016 『節制』の大剣霊ルメリア・ユーリップ
「今は、冬じゃ、ねえぞ……?」
徐々に震え出す身体を抑えながら、困惑を漏らす。
雪。
大量の、広大な校庭の一面を覆う雪。
が、一つ確かな違和感があった。そもそも、反射的に入り込んで来る情報が多過ぎて、当たり前でありながらもあり得ないその異常性を認めるまでに数秒のラグが生じたのだ。
「ねえ、ナズ姉……この『黒い雪』……なに?」
蓮花が、身体を凍えさせて疑問を漏らす。
漆黒にして純黒。どこまでも黒い氷雪と痛みを孕む寒波が、立ち尽くす永絆と蓮花を困惑の渦へ誘う。
——逃げ……さ、い、ナ……ナ!
警鐘。それと共に、ノイズ混じりに女の声が永絆の脳内に鳴り響き、今自分達が置かれている状況がいかに危険であるかが段々と判明していく。
そう、明らかとなっていく。
眼前に鎮座する異景に気を囚われていて察知するのにさらに遅れた、本当の異常。それが音を灯し、形を成し、『交錯』という情景を炙り出すと同時。
聞き覚えのある声が、天より降り注ぐ。
「——剣霊術、第三術式項……『
黒塗りの凍土を、真っ白な炎が焼き焦がした。揺れる桃髪、靡く黒灰のドレスが目に入り、永絆はその者の名を呼ぶ。
だが、
「——流石ターチスお姉様ぁ……ルメは興奮してしまいますっ!!」
寸前に聞こえたその文言が永絆の声を掻き消し、その直後。
「う……っ!?」
「なに、この音……っ」
白い何かが爆速で氷の上を駆けているように見えたが、それと音の正体を結び付ける余裕は、当然無い。
金属音を盛大に奏でたような音が鼓膜を殴りつけ、永絆と蓮花は反射的に目を瞑って耳を塞ぐ。
——瞬間、何かが爆ぜ上がった。
「……ッ!?」
慌てて開けた目に飛び込んできたのは、今自分たちが立っていた玄関が粉々に砕かれ、黒い氷の破片が散乱している場面だ。
「ナズ姉ッ!」
宙に放たれた二人はかろうじて手を取り合い、永絆はなんとかして蓮花を抱き寄せる。
その、一瞬で。
「剣霊術、第一術式項——」
傍らで、さらなる厄災のゴングが鳴った。
「——『
弾丸の如く、無数の黒く染まったの氷の棘が空を塗り潰し、地を殴りつける。
もはや訳の分からない超常に目を瞑りつつも、永絆は蓮花を抱き締めたまま離さないで己の魔剣を顕現させる。
「ヴァー、ジ……っ」
身体を串刺しにする寒波と、耳朶を壊す破砕音。加えて、理解不能な災厄。
数多の驚異がとぐろを巻き、遠ざかったと思った死の恐怖が再び駆けてくる脅威。
「ナズ、姉……」
「……!」
しかし、屈する訳にはいかない。腕の中で痛苦に顔を歪める少女を離す訳にはいかない。
心の中で、そして言葉に乗せて、今一度、愛剣の名を叫んだ。
「来い! ヴァージッ!!」
血の色に煌めく雷光が、獰猛に吠える。その雷鳴と共に、紳士な大剣は蓮花を抱きかかえる永絆を救出し、天を翔ける。
激動の刹那が去り、夜闇より黒く染まった漆黒の雲を呆然と見上げる。
よくやった、とか、流石は私の愛剣、とか。普通であれば、そんな称賛が口から突いて出る筈だった。
だがこれは、今起きている現象は全てが異常なのだ。魔剣という非日常すらも凌駕する災厄。故に、永絆は自分の目に映っている光景に対してもまた、酷く混乱せざるをえなかった。
「ターチス……?」
ノイズが走るように、眼前の光景を認められない。
だって、ターチス・ザミは既に。
無数の黒い氷柱によって串刺しにされ、白磁のように透き通った肌は黒く焦がされており、溢れ出る鮮血は臓物と共に雨となって永絆へと降り注ぐ。
奇怪な水跳ね音がすると同時、永絆の身体や顔面にターチスの内臓や腸が当たって生き物のように這いずってまた地面へと落ちてゆく。
そして。
「害虫は、駆除しないと」
宙に舞っていた筈のターチスの身体を抱えた小柄な少女が一人、血で染まった唇を舌舐めずりしてヴァージの柄の上に立っていた。
純白のローブに身を包み、斜めに短く切り揃えられた白髪から覗かせる夕焼け色の双眸を細め、頬を赤く染めて淫靡に笑む少女。
彼女は、自分の頭の上にターチスの腸で作っただろう輪っかを乗せ、虚ろな瞳で滂沱と血を吐き続ける彼女の唇に口づけ、
「ん……っ、ごくっ、ごくっ……ぷはぁっ、ああ、美味しい! お姉様の唇と、吐息と、血のお味! お肉、腸に詰め込まれたお姉様成分の淫臭ぅ……! 三日も待たされたんです……このぐらいのご褒美はあってもいいですよねっ」
口腔を舌で抉じ開けて、口移しの要領で血を飲んだのだ。
鼻が捻じ曲がる程の腐臭と、眼前で行われた意味不明で理解不能な猟奇的行為——そして何よりこの少女が発する桁違いのオーラにやられ、吐き気を込み上げて気を失いそうになる。
蓮花は今までの衝撃で既に気絶しており、それがせめてもの救いだった。
やがて、用済みであるかの如くターチスの身体は炭のようになって消え、血や臓物の数々は煙を出して燃焼した。
ところが、少女はそんな不可思議な光景や永絆の心情、いや心理そのものを理解して気遣う素振りなど一切見せず、
「ルメの名前はルメリア・ユーリップ。『節制』を司る大剣霊であり、お姉様の弟子で、妹分で、恋人で、伴侶で、えっとー……とにかく、お姉様の全て! もはやお姉様そものもですっ!」
そんな滅茶苦茶な自己紹介を一方的に済ませた矢先。
「というわけで!」
少女、いや狂人——ルメリア・ユーリップは、辺り一面を浸す氷に負けず劣らず冷えた眼差しで永絆を見下し、
「死ね」
漆黒の氷弾を蓮花やヴァージ諸共、永絆目掛けて放ったのだった。
(冗談じゃないッ! 何か無いのか!? 何か、何か——!)
