛を撒き散らさないために」
一時的な演出だったのか、ターチスは『魔虎』としての変身を解いて本来の姿に戻って言う。いや、そもそも、彼女たち大剣霊にとって、どちらが本当の姿であるか、という基本的な概念すら関係ないのかもしれない。
「お姉様からの調教であれば、たとえなぶり殺されようが大歓迎ですっ! であれば、さっさと始めましょうよ! 当然、ルメにもお姉様を調教する権利があるというのが前提の逢瀬をっ!!」
言うや否や、ルメリアが嬌声を上げてターチスの方へ駆けていく。
同時に、周囲が黒く染まる。黒い氷の棘。それらが一瞬にして現出し、ルメリアもまたひときわ大きい氷柱に乗って、両手を広げたまま、
「ルメを全力で受け止めて下さいッ!! ターチスお姉様ぁぁぁぁぁッ!!」
黒い氷雨と氷柱による進撃が、ターチスの姿を掻き消した。鼓膜が破れそうになる甲高い衝撃音の連続と、文字通り身が凍る程の冷気と恐怖が、永絆の心身をふんだんに襲う。
「や、ばい……なんかもう、色々とやばい……っ」
先程より濃くなっている白い息と共に、そんなレベルの低い感想をただ吐き出す。常人が、ましてや今日初めて魔剣を握って『戦い』というものを知った永絆が、易々と立ち入れるようなレベルのそれではない。
大災害の只中に赤子が放り出されたら、ただ泣き喚くことしか出来ないように。
眼前で繰り広げられるそれは、いくら超常的なオカルトを手にしたとはいえ、人の身で到達するには不可能な領域と化していた。
「——剣霊術、第二術式項」
慟哭の嵐の中心から、鈴の音色のような声が聞こえた。
「『
季節が変わった。そんな錯覚を引き起こすぐらい、その白光のヴェールは永絆と蓮花に麗らかな温もりを与える。
黒々とした曇天と氷雨を瞬く間に消し去った光。それはターチスが掲げる手の指先から発せられているもので、左右の腕を上下それぞれに向けていることにより、砂時計のような形に漆黒の天と地を溶かしていた。
ルメリアの姿は消失しており、破壊の限りを尽くしていた冬の情景は終わりを迎える。
「『破壊』……?」
その単語に、永絆は微かな引っ掛かりを覚えた。吹けば飛ぶような違和感。錯覚とすら呼べない程のデジャブ。
しかし、目を背けようとしても引き寄せられてしまうその見解に抗える筈も無く、永絆の脳裏にはまるで動画を逆再生するが如く数分前までの事象がダイジェストに映し出されていく。
(蓮花と立ち尽くしていた時の爆破……)
氷雨の影響ともとれるそれは、物理的に引き起こされたかに思えたが、ターチスが黒い氷を消したことにより、校庭では『純粋に雪と氷を消したぐらいでは有り得ない光景』が広がっていたのだ。
「陥没、してやがる……」
幾つものクレーターが発生したようで、恐竜にでも削り取られたような惨状。そうすれば、何故ターチスの死体が炭のようにして消え去ったのかも納得がいく。
ルメリアが操るあの黒い雪氷は、恐らく、触れたものを破壊してしまう凶悪性を持っている。
だからこそ、納得がいく。
先程から、ヴァージの発する赤黒い雷光で作られた竜が、やけに雪や氷を喰らっていることに。それは、ただ魔気を吸収したいがためでなく、主である永絆を守る為ではないのだろうか。
だからこそ、納得がいってしまう。
先程から、蓮花がやけに静かで、それでいて不自然な程に冷たいという事実に。
いくら狂乱しているとはいえ、ルメリアからすれば乱入者は永絆と蓮花の二人。永絆の前に現れた際に、彼女だけを認識していたのはどう考えても不自然だ。
だからこそ、納得してしまった。
「蓮、花……」
激動の只中で手放してしまったもの。それを取り戻すべく、永絆は結果的に、再び地獄へ足を踏み入れる。
その決意と、それを成した自分に、酷く納得がいってしまったのだ。
『解に辿り着いたようね、ナズナ。既に消えているその娘の心臓……貴女はそれを取り戻すべく、再び厄災を撒き散らすのね』
脳内、もしくは心に響くターチスの声。その全てを見透かしたような口調と内容ではっきりとした。
「厄災をばら撒こうが私の身がどうなろうが知ったこっちゃねえ! 今はただ、それが間違ってはいないんだってことに賭けるだけだ!」
やるべきことも。自分の決意が間違っていないということも。
「待ってろ、蓮花」
視界の端で、耳障りな金属音と共に爆音が轟いた。その正体は言うまでもなく、ルメリアで。
「——今すぐお前を生き返らせて、アイツを倒す」
片喰蓮花に『死』を被弾させた張本人。再びターチスと相まみえる彼女を尻目に、永絆は愛剣に命じた。
「剣能発動、『滅廻』——片喰蓮花の『死』をぶち壊せッ!!」
*
深く、深く、深く。
どこまでも深く沈みゆく感覚がある。何かを考えようとしても、全てが霞んでおぼろげになり、濃密な霧に包まれるかのように意思の働きが阻まれる。
——あた、し。
順序も、時系列も、全てがばらばらの回顧。思い出、悔恨、痛苦を伴う苦い過去。それらがガラスの破片のように散りばめられて、真っ黒な空間に映し出される。
——あたしは。
自分が歩んできた道のりのハイライト。それでも、どこかテレビ越しに観ているような違和。疎外感。
自分が自分でなくなる一歩手前。もうすぐ、この魂と呼ばれるものは散ってしまうのだろう。
その感覚がどういった事象から来るものなのか、彼女はまだ知らない。
それを知るよりも早く、彼女が心の底から愛する者達が回生の手を差し伸べてくれたから。
——アイ、リス……?
