013 剣能『滅廻』

「——突然だけれど、プランを大幅に変更するよ。我が糧」


 溺れゆく感覚。けれど、いつしか体験したそれよりは意識が鮮明で、永絆は深い闇に包まれた生命の海の中で五体満足で少女と対峙していた。


「流石に、我が贄。お前がこんな短いスパンに二度も『死』を発生させるとは思わなかったからね。さっきは折角ミステリアスに事を成したっていうのに、これじゃあ恰好が付かない」 


 やけにクリアに響くその声、文言の中で引っ掛かったたった一言を、意識が勝手に抽出する。


「……死……?」


 艶やかな黒髪を伸ばし、透明色の宝石に鮮血を垂らしたかのような真紅の双眸で永絆を真っ向から射止める彼女。その容貌は、彼女が纏う白いワンピースドレスと相まって、不吉な何か——そう、例えば死神なんかを彷彿とさせる。


「そう、お前は先程、猛毒に侵されて一度死亡した。そしてつい今しがた、お前はまた同じ術士によって不意の一撃を受けて死亡……もっとも、これはあくまで『死』という現象をお前の肉体が経験しただけであって、その事実はこの冥剣『滅陽の短針』——『シン・デストレア』でいくらでも覆せるのだがな」

 

 少女が述べた二度の死に関して、永絆は記憶が曖昧だ。だが、どういう訳か、その話をすんなりと受け入れることが出来た。この異様な空間がそうさせているのか、よほど彼女の話し方が上手いのか。


「私は、死んだ……のか?」


「ああ、一応な。だからその事象を『破壊』する。我が礎。お前がヴァージとか言う超ナンセンスな名前を付けてくれやがった大剣……正確に言えばその『剣能』が特別で異端。故に、それを可能にする——不死身や不老不死という伝承を結果論で可能にするんだ」


「事象の、破壊……」


 ヴァージの『剣能』である『滅喰』。事実の破壊というのは、その果てにある大技的なものなのだろう。

 だが、その前に。


「ヴァージが超ナンセンスならよ、本当の名前は何なんだよ」


「そこに食いつくのかい」


 少女による真顔の突っ込み。そして、嘆息と共に彼女は答える。


「だからさっきも言ったろう。剣名は『滅陽の短針』……我が世界とお前の世界、この国の言語に照合して称すと、『シン・デストレア』となるが……まあ、前者の翻訳版だけでも覚えてくれたらいいよ。ああ、そうそう。加えて我を説明すれば、まあ、親愛なる姉上によってこの無垢なる世界に追放された憐れで可哀想で可愛い、ロユリっていういたいけな少女ってとこかな」


「『滅陽の短針』、しん、ですとれあ……って、いや途中からあんたの話になってないか? えっと、ロユリ」


「ああそうだね。でもこれで自己紹介は果たしたつもりさ。同時自己紹介ってやつかな。……人は皆、自分の名前と共におい立ちや出身地——住処、なんかも紹介するものだろう?」


「————」


 合点がいった。この空間、そして目の前に立つ少女。ここはヴァージ——『滅陽の短針』と称される魔剣の中の世界で、少女はここに棲んでいるのだ。


「ああ、そうそう。全く関係無いのだけれど、我の親友は元気かな? 『純潔』を司る大剣霊様は。彼女に伝えておいて欲しいんだ。『近いうちにこの世界は火の海と化す。女王は本気だ。本気で「開闢の刻限」を発動させようとしている……そのために、お前達四大剣霊すらも礎として利用し、我に関して言えばこの剣と共に術式に組み込んで歴史から未来永劫消し去るつもりらしいんだよね』ってさ」


「いや、伝言多過ぎるわ。この世界が火の海と化すってところからパワーワードの連続だし、何ならターチスと仲のいいってところで少しだけ和んだわ」


 情報が錯綜し、困惑がひしめき合い、一度脳内を覗き込んで物理的に情報を整理したくなる。

 そんな具合に混乱を露わにする永絆に対して少女——ロユリは口角を紅の瞳に妖しい光を宿して言う。


「要は、この剣とその術士を巡って、戦争が起きるということだよ」


 簡潔かつ詳細過ぎる文言で確かな危機をぶつけてきたのだった。それに留まらず、永絆に嘆く時間すら与えず、ロユリは「だから」と続ける。


「我の術士となった手前、お前にはここで死なれては困るし、どのみちこのまま無責任に死なせるつもりも毛頭無い。今すぐ我はお前を蘇らせ——いや、この表現は不適切か。うむ。ではこうしよう」