それが緩慢に映る刹那。
「……?」
激動の時間が続いて忘れていた、ターチスとの契約の証。それが永絆の右腕に、依然として健在しているのだ。
もし仮に、彼女が既に死んでいるのなら、この紋様と共に消失しているのではないだろうか。
そんな明るい予感が脳裏を過ったと同時、
「……ああ、流石……っ! 流石です!」
暗黒に満ちた曇天より、光明が差した。それは喩えであり、起きた出来事への文字通りの言及でもある。
光差す方を、ルメリアは蕩けた表情で見上げている。今しがた、永絆を殺さんとしていた勢いや気迫をあっさりと捨てて。
そして永絆もまた、もはやキャパオーバーで思考すること自体を億劫に感じながら、その異変の行く末をただただ静観する。
——純白の獣が一匹、光明を従えて降臨していた。
一本角と双眸を白桃色に煌めかせ、猫のような耳を生やした、純白の体毛で覆われた巨大な『虎』。だが、虎の一言では片付けられない要素が幾つか備わっている。
角や瞳と同じくピンクパールの輝きで彩られた、剣の形をした紋様が刻まれた一対の翼。まるで竜が持つようなそれを猛々しくはためかせ、一つ一つが剣の形と化した結晶のような爪を掻き鳴らしている神々しい獣。
「流石、ターチスお姉様っ!! 霊魔――『魔虎』のお姿も素敵です!」
白焔を従えたそれは、ターチス・ザミが『霊魔』として顕現した本来の姿らしい。そういったギミックを知らなかった永絆にとって、その変異はど肝を抜くに十分過ぎる程の演出だった。
「ター、チス……?」
何気なく漏らしたその問いに、ルメリアが激しく答える。
「そうですっ! そうなんですよっ! ルメのお姉様はあんなにも美しくて気高くて神々しくて愛おしくて猛々しくて華々しい……ルメとは違って最高と至高が至れり尽くせりな唯一無二の完成体にして完全体なんですっ!!」
一際、饒舌。その変貌がまた薄気味悪く、
「だからこそ、早く振り向いてもらわなくちゃ……普段は『節制』で蓋をされた反動が今解き放たれているのを感じる……お姉様はルメのモノ……狂おしい程に愛おしいからこそ——お姉様はきちんと殺さないとっ!」
淫靡で残忍な光を瞳に宿し、口の端に垂れた唾液をじゅるりと舐めとりながら、狂愛に心身を委ねるルメリア。
そんな彼女を見て、永絆は底知れない恐怖に駆られていた。
(なんなんだコイツ……ッ! 好きだから殺す!? 意味が分かんねえ!)
大地や空気が凍てついて雪が降っているせいもあるだろうが、やはりルメリアの常軌を逸した思考、趣向に対し、歯をがちがちと鳴らして身を激しく震わせる。
無意識の内に、気を失っている蓮花を強く抱き締めてしまう程に。
と、そんな怖気に駆られている間に、ルメリアの姿はもう、そこには無かった。
ぼんやりと目で追えば、遠巻きに見える光明の下、『魔虎』が獰猛に咆えているのが見える。
その背後、既に巨大な白い輪が出現しており、ルメリアもまた、両手を大きく広げて何かを始めようとしていた。
いや、もう、始まっていた。
そして、その交錯は一瞬にして終わりを告げた。
魔剣を手にしてもあくまで常人である永絆にとって、その戦いはあまりにも異次元で、格も桁も何もかもが違い過ぎたのだ。
——晴れと雨。二つの相反する天気同士の衝突が再演される。
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