亡き愛犬が、必死に吠えている。まだこちら側に来るのは早い、と。そんな風に聞こえる。
記憶も、感情も、全てがバラバラになりそうなこの状況でも、アイリスへの愛と感謝が消えることはなかった。
——あり、がと。
そして、深淵に差す一筋の光が、少女を再び戦禍へと誘う。当然、そのことについての恐れや不安、ましてや拒絶など微塵も無く。
——今行くよ、ナズ姉。
死の淵まで沈んだ片喰蓮花は、こうして九死に一生を得て。
破壊された死の事実の残滓を置き去りにして、覚醒へと導かれてゆくのだった。
*
「んう……」
ゆっくりと目を覚まし、肌を刺すような寒さによって一気に意識が醒める。
そして。
「——ナズ、姉……?」
まるで自分を庇うようにして眼前に居る波月永絆の姿を見て、蓮花は愕然とした。
——左腕と右脚を失い、虚ろな瞳で滂沱と血を流して座り込んでいたから。
「う、そ……一体何が——」
刹那、爆音が響く。
満身創痍の永絆越しに見える、音速で交錯する何かが原因だろう。片や真っ白な炎を、片や真っ黒な氷を操り、それを一秒に幾度もぶつけて戦っている。
微かに確認できたのは、白い炎を従えている方が何らかの獣であるということぐらいで。
「……わ、りぃな……蓮、花」
か細く弱々しい声が、蓮花の意識を再び永絆に戻す。
「ナズ姉ッ! 一体どうしたの!? そんな、酷い状態で……っ!!」
幾多の情報や感情が行き交い、どうしていいか分からなくなる。いや、真っ先にすることは永絆の手当てだ。蓮花の魔剣である霧斬りアイリスの『剣能』を何とか駆使すれば、永絆の重度な損傷も——、
「すぐ、戻る、から……。だから、それまで、は……」
「もう喋らなくていいから! あたしに任せて! 今すぐその傷を治してみせるからッ!!」
声を荒げて、蓮花はそのまま魔剣を握り締めて『剣能』を発動しようと神経を研ぎ澄ませる。
その、僅か、ほんの一瞬。
「待ってて。すぐに終わらせ、るか、ら……」
血反吐を吐いて何らかの旨を伝えた永絆。その文言が最期のそれであったかのように。
「ナズ、姉……?」
彼女から、呼吸が、脈拍が、生気そのものが、完全に消失してしまっていた。
「————」
蓮花の思考を、深い闇が覆う。自分に倒れかかってきた永絆の身体を、蓮花は呆然と抱き締めて天を仰ぐ。
上空、激しくぶつかり合う二つの超常。その破片が周りに降り注ぐが、蓮花はただ黙って、喪失に塗れて涙に濡れた瞳を向けて言った。
「……ゆる、さない」
心の奥底から沸き上がる業火を認めて。
「呪い、殺——」
瞬間。
抱き締めていた永絆の身体が、赤黒い光を放って消えた。間髪入れず、次なる異変は天空にて巻き起こる。
光と同色の紋様。それが雷光を伴って、巨大な鞘を現出させたのだ。そして鞘はそのまま左右に開き、それからの出来事はまさしく一抹の出来事で。
「——ヴァージ、『剣能』解放」
低く鋭い——それでも蓮花の心を救うには十分過ぎる声音が、血のような雷光と共に炸裂した。
「『滅喰』ッ!!」
純白のローブを纏う少女の背後より、全てを滅ぼす破壊の魔剣が襲い掛かる。
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