 すると、ロユリは急に永絆に詰め寄り、


「ちょ、今度はなん——」


「この世界の童話では、姫様の目覚めには王子のキッスが必要不可欠なんだろう?」


 そう言って、キスをした。


「……っ!?」


 彼女の桃色の柔らかなそれと繋がった瞬間、永絆の脳内にとめどなく何かが流れ込んで来る。

 記憶や情報、と呼ぶには夢のように曖昧で乱雑なもので。それに気を取られている内に、ロユリは甘く暖かな吐息に混じって耳元で囁いた。


「——『滅廻』。今から『死』の事象を破壊する」


 やがて、空間から水が消え、音や匂い、感触といった何もかもが消えてゆき、永絆はどこまでも暗い闇の中へ——そしてその先に差す微かな光の方へと落ちてゆく。


 ——また会えると嬉しいよ、我が飯。まあ、それは即ち一旦死を経験しなければならないわけだけれど。


 クスクスといった小さな笑い声と共に、彼女の声は消えていく。


 ——ああ、一つ言い忘れていたから言っておく。いくら『滅廻』で事象の破壊が出来ても、その『代償』はとてつもなく大きい。だから、それを良しと出来る狂人でもないお前は、出来るだけこの力に頼らない方が良いかもな。


 去り際の一言としては些か長いように思える文言を言い残し、今度こそ少女の声は聞こえなくなった。

 そして、波月永絆は復活の——いや、『死』という事実を破壊して、在るべき姿へと舞い戻る。



 大剣を中心に、赤黒い雷光がけたましく荒れ狂う。


「ぐぉっ!? がっ、あががががががががががががががががががががががががががっ!?」


 赤、黄、緑三色の巨大トカゲと化した藤実は悲鳴を上げてのたうち回り、生命を削られてゆく喪失感と痛苦に侵される。


「大方、自分の魔剣の毒針全部を自分に試した結果、その気色悪い姿なんだろうが……魔獣側の存在になってまでてめえは何をしたいんだ?」


 紅く光る瞳で、永絆は悪辣教師の業が作り出した成れの果てを無感動に見下ろして問う。

 藤実は悲鳴を上げるばかりで答えない。そのつもりも無いのだろう。


 けれど、永絆にとってもそれはどうでもいいことで——そして彼女は、今自分が成すべきことをきちんと分かっている。


「ひとまず、てめえはヴァージの糧となれ。償わせるために生かす気も、慈悲深く懺悔に傾ける耳も無い。有り体に言えば——」


 普段の自分とは違うような違和感を覚え、しかし永絆はヴァージの『剣能』を発動させて藤実剛志の業に塗れた人生に終止符を打つ。


「——今ここで死ね」


 雷光が、ひときわ炸裂した。


『剣能:滅喰』。竜のよう獰猛な赤黒い影が、巨大トカゲを飲み込んでいく。惨い咀嚼音と断末魔が屋上に木霊し、罪人に相応な幕引きがなされる。


「ご、おおおおお、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 だが藤実は巨大トカゲである自分を奮起させ、巨竜の影に抗う。


 二つの巨躯なる異形による激突。

 

 三種類の毒針を何本も備えた尻尾を大いに振って反撃する藤実。が、『滅喰』の竜影はそれをものともせず、ただ喰うことだけに意識を注いで牙を剥く。


 結果、竜はトカゲを地に叩きつけ、全霊をもって喰らいつく。


 ——筈だったが、


「う……っ!?」


 違和感が剥がれ落ちていくと共に、永絆は頭に猛烈な痛みを覚えた。眼球の奥が焼けるように痛み、頭蓋に鋭い針を何本か刺されているような鋭い激痛。


「なん、で……っ、こんな時に……っ!」


 永絆の異変によって『剣能』も威力が揺らぎ、『滅喰』の竜影は霧散してしまう。

 明滅する視界。その先に、同じく巨大トカゲの容貌が溶解し、ドロドロに剥がれていく体内から一心不乱に叫んで出入り口の扉へと逃げていく藤実の姿が見えた。


「待て、よ……」


 片手で両目を抑え、もう片方の手で大剣を握り、杖の代わりに地に刺して自分を支える永絆。


 彼女もまた、ゆっくりではあるが確かに扉の方へと向かう。藤実剛志という大罪人に裁きを下すべく。

 いや、もはや、今の永絆に自分が裁定者である自覚など無かった。


 これから先、自分と、何より蓮花の平穏に再び害をなすだろう不安要素。許し難い悪行を成した者達と、そのきっかけの一端を担い、元凶ともいえるあの教師。


 断罪や処刑などといった形式的な美談を、永絆は掲げない。


「……殺、す……」


 剣をついてゆらゆらと歩くその女の目には、底知れない憤怒が煮え滾っていた。


「お前を、殺す」


 死をも覆す魔剣を携えて、死神は標的の後を追う——。